断末魔
朱莉が紘毅から剣を受け取り、正面玄関へ向かう。診療所に残った太慎は、出て行く一同に一度大きく頭を下げると、それ以降何も言わなかった。
外の気配を探りながら、先頭に立った蓮玉が扉を開ける。開けたと同時に奏琳が息を飲み、朱莉は小さく悲鳴を上げた。
「…なんだ、こりゃあ…」
やっとそう言ったのは紘毅で、それも無理からぬことと言えた。
診療所を囲むように張り巡らされた結界に、まるでくもの糸のように楠木の根が絡み付いているのだ。
「大した執念だねぇ、もはや根しか残っていないというのに」
呆れたように呟いたのは誄岑だ。彼女が張った結界を、今は蓮玉が風で補強している。風に撥ね退けられ、焔に焼かれてもなお、絡みつく根は後を絶たない。
「根っこだけになってもこんなにしつこいのに、誄岑はよく一人で相手にしたよなぁ」
心底感嘆する紘毅に、誄岑はまぁねと肩を竦めた。
「ありがとな。誄岑は朱莉のためにがんばってくれたのかもしれないけど、ここがやられたら俺も困るんだ。誄岑がいてくれなかったら、親父も村のみんなも危なかっただろうし」
その言葉に、誄岑は一瞬だけ目を見開いた。それから、暖かく笑う。
「どういたしまして」
全員が診療所の外に出て、扉をしっかりと閉める。念のためにと、楼峻がさらに扉を補強する壁を作った。
「では、姫。準備はよろしいか?」
誄岑の問いに、少々不安げな顔で、それでも力強く朱莉がうなずく。預かった長剣を握り締めた。その表情を見て、火の精霊は笑う。
「あなたなら出来るよ。心配は要らない」
「そう、かな」
「あなたに無理なら誰にも無理だ。四精霊の主は、幻術師ごときに負けないよ」
誄岑に続いて、紘毅も言う。
「自信持てって。大丈夫だよ」
ぽんと朱莉の肩を叩くと、でも、と言いにくそうに細い声が返って来た
「わたし、今から紘毅のお父さんを…」
「ああ? なんだお前、そんなこと気にしてたのか。ばーか。見たこともない親より、お前とこの村のほうがよっぽど大事に決まってるだろ」
「あ、それはそうだよね」
納得するのかそこで、と誄岑が唇だけを動かした。
「話はまとまりましたか」
だいぶ前から口を挟みたかったのであろう蓮玉が、いつもよりも眉間の皺を数本増やして主に言う。この男にしては我慢したほうだと、誄岑はこっそり苦笑した。
そんな誄岑を一瞬だけ睨み、蓮玉は紘毅にここから動くなと告げる。
「貴様が出てきたところで役に立たんからな」
「む、失礼な」
「ご了承ください、紘毅殿。もし楠木がなりふり構わず襲ってきたら、結界の中にいないと危険なのです」
申し訳なさそうな口調で奏琳に言われれば、紘毅も強くは出られない。しぶしぶ了承して、今しがた出てきた扉に寄りかかった。
「気をつけてな」
むすっと朱莉に言えば、剣を抱えた少女はにこりと微笑んだ。
「行って来るね」
いややっぱり駄目だ無理だ嫌だ危険だから行って来るな俺と替われ。
とは言えずに、短く「ああ」と答えた。
結界を出る前に、朱莉の身体を蓮玉の風がすっぽりと包んだ。これで、朱莉に直接的な攻撃は届かない。ただし朱莉からの攻撃もできないので、楠木に剣を突き刺すその瞬間に結界を説く必要がある。その瞬間を計るのが一番難しいと思われた。
「信じてるよ、蓮玉」
幼い主は、風の精霊に微笑む。信頼を与えられた精霊は、黙って頭を下げた。
結界から出たらすぐに木の根が襲ってくるかと思っていたが、予想に反して木の根は朱莉から距離をとろうとしているようだった。本能で、天敵だと悟ったのかもしれない。これも、楠木に根付く幻術師の意思か。
朱莉に手を出さない代わりのように、楠木は誄岑に狙いを定めてきた。少し前の恨みだろう。
「誰であれ、しつこいと嫌われるものだよ」
ひょいひょいと根っこを交わす誄岑は、薄く笑う余裕さえある。一人じゃなくなったことが大きいのだろう。彼女は舞うように攻撃を避けて焔を繰り出した。まず、結界に這い回っていた根に、蛇のような焔が絡みつく。待ち構えていたように他の精霊たちが動き出した。
蓮玉が焔を煽って飛翔する。誄岑の補佐に入りながら、びゅんびゅんと飛んでくる根をかまいたちで蹴散らした。
相変わらず姿を見せない楼峻は、大地を操作して朱莉一人が通れる幅の道を作る。両側には壁を作って、一種の廊下のような体裁だ。木の根は本来土の中を突き進むが、そこは奏琳が水で徹底的に固めて通さないようにした。
朱莉は駆け出した。緊張していたが、怖くはなかった。危ないから、抜き身の剣を持ってあんまりうろうろするなよ。そう言った紘毅の言葉を守って、ある程度走ってから剣を鞘から抜く。
抜いた瞬間、手が震えた。重さのためではない。まるで、柄から見えない触手が伸びてきて腕に絡まったような、そんな感覚がしたのだ。それは不快なものではなく、むしろ誰かと一緒に剣を握っているような、心強さを思わせるものですらあった。
朱莉は剣を両手で握った。不思議なことに、幹のどこに剣を突き立てればいいかがわかっていた。紅爛の導きかもしれないと、どこかで思っていた。
幹を見据えてひた走る朱莉の狙いに気が付いたのか、それまで遠巻きにしていた根っこが次から次に襲ってきた。だがそれらはすべて精霊たちに退けられ、朱莉は無傷でいられる。
目標まであと二歩というところで、風の結界が解けた。最後の一歩を大きくし、楠木に飛び掛るようにして剣を幹に突き立てる。朱莉の力では刺さらないのではないかと心配されていたが、意外なほどにあっさりと剣は幹に突き刺さった。
その瞬間、足場が揺れた。
「きゃっ…」
咄嗟に剣にしがみつく形になり、奇しくも剣は楠木にさらに深く刺さっていく。蓮玉がすぐに結界を張りなおしたおかげで物理的な被害はないが、大地が激しく振動しているのが判る。
朱莉が最初に考えたのは、地精霊の安否だ。
「楼峻!」
「姫、楼峻ではございません」
聞こえてきたのは奏琳の声だ。蓮玉、誄岑の両名は未だに猛り狂う楠木の根を相手にやり合っていて、地上には降りてこられない。その奏琳も姿が見えるわけではなく、おそらくは土に入り込んだ水を通して声を飛ばしているのだろう。
「おそらくは楠木の断末魔です。柄を放さないでください」
「う、うん!」
放すなと言われるまでもなく、今はしがみつくしかない。
そのままどのくらい時が経っただろう。振動が、唐突に止んだ。
「あ…」
楠木がおとなしくなっていく。同時に、上空で戦っていた蓮玉と誄岑にも、ひっきりなしに飛んできていた攻撃が急にやんだ。
顔を見合わせて、同時に下方を見やる。視線の先には、主と楠木がいた。よくよく見れば、朱莉が剣を突き刺したところから徐々に楠木が朽ちていっている。
どちらからともなくうなずいて、ゆっくりと下降して行った。柄にしがみついたままの朱莉には、顕現した奏琳が付き添っている。
「なるほど。これが、「主」が手に持つということか」
着地した誄岑は感心したように呟いた。朱莉が持つ剣からは、紘毅が持っていたときには感じられなかった、神々しいまでの清涼感がかもし出されている。反比例するように、楠木の禍々しさは収束していた。
「誄岑、お願い」
楠木が完全に鎮まった頃、朱莉は振り向かずに言った。
「この木を、完全に燃やして」
剣を突き立てて封印するだけではだめなのだ。それでは、いつまた封印が解けて暴れ出すともわからない。楠木自体には申し訳ないが、この木は幻術師の魂もろとも完全に消滅させなければならない。
誄岑はうなずいた。
「個人的な借りもあるしね」
呟いて、朱莉を少し下がらせる。同時に、楠木を焔で包み込んだ。元々炭になりかけていた上に幹と根っこしか残っていなかった楠木は、抵抗する術もなく果てていく。
やがて、それは楠木ではなくただの木炭へと姿を変えた。全員が一様に息をつく。
「終わった、の?」
「想像していたよりは、あっさりと片が付いたような気もしますが…」
奏琳の言葉に、誄岑はいや、と首を振る。
「まだ完全に片付いたことにはならないよ。紘毅の様子を見なければね」
そうかとうなずいて、朱莉は診療所を振り返った。楼峻が作った結界はすぐに解かれ、診療所の前で所在なさげに佇んでいた紘毅と目が合う。
「紘毅!」
「おお、大丈夫か?」
まったく変わらない様子の紘毅に、一同が安堵した。楠木の様子を見て状況を判断したのか、紘毅は朱莉たちのほうへ小走りに近寄ってくる。
「おー、終わったのか。見事に真っ黒焦げだなぁ」
軽く言ってのける紘毅はやはり、変わった様子はない。
「紘毅は、平気?」
「おう、まったくなんともない。どっこも変わらないし」
聞いてきた朱莉に、自分の身体を軽く叩きながら紘毅は答える。肉体的にも精神的にも変調はどこにもなかった。
――このときまでは。
「この剣、どうしよう。抜いてもいいのかな?」
長剣が突き刺さったままの楠木を見下ろして、朱莉が言う。
だが、結果的に迷う必要はなかった。極自然に、剣が勝手に幹から抜け落ちたからである。深々と突き刺さっていたはずなのに、かしゃんと音を立てて剣は地面に転がった。
「え、なんで…」
かなり深く抉っていたはずだ。朱莉の力では抜けないのではと思うほどに。なのに、誰の力を加えることもなくそれは抜け出た。
怪訝に思い、全員が剣を突き立てていた幹の場所を覗き込む。一応警戒して、蓮玉を筆頭に、誄岑、奏琳が続き、最後に紘毅と朱莉が。
その瞬間に、閃光が弾けた。
「!」
幹が光って、全員の視力を数瞬奪う。立っていた位置が幸いし、最初に目を開けたのは朱莉だった。朱莉は確かに見た。幹から放たれた閃光が、まっすぐに紘毅へと向かっていくのを。
「紘毅!!」
叫び声が完全に形になる前に、紘毅は倒れた。




