狙い
蓮玉が降りてくるのを感じ取ったのか、楼峻と奏琳は結界を解いた。その途端、朱莉が駆け出す。
「誄岑!」
風をまとってゆっくりと降りてきた蓮玉は、静かに静かに誄岑を地面に横たえた。この時にはすでに、蓮玉の髪や瞳は元の白銀に戻っている。
「誄岑…。蓮玉、誄岑は」
気を失ったままの誄岑は硬く瞳を閉じていて、無事なのかどうか見ただけではわからない。真紅のはずの彼女の髪や衣装がまったく違う色になっている。毒々しいほどに艶やかな紫を含んでいるようで、朱莉は息を飲んだ。
「大丈夫です。姫、これに治癒をお願い申し上げる」
「うん!」
両手に意識を集中させる。朱莉が生み出した暖かな光が、誄岑の身体を包み込んだ。赤い蝶へと姿が戻って、やがて左腕の冠の中に吸い込まれるように消えていく。
「冠の中で治療できるのか?」
「うん。この中のほうがずっと回復が早いから」
紘毅に答えて、朱莉は冠を外し、両手で握りこんだ。力を注いでいるのだろう。
「蓮玉ってさぁ」
しばらく朱莉を見守っていた紘毅だったが、やがて蓮玉に顔を向けた。
「なんだ」
「なんで誄岑を名前で呼ばないんだ?」
「貴様に関係無い」
答える蓮玉の表情に変化はない。だが、先ほど紘毅は蓮玉が焦っている様をしっかりと見たのだ。誄岑が無事だった安堵感も手伝って、おかしくなってきた。
「最初に楠木が襲ってきたとき、お前誄岑に怒っただろ。「何してる」って。あれって、もしかして誄岑を戦わせたくなかったからか?」
無言が返って来た。
「間に合って良かったな。朱莉が治してくれるよ」
「良かったのはわたしではなく治されたほうだろう」
「素直になれよ、この仏頂面」
言った瞬間、超局地的な突風に額をはじかれた。
「ぐおっ! いってぇじゃねぇか、こら!」
「姫のお気が散る。無駄に大きな声を出すな」
ぐ、と紘毅が黙る。蓮玉をからかいたいだけであって、朱莉の邪魔をする気は無いのだ。
ゆっくり、ゆっくりと冠に翳した朱莉の手から放たれていた光が収束していく。しばらくしてから、朱莉は冠を再び腕に嵌めた。
「…たぶん、もう大丈夫。どのくらいの時間が掛かるかは、判らないけれど」
誰もが安堵の息を付いた。
「ありがとうございます、姫」
礼を言ったのは奏琳だ。水の精霊は、朱莉の手を取って頭を下げた。
「ありがとうございます、主。我が同胞を救ってくださって」
「奏琳…」
奏琳はずっと震えていたのだ。朱莉に心配をかけまいとして、いつもより気丈に振舞っていた。めったになかった強い視線は、そうすることで自分をも支えていたのだろう。
泣きそうな奏琳に、朱莉は笑う。
「少しは、主らしくなれたかな?」
ちゃんとした主になると決めてからまだ一日も経っていない。拒絶してきた日々に比べれば、まだまだ足りない。
「ごめんね。みんな」
心のどこかで拒絶し続けてきた朱莉を、それでも護ってきてくれた精霊たち。誄岑は、文字通り命がけで朱莉の依頼を守り通したのだ。主になりきれない主の、「村を護って欲しい」という願いを。
「誄岑が回復したら、ちゃんとお礼を言って謝らなくちゃ」
「謝罪も謝礼も無用です。あれは、姫のご命令を果たしたまで。そして、無茶をしたのはあれの勝手な判断」
切り捨てるように言った蓮玉に、朱莉は首を傾げる。
「蓮玉って、どうして誄岑には冷たいの?」
「いやいや朱莉。別に冷たいわけじゃねぇぞ?」
口を出した紘毅はくくくと笑っている。
「こいつは単に…てぇっ!」
先ほどと同じく、風圧が紘毅の後頭部にぶつけられた。
「てめ、いい加減に」
「姫。お疲れでしょうが、診療所へ。太慎殿も待っておられる」
「無視かこら!!」
頭を抑える紘毅を黙殺し、蓮玉は朱莉を促して歩き出そうとしている。文句を言い倒したい気持ちはあったが、確かに診療所は心配だ。あとで絶対にいろいろ言いふらしてやると心に誓って、紘毅は朱莉とともに診療所へ足を向けた。その背中に、奏琳が声をかける。
「わたしと楼峻は、ここに残ります」
「え、どうして?」
「姫がこの土地を封印なさるまで、この楠木に結界を張ります」
「でも楠木は、誄岑が倒してくれたよ?」
「おっしゃる通りですが、それだけで幻術師の呪いまでが解けるとは思えませんし、魂が滅んだとも言い切れません。わたしにも楼峻にも楠木を根絶やしにする力はありませんが、動けないように結界を張ることなら出来ますから」
大丈夫だから早く診療所へ、と奏琳に言われ、朱莉は心配そうにしながらも診療所へ歩き出した。蓮玉が歩き出し、紘毅も背を向ける。
その、瞬間だった。
「――紘毅殿!!」
「へ?」
反射的に振り向くと、何かが自分に向かってものすごい勢いで突撃してきていた。
「なっ!?」
周囲に、突如として土の壁が現れる。ごうっと音がして、さらに風が壁を覆っているのが判った。
「なんだぁ?」
「わ、わからない…」
隣に佇む朱莉も呆然としている。
「今のって…」
「楠木の根かと」
応えた声は、土の壁から聞こえてきた。楼峻だ。本当に久々に声を聴いたが今それはどうでもいい。
「上を」
言われて頭上を仰いだ二人は、そろって目を見開いた。土の壁はちょうど雪で作るかまくらのような形をしていたが、楼峻が意識して頭上を少しだけ開けてくれたようだ。そこから、木の根が見えた。紘毅の二の腕くらいの太さがある根が、何本も何本も蛇のようにのたくって、何かを探すように動いている。
蓮玉が風で結界を張っているので入ってくることはないが、あまり目の保養になる光景ではない。
「あれが、木の根…?」
乾いた声は朱莉のものだ。楼峻はすぐに頭上の空間を閉じた。
「本体は誄岑が燃やしたから、土の中から根っこが出てきたのか?」
「おそらく」
土を押しのけて、木の根は紘毅を襲ってきた。だからこそ土の精霊である楼峻が異変に気付き、紘毅はなんとか事なきを得たのだ。
「さっきさ、あれって、俺を狙っていたよな?」
誰にともなく、紘毅は確かめるように口を開く。
幻術師を封印したのは朱莉の先祖だ。ということは、決して面白くはないが、狙われるのは朱莉であって紘毅ではないはず。
「どういうことだよ…」
「その、背中の長剣」
口を開いたのは蓮玉だった。背の高い彼は、腕を組んで紘毅を見下ろしている。
「これ?」
やや唐突ではあったが、紘毅は背中に挿している剣を手に取った。
「わたしには、お前にというよりその剣に向かっていたように見えた」
「剣に?」
聞き返した紘毅に、蓮玉はうなずく。精霊たちは総じて視力がいいが、風という属性によるものなのか、一番動体視力が優れているのは蓮玉だ。その彼が言うからにはそうなのだろう。
「その長剣、どうした?」
「どうしたって…。知ってるだろ。捨てられてた俺のすぐ隣に置いてあったって」
生まれたばかりの紘毅は、楠木の根元に置き去りにされていた。その隣に、この剣が置いてあった。まるで、紘毅を護るように。
「これが、どうかしたのか?」
紘毅の問いには答えず、蓮玉は考え込んだ。
「蓮玉…。まさか」
窺うような奏琳に、蓮玉は目だけでうなずいた。
「どういうこと?」
朱莉に聞かれ、口を開いたのは奏琳だ。
「覚えていらっしゃいますか。伝説の最後を。――紅爛様が、幻術師をどうやって封じたか」
――楠木に、長剣を持って幻術師を縫い付ける形で止めを刺した。それが、幻術師の最期。
朱莉と紘毅は、同時に合点がいった顔をした。
「…おい、まさか…。この、剣が」
「幻術師に止めを刺した、件の剣であるならば、最初から貴様が狙われていたことも納得がいく」
確かにその通りだ。最初に楠木が暴れだしたとき、枝はそばにいた精霊ではなく、紘毅を狙っていた。さきほども、出現した根は一目散に紘毅に向かってきた。
楠木は、最初から紘毅ではなく紘毅が背負った長剣を狙っていたのだ。
「この剣が、伝説の…」
手に取った長剣をまじまじと見る。蓮玉の剣よりも少し幅が太い両刃の剣は、紘毅には慣れた重さだ。
「なんでそんなもんを俺が持ってんだよ」
「わたしに聞くな」
「楠木がこの剣を奪ってどうするんだ? 復讐のために壊そうってのか?」
「判らん」
「幻術師の目的が復活と復讐なら、剣じゃなくて朱莉を狙うのが筋だろ。させないけど」
「当たり前だ」
どこまでも不機嫌に、蓮玉は一応の返事をする。蓮玉にだってどういう事態なのか解っていないのだ。
「捨てられていた貴様の手元にあったと言ったな。どういう状況だったのかを話せ」
「…って言われてもなぁ。捨てられたときのことなんて覚えてないし、っつーか捨てられてたってことも知らなかったし。あ、親父なら詳しく話せると思うけど」
言って、紘毅は診療所を見た。と言っても土の壁でまったく周囲が見えないので、診療所があると思しき方向を見ただけだが。太慎なら、紘毅を拾ったときの様子を克明に話してくれるだろう。だが問題は、どうやって太慎のもとまで移動するかだ。精霊たちの結界は、一度完全に解かないと形を変えることはできない。しかし、この状態で一瞬でも結界を解こうものなら、根はすぐさま襲ってくるだろう。
蓮玉は内心で歯噛みした。火精霊が目を覚ませば、とりあえず焔でなぎ払いながら進めるものを。
と、朱莉がぺたぺたと土の壁に触り始めた。
「朱莉?」
「楼峻、ちょっとごめんね」
断ってから、朱莉は両手を壁に付いた。声をかけることも憚られて、誰もが口を噤む。やがて、地鳴りのような音と共に結界の形状が変わり始めた。
確かに朱莉は結界が扱える。だがそれは治療時に患部を覆うためだけのごく小さいものしか紘毅は見たことがない。また治療時に張る結界は淡い光のようなもので、土を扱えるなど知らなかった。
「お前、こんなことできるのかよ…」
なかば呆然として言う。同様に、精霊たちも驚いていた。ほんの少し前まで主である事実を否定しようとしていた少女が、まさか精霊が作った結界を解かずに形状を変えようとは。あるいは、主であると認めたゆえに今まで抑圧されていた力が一気に解放されているのか。
たいして間を置かず、新しい結界が完成した。診療所まで直通の廊下ができたと表現してもいい。これなら、なににも邪魔されずに診療所まで帰ることが出来る。
「お前、すげぇなぁ」
場違いなほど素直に感嘆の声を上げた紘毅に、朱莉は嬉しそうに笑って見せた。




