焔
「…やれやれ」
火の精霊誄岑は、燃え盛る焔の中で、顔に落ちてくる髪をかきあげた。
燃えているのは楠木だ。村には灼熱の風さえも伝わらぬよう、ちゃんと結界を張り、万が一にも巻き込まぬように、誄岑は空中戦をしている。
焔の中から、ひゅんと音がして枝が伸びてくる。避けた際に、上げた前髪は再び落ちてきた。
「まったく、邪魔くさいね」
呟いて、誄岑は苦無を握りなおした。空いた手で自分の髪を掴んで、苦無を真一文に払う。しゅっという音がして、髪は焼き切れた。
腰まであった髪をばっさりと焼き払って、多少は身が軽くなった。短くなった髪を一房掴んで、誄岑は口の端を上げる。
「女に髪を切らせるとはねぇ」
そうしている間にも、楠木は枝を伸ばしてくる。誄岑の焔が絡み付いていてもお構い無しだ。葉はすべて落ちたが、枝も幹も少々焦げているだけで、まったく朽ちていこうとしない。
剣術でいう突きを繰り出してきたり、足元を凪ごうとしてきたり。それらの攻撃をすべて紙一重でかわしながら、誄岑はどうしたものかと考えていた。
今使っている焔は、人間たちが使う火と性質はさほど変わらない。こちらは燃料を用意する手間がいらず、勢いが格段に上だということくらいだ。しかしこれで焼き払えないなら、精霊としての焔で焼くしかないだろう。
自然界には、人間が扱えない焔がある。人間がどんなに力や技術を使っても、蓮玉のように人やものを押さえつける風は操れないように、また、奏琳のような氷の幕を張れないように、もしくは、楼峻のように陥没させた地面を一瞬で元通りに出来ないように。
誄岑にしか操れない焔があるのだ。四精霊中、もっとも危険な技である。
風は、そこに空気があれば起こせる。水は空気中に含まれているし、土がない場所などない。しかし焔は、燃料があって着火材があって初めてそこに存在する。着火材は誄岑の術で済むが、燃料、この場合は楠木だが、その燃料が使えず、しかも普通の焔では焼けないとくればどうすればいいか。
誄岑自身が、燃料となるのだ。
「背に腹は代えられない、か。人間はうまいことを言うものだね」
そんな場合ではないのに軽く笑って、ふと真面目な顔になる。誄岑はためらわなかった。
焔を纏う苦無の一つを逆手に持ち、自らの胸に突き刺したのだ。割れた皮膚の間に指を入れ、口の中で呪文を唱える。
やがて、傷口からそれまでとはまったく色の違う焔が噴出した。赤い焔ではなく、紫に近い色の焔が。これまでの焔とは勢いも量も比べ物にならない。
誄岑の紅玉のような瞳と、真紅だった彼女の髪と着物が、焔と同じような艶やかな赤紫に染まっていく。人間が見たら、美しいを通り越して恐ろしいと感じる色合いだ。
蓮玉が速度を上げたのは、ちょうどこのときだった。




