招かれざる巡礼(二) 潜入したはずの査察官が、おもてなしに振り回されて
パンを食べ終えたお客さまが、また帳面を開こうとしたので、私はすかさず立ち上がった。
「せっかくですから、ご案内します! うち、見どころが多いんです」
私は彼の袖をつかんで、参道を引き回した。
まずは彫り物師のラルフのところ。「これがうちの狛犬を彫った職人です!」ラルフは、木彫りのアンとウンを自慢げに掲げてみせた。次は宿屋。「お祭りのときは、ここが満室になるんですよ。お泊まりになります?」宿屋のおかみさんが、ぜひ、と身を乗り出した。お客さまは、あわてて首を振った。それから鍛冶屋お花を売る娘さん、御朱印を書いているお手伝いの巫女さん。私は片っぱしから、お客さまを引き合わせた。
行く先々で、私は声を張った。
「王都から、はるばるお越しのお客さまです!」
そのたびにみんなが手を止めて、遠くからようこそと笑いかける。鍛冶屋のおやじさんは、うちの釘は丈夫だよ、と胸を張りお花の娘さんは一輪どうぞ、とお客さまの胸に花を挿した。巫女さんにいたっては、せっかくだから御朱印を、と筆を構えかけてお客さまは本気であとずさった。
すれ違う人みんなが、王都のお客さんと会釈していく。お客さまの背中がだんだん丸くなっていくのが、うしろから見ていて、なんだかおかしかった。そんなにあちこち紹介されるとは思っていなかったのだろう。でもうちの町はみんな親切だ。せっかく遠くから来てくださったのだから、この親切をぜんぶ味わって帰ってほしかった。花を挿されて困りきっているその横顔には、少し申し訳なかったけれど、それ以上にみんなに歓迎されているのが、私にはうれしかった。
そうして引き回したあげく、私は彼をお屋敷まで連れていってしまった。
「ジークさま! 王都からのお客さまです。」
書斎で書きものをしていたジークさまが、顔を上げた。氷の辺境伯と呼ばれる、無口な当主さま。その人がお客さまを上から下まで、ひと目で見た。
「……教会の、査察官だな」
言い当てられてお客さまはまた石になった。私はへえ、と思った。査察官さん、というのか。どうりでうちのことを、あんなに丁寧に見てくださるわけだ。
「あのそういえば」私はそこでふと思い出して、たずねた。「私、まだお名前をうかがっていませんでした。私は、スズランと申します。あなたは?」
お客さまはしばらくためらってから、観念したように低く名乗った。
「……ドレン、だ」
「ドレンさん」私は、その名をうれしく繰り返した。「じゃあ、ドレンさん。なおさら、ぜんぶ見ていってくださいね。うちのいいところ、まだ半分もお見せしていませんから」
ジークさまが、こちらを見た。それからほんの少しだけ息を吐いた。あきれたようなけれど、とがめてはいない吐き方だった。
「……肝が太いな」
「肝、ですか?」私は思わずおなかに手を当てた。「私、そこは丈夫なんです。むかしからなにを食べても、ちっともこわさなくて」
ジークさまが一瞬きょとんとした。それからふいに口もとを手で覆って、肩をゆらした。笑いを、こらえきれなかったらしい。あの氷の辺境伯がである。
私はなにがおかしいのか、わからなかった。でもジークさまが笑うところなんて、めったに見られない。それがなんだかうれしくて、つられて私も笑った。
ドレンさんだけが、その場で石のように固まっていた。氷の辺境伯が声を殺して笑い、追放聖女がつられて笑う。そんな光景を、彼はまばたきもせず見つめていた。査察の帳面には、きっと書きようのないことだった。
* * *
それからも私はドレンさんを放さなかった。
うちの泉を見せお守りの作り方を実演し、御朱印帳の見本を広げ、おみくじの箱を差し出した。彼は義理でおみくじを一本引いて——大凶を引き当てた。『隠しごと、露見す』。二度見三度見していたけれど、私は気づかないふりをして、次の案内に移った。うちのおみくじは正直なので、こういうこともある。
そのあいだも私のお願いは止まらなかった。
「あのですねうち人手が足りないんです。だから王都に帰ったらリタさんとノエルを、こっちに寄こしてもらえませんか。あの二人祈りは丁寧だし掃除も上手で。こっちに来たら三食昼寝つきでお給金も出ますって、伝えてください」
「……そのようなこと、私の一存では」
「あじゃあ、大司教さまに直接お願いしてもらえますか? 燭台級の聖女を、あと三人ほど。できれば五人。門前町がこれだけ大きくなると、一人じゃ回らなくて」
「大司教、さまに」
「はい。ついでに大司教さまにも、お守りをおひとつどうぞって。銅貨五枚です。あのお年ですから、腰とか肩とかきっとどこか痛いはずで。よかったらこちらまで買いに来てくださいって。あ、遠いですよね。じゃあ、ドレンさんが持って帰ってさしあげて」
「……お待ちを。私はそのそういう役目では」
「あ、そうだ。次はぜひお仲間の査察官さんたちも、みんなで来てください。うち、大人数でも大歓迎ですから。お祭りの時期に合わせてくださると、なおいいですね。屋台がいっぱい出るので。旅籠もお安くしておきますよ。なんなら査察のついでに湯治もどうぞ。うちの泉、体にいいんです」
査察の集団に、湯治をすすめる追放聖女。ドレンさんはもうなにをどう思ったのか、頭を抱えはじめた。
私はそんなドレンさんのふところに、おみくじだの甘酒の瓶だの御朱印帳だのを、次々と押しこんだ。
「これリタさんとノエルと、ミレイユに。それから、東棟でいっしょだったみんなに。おみやげです。ああ、荷物になっちゃいますね。ごめんなさい。でもみんなにスズランは元気にやってるよって、これを見せてあげてほしくて」
押しつけられた甘酒の瓶を、ドレンさんは困った顔で抱えた。
それから彼は少しためらってから、
「からだの痛みに効くお守りはこれか?」
授与所に近づいて、お守りを一つ自分で手に取った。おみやげの山とは別に、きちんと銅貨を五枚、並べて置く。
「はいありがとうございます」私は、そのお守りを両手で包んで、いつものようにていねいに祈りを重ねた。
* * *
翌朝、ドレンさんは山を下りていった。
両手もふところも、うちのおみやげでいっぱいだった。おみくじ御朱印帳甘酒の瓶、マーサさんが持たせたパンの包み。もはや旅の巡礼者というより、行商から帰る人のありさまだった。——ただご自分で買われたお守りだけは、いちばん深いふところに、ほかのものとは分けて、そっとしまっていらした。帳面には、いったい何が書けたのか。たぶんほとんど白いままだったと思う。
鳥居の下でアンとウンが彼を見送った。にこにこのアンと、むっつりのウン。開けた口と、閉じた口。その両方が参道の左右から、下りていく背中を見つめていた。
私は鳥居のところまで出て、頭を下げた。
「お気をつけて。——報告は、」
ドレンさんの動きが、止まった。
「見たこと聞いたこと、ぜんぶそのまま伝えてくださいね。うちのいいところ、ひとつ残らず。それからリタさんたちのことも、忘れずに。——待ってますって」
ドレンさんはしばらくこちらを見ていた。それからこれまでで一番深く、腰を折って一礼した。査察官の会釈ではなかった。参拝者の礼だった。そうして、荷物を抱え直して山を下りていった。
私はその背中が見えなくなるまで、鳥居の下に立っていた。となりでアンがいつものように笑っていた。いい人だったなあ、と思った。今度はぜひリタさんとノエルを連れて、また来てほしい。
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