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謹んで、お受けいたします(一) 十年のただ働きが、本日をもって終わります

「スズラン! 燭台級ごときが妃の座に就けると思うな。貴様との婚約を——破棄する!」


 王宮の大広間に、ユリウス殿下の高らかな声が響きわたりました。


 片手を天井のシャンデリアへ掲げた、これ以上ないくらいに決まったお姿。数百の視線が、いっせいに私へ突き刺さります。同情、嘲り、扇の陰からのぞく好奇の目。


 婚約破棄。しかも、こんな晴れの舞台で、公衆の面前で。


 ——ありがとうございます。


 喉もとまで出かかった言葉を、私はすんでのところで飲み込みました。さすがに、まだ早い。まずは、しおらしく振る舞わねば。


 私は、姿勢を正しました。背筋を伸ばし、腰を折り、両手を胸の前で静かに重ねる。教会に入って十年、来る日も来る日も叩き込まれた、我ながら惚れ惚れするほど美しい、最上級の礼を。


 そして、一拍の間も置かず、はっきりと申し上げました。


「謹んで、お受けいたします」


 水を、打ったようでした。


 あれほどざわめいていた広間が、しん、と静まりかえる。どこか遠くで、貴婦人の扇が手から滑り落ちたのでしょう、かたん、と乾いた音が、やけに大きく響きました。


 殿下が、掲げた手をそのままに、口を半分開けて固まっています。決めポーズのまま、時が止まったようでした。


「…………え。早くない?」


 早くはありません。むしろ、十年も待たされたぶん、遅かったくらいです。


(ただ働き、終了ーーーーっ!!)


 喉の奥の、ずっと奥のほうで、盛大な祭りが開催されておりました。太鼓が鳴り、笛が高鳴り、櫓の上では誰かが餅を撒いている。


 ——さて。ここに至るまでの経緯を、少しだけお話ししましょう。


   *  *  *


 ことの起こりは、その半刻ほど前にさかのぼります。


 王宮の大広間は、天井からしてお金がかかっていました。金箔を貼った梁、雫のように連なる水晶のシャンデリア。壁際には、大陸じゅうの銘酒と、砂糖菓子で組み上げた塔。


 その塔を、私はさっきから、じいっと見つめていました。てっぺんの、砂糖漬けの木の実。あれ一粒で、私の三日ぶんの夕食に相当します。塔ぜんぶなら、ひと月は暮らせる計算です。


(ひとつ、失敬しても……たぶん、誰も気づかない。気づかれない自信がある。というより、私に注目している人など、この広間に一人もいない)


「スズラン。よだれ」


「出てません」


 隣の同輩に小声で指摘され、私は慌てて口もとを押さえました。出ていませんでした。危ないところです。


 なにしろ、教会を朝の三時に出てから、私はまだ何も食べていないのです。修道女の朝は早い。水を汲み、上級聖女がたの支度を整え、半日がかりで馬車に揺られて王都へ。お腹の虫は、先ほどからずっと、控えめな声で苦情を申し立てておりました。


 今宵の催しは、光神教でいちばん華やかな行事——光珠こうじゅ測定の御前披露。純白の法衣の聖女たちが、順にあの水晶玉へ聖力を注ぎ、その光の強さで格付けをされる。強い光を出せる者ほど、格上。それがこの国の、揺るぎない常識です。


 壇の中央で、光珠がまばゆく弾けました。


「聖灯級……! 史上初の、聖灯級です!」


 係の神官が、震える声で叫びます。わあっと沸く会場。私も、素直に手を叩きました。うん、綺麗。花火みたい。


 壇を下りてくるのは、プリメラさま。すっと背筋の伸びた、息をのむほど整った顔立ちのひとです。その完璧な横顔が、ふ、とこちらへ向きました。


「スズラン。あなた、いつまで燭台級でいるつもり?」


 棘のある声、ではありませんでした。むしろ、事実を淡々と確かめるような、静かな声。


「さあ。祖母譲りの体質でしょうか」


「……体質」


 呆れられました。まあ、そうなりますよね。


 けれど私は、見ていました。この方の指先が、あれだけの光を出したあと、ほんの一瞬だけ、細かく震えていたのを。あんなに強い光を、毎日毎日、何件も出させられていたら、それは疲れるでしょうねえ。——と、他人事のように思います。


「……あなた、腐らないのね」


 去り際、プリメラさまが、ぽつりとそう言いました。振り返りもせずに。


「腐る?」


「十年、燭台級。誰にも期待されず、こき使われて。……普通なら、とっくに腐るわ」


 どう答えたものか、少し迷いました。腐るも何も、私にはこの十年、腐っている暇すらなかったのです。水を汲んで、祈って、札を書いて。忙しさは、案外、いちばんの薬なのかもしれません。


「お腹が空いていると、腐っている暇もないんです」


 我ながら、間の抜けた答えでした。プリメラさまは、ほんの一瞬だけ足を止めて——それから、何も言わずに、侍女に囲まれて去っていきました。高嶺の花、という言葉は、ああいう方のためにあるのでしょう。私のような者とは、住む雲が違います。


「次、スズラン」


 係の神官に呼ばれて、私は光珠の前に立ちました。


 両手をかざし、手を清め、時間をかけて。この珠に光を分けてやるのだと、相手の顔を思い浮かべるように、ゆっくりと祈りを込める。前世で覚えた、祖母ゆずりの作法です。


 もっとも、ただの水晶玉に、相手の顔もへったくれもありません。それでも、手を抜いた祈り方というものを、私はどうしても知らないのです。祖母に、そう教わらなかったものですから。急いでも、雑にしても、私の祈りは、私の速さでしか進んでくれません。


 ——光珠は、ろうそく一本ぶんくらいの、頼りない光を、ぽう、と灯しました。


 会場のあちこちで、押し殺しきれない失笑が漏れます。ぷ、とか、くす、とか。慣れています。十年、こればかりでしたので。


「燭台級。相変わらずですね」


 神官が羊皮紙に書きつけながら、うんざりした声でつぶやきました。ええ、相変わらずです。それより、今日のお夜食にパンが二切れ出るのか一切れなのか、私にはそちらのほうが、よほど重大な議題でした。

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