封印
蓮玉と紘毅が掻い摘んで事情を話すと、朱莉はさすがに緊張したようだった。
「それで…。村のみんなは?」
「分かんねぇ。とりあえず、寝てるだけで緊急に命に関わることはないって親父が言ってたけど」
それを聞いても、じゃあ安心だねとは言えない。朱莉は、そっと次の質問をした。
「……誄岑、は?」
「もっと、分かんねぇ」
「あれは無事です」
朱莉に釣られて声を落とした紘毅にかぶさるように、蓮玉が断言する。
「我々精霊同士は、同胞に何かがあれば感知できるゆえ。あれは、無事です」
朱莉にと言うより自分に言い聞かせているような声に、紘毅は驚く。蓮玉のこんな声は初めて聞いた。やがて、朱莉が言う。
「そう、蓮玉がそう言うならきっと大丈夫ね」
朱莉の口調も、まるで言い聞かせるようだった。そうするしかなかった。
「それで、原因って…?」
この質問に対しては一瞬の沈黙が落ち、答えたのは奏琳だった。
「おそらく、封印が解かれたためかと思われます」
「封印?」
「あの村に伝わる伝説を、ご存知でいらっしゃいますね?」
「もちろん、知ってるよ。悪い幻術師を、神女様が滅ぼしたっていう話でしょ?」
「俺も知ってる。昔散々聞かされたからな」
「あの話、ただの伝説や御伽噺ではありません」
「うん?」
「あれは、本当に昔あった話です」
話の繋がりが解らずに、朱莉も紘毅もあいまいにうなずく。
「あの話に出てくる、神女が幻術師に止めを刺した楠木。あれが、あの村の楠木です」
蓮玉は、一心に村へと向かっている。そんなに高いところを飛んでいるわけではないのに、雑木や動物が障害になることがない。まるで障害になるものの方から避けていっているかのようだ。これが、精霊の力。
「神女は、幻術師に止めを刺した直後に事切れたことになっていますが、本当は少し間があるんです」
「え、どういうこと?」
「彼女は、剣をもって大木に幻術師を縫い付ける形で止めを刺しました。しかし、幻術師はその瞬間に、術をかけたのです」
「術を? 神女に?」
「いいえ。その時すでに人間に術をかけられる様な力は残っていませんでした」
「じゃあ、なにに…」
「楠木に。そして、自分自身に」
「はぁぁ?」
「どういう意味?」
間の抜けた声を出す紘毅を制して、朱莉が続きを促した。
「楠木には、木の主は自分であると。そして自分自身には、自分の魂は楠木とともにあると」
朱莉と紘毅は二人はそろって首を傾げた。意味がよく解らない。奏琳は、もう一度言った。
「楠木に思い込ませたのです。楠木の主は自分であると。楠木に関わらず、この世に存在するすべてのものには意思があります。草木にも、水にも、火にも。その意思を自覚しているか否かの違いです。火や水、風、大地が自意識を持ち、自らの意志で動くようになったのが、我々精霊です」
うなずく朱莉の隣で、紘毅はへぇと感心している。
「幻術師は、目覚めていなかった楠木の自意識を引きずり出し、同時にそこに暗示をかけたのです」
―――我はおぬしが主。おぬしが存在意義は主の報復。おぬしには力がある。我をかばい、我を宿し、我を修復させる力が。
「修復? 楠木が? そんなことできんのか」
紘毅の問いには肯定が返って来た。
「可能です。現在、薬師たちが使っている薬も、薬草を煎じたもの。元はただの草です。自然界の治癒力の高さは、ご存知でしょう」
「ああ、まあ」
「だからこそ、楠木の自我を目覚めさせ、その治癒力を自分のために使うよう暗示をかけたのです。薬師に煎じさせる必要がないように。そもそも、楠木の成分を煎じることなど普通の薬師には出来ません。吾妻ならともかく」
「なるほど。朱莉は、できるわけ?」
「んーと。やったことはないけど、たぶん…」
「ふうん。お前やっぱりすげぇな」
朱莉が手を翳せば、どんな雑草ですらも効能の高い薬に代わる。相手が草ではなく木であったとて変わりはない。それだけではなく、薬草を煎じるたびに、朱莉の身体には薬草の力が少しずつ蓄えられる。それを解放すれば、軽い怪我ならすぐ治る。
村を出る前に紘毅の手のひらの傷を治したのが、その能力だ。非常に不公平な能力なので、めったに使わないようにしているのだが。
「で、自分にも幻術かけたってのは?」
「幻術師の奥義、だそうです。自分の魂を切り離し、新しい宿主に移るという幻覚を自分と宿主に見せるのだとか。それによって、使い物にならなくなった肉体を切り捨てて、新しい身体を手に入れられるそうです」
「うわ、なんでもありかよ」
「ただし、それはすべて術によるもの。新しい宿主が術にかからないほど強い精神力を持つか、そうではなくても、術が解けてしまえばそこまでです。その点で、楠木は格好の的だったのでしょう。それまで自我が無かったのですから」
奏琳はさらに続ける。
「幻術師の企みは、突き刺した剣を介して神女にも伝わりました。しかし、神女には他人にかけられた術を解くことはできません。だから、楠木を村ごと封印したのです。ご自身を、媒体として」
「自分、を?」
なんとなく先が見えた朱莉の問いかけに、奏琳はうなずいた。
「楠木を中心として、四方にご自身のご遺体を埋め込んで結界を結んだのです」
「い、遺体?」
さすがに紘毅が声を上げる。
「正確には、ご遺灰を。神女は、事切れる前に村に印を結び、ご自分の遺灰を印の要に埋め込むよう指示し、幻術師と楠木を封印すると同時に村に結界を張ったのです。まさに、命がけで」
紘毅は黙った。気圧されたのではなく、あまりにも話が大きすぎて付いていけなくなったというほうが正しい。
「その封印が、解かれたの?」
「蓮玉と誄岑はそう判断したようです。わたしと楼峻は自分の目では確認しておりませんが、我らが同胞に間違いはないと思っています。幻術師の魂が入り込んでいるわけですから、もはや楠木自身が幻術師だと言っても過言ではないでしょう」
「そう。それって、原因はやっぱり…」
誰もなにも言わなかったが、そのことがかえって朱莉に確信を持たせた。
「伯母上が、何かしたのね?」
「姫がお気に病むことではない。あなたに非などあろうはずがない」
「でも」
「気にすんなって。よく分かんねぇけど、封印が解けたんだろ? なら、また結んだらいいじゃん」
あまりにもあっさりと言った紘毅に、苦笑しながらもうなずいたのは奏琳だった。
「おっしゃるとおりですね」
「だろ? で、どうすりゃいいんだ?」
「姫なら再び結界を結ぶことが可能です」
「朱莉が?…って、ちょっと待て」
紘毅は馬鹿だが愚かではない。奏琳の話は難しかったが、大体は聞いていたつもりだ。奏琳は言っていなかったか。命がけで、自分の遺灰を使って村に封印を施したのだと。
「まさか、朱莉に同じ方法をとらせようってんじゃないだろうな」
凄む紘毅に、冷静な声が投げられる。
「貴様は本物のたわけか」
「わたしたちが姫をそんな目に遭わせるとお思いですか。心外です」
「……すみませんでした……」
蓮玉、奏琳に続き姿を見せない楼峻のため息までもが聞こえた気がして、紘毅は小声で謝るしかなかった。
「えーと。で、その方法は?」
「それはわかりません。ご存知なのは姫だけです」
「わ、わたし?」
名指しされて、朱莉が慌てる。
「ご存知のはずです。あなただけが」
「ちょ、ちょっと待って。わたし、何も知らないし。聞いてないよ? それに…」
朱莉は、当惑して奏琳を見た。
「ねえ、奏琳。奏琳だけじゃないけど…。どうしてそんな昔の話を知っているの? それに、その神女様が亡くなってから、ご遺灰を埋めたのは誰?」
奏琳は見てきたように話をしていたが、紘毅と違って細かいところまでちゃんと聞いていた朱莉には、様々な疑問が浮かんでいたのだ。
「まだあるよ。伯母上が何かしたから封印が解けたんでしょ? 伯母上は、誰からそんな封印の話を聞いたの? 封印が解けたからって、どうして村の人たちが暴れたうえに倒れたの?」
ああ、言われてみれば、と紘毅が隣で呟いている。
「どうして封印できるのがわたしだけなの?」
そして、と続ける。
「…伯母上は、何をしたの?」
ややあって、答えたのは蓮玉だった。
「封印の要となった四箇所から、遺灰を入れていた櫃が消えておりました」
「…あのばばぁ…」
紘毅が呟いて、朱莉の頭を軽く叩いた。
「気にするなよ」
「…うん。大丈夫」
力なく答えながら、朱莉は思い当たることがあった。那珂の無意味とも思える寄り道。あれは、盗んだ遺灰を処分するためだったのだろう。
しかし今は、それを考えていても仕方が無い。
「伯母上は、いったい誰から何を聞いたの?」
これにも、答えたのは蓮玉だった。
「想像に過ぎませんが、あの女は、幻術師の術にかかっているのではないかと」
「え? だって、幻術師を解放したのが伯母上なんでしょう? それだと順番が…」
「そこです。我々もそこが解らなかった。しかし、こうは考えられまいか。あの女が幻術にかけられていたわけではなく、幻術にかかったままになっていたのが、あの女だったのだと」
「え…」
朱莉も紘毅も首をかしげる。言葉にしたのは紘毅だった。
「わけが解らん。どういうことだ?」
「つまりだ。あの伝説は、多少脚色してあるが大筋は実話だ。幻術師が恐ろしい存在だと今でも言われているのは、当時の帝が送り込んだ討伐隊を、幻術師がことごとく打ち滅ぼしたという事実があるからだ。しかも、討伐隊の中に別の術師がいたにも関わらず、だ」
「まあ、そうだな」
「では、幻術師の存在自体は、どこから帝に伝わった?」
「どこからってそりゃ、誰かが都に行ったとしか…」
考えながら答える紘毅の隣で、朱莉が何かに思い当たったように「あ」と声を上げる。
「そう。誰かが帝に伝えなければ、帝は兵を動かさなかった。そして兵を動かさなければ、帝が抱えていた術師まで討たれることはなかった」
そこまで言われて、紘毅もやっと理解できてきた。
「罠だったのか? 幻術師の」
「証拠は無い。しかし、幻術師が帝の抱える術師たちを恐れて分断を狙っていたとしたら、帝の座を明け渡せと言いながら都ではなく小さな村を狙ったのも納得がいく。幻術師の存在を知れば帝は兵を動かすだろうが、自分の手元を空にしたりはしないだろうからな」
蓮玉の言葉に、奏琳が続ける。
「そして、間者を送り込むならば、幻術師が成りすますよりも本当の被害者を操ったほうが、嘘が露見しにくいでしょう」
「神女によって、幻術師は滅ぼされた。封印と結界によって、術にかけられていた村人も正気を取り戻した。だが、術をかけられつつ村の外にいた者は? 術師が死んだら正常に戻っているという保障は無い。しかも、幻術師の肉体は確かに滅びたが、魂は生きていた。楠木の中で」
朱莉の表情に緊張が走る。
「まさか、その子孫が――」
「あの女ではないかと、我々は見ています」
「でも、そしたら吾妻の一族みんなってことにならねぇか? 下手したら朱莉もだろ」
当然といえば当然の紘毅からの疑問に、首を振ったのは朱莉だった。
「違うの。伯母上が、さっき叫んだこと覚えてない?」
――わたしは、前当主の長子となったのよ!
「伯母上は、吾妻の血は引いていないの」
吾妻の初代当主は、女性だったと朱莉は聞いている。因果関係があるのか判らないが、吾妻はずっと女系の一族なのだ。当主になるのも、精霊を呼び出せる者がいない代は、性別に関わらず長子が当主を継いできた。吾妻に産まれれば、誰であろうとあらゆる医療技術を学び、そこに男も女も関係が無いからだ。
だがしかし、朱莉の伯母は、弟である朱莉の父親に当主の座を譲らなければならなかった。何故ならば、本来なら彼女は吾妻の血筋ではなかったからである。
「伯母上はね、前当主…わたしの祖母なんだけど、祖母の再婚相手の連れ子なの」
前当主の元々の夫は、結婚してすぐに地方で起こった戦争の地に医者として赴き、戦いに巻き込まれて亡くなった。子どももおらず、当時は精霊を呼び出せる者もいなかったため、次期当主の席が空白になった。当然のように、一族内での当主争いが勃発。そこで、当主だった朱莉の祖母が取った行動は、次期当主の候補を出すことではなく自分が再婚することだった。自分の子どもに継がせたかったのだ。
そして再婚相手だったのが、当時都で吾妻に次ぐ医師の名家の嫡男。彼も夫人を病気で亡くしたばかりだった。彼には子どもがいた。それが、那珂だ。
「でも、その再婚のあとでわたしの父が産まれて、伯母上は当主になれなくなっちゃった。父が産まれるまで、必死に吾妻のために勉強していたのに」
那珂の、必死の形相が目に浮かぶ。
「それでも伯母上は父とは仲が良かったから、父が当主になることは受け入れていたみたい。……わたしが、産まれるまでは」
たかが四つの少女が当主の席に座れるのに、吾妻に翻弄されて、死に物狂いで勉強してきた自分は、当主の親ですらない。一生、その席には座れない。それどころか、吾妻の血筋でもないのに当主になろうとしていた那珂は、ずっと一族中に冷たい視線で見られてきた。
「伯母上だって、必死だったのに」
結局、朱莉には那珂を憎むことはできない。朱莉への態度はどこまでも理不尽だが、しかし那珂も十分に理不尽な目に遭ってきたのだ。
「そんなことがお前を殺していい理由になるか」
「ならぬな」
「なりませんね」
紘毅、蓮玉、奏琳がそれぞれ切り捨てる。どんな理由があっても、朱莉に危害を加えようとした事実は動かない。
「人が好すぎる。とにかく! あのばばぁには吾妻の血は入ってないと。で、ばばぁの先祖が術にかかっていた可能性があるってことだな」
「ああ。幻術にかかっていた者の血を引き、皮肉にも吾妻に育てられたのだ。精霊たちを姫から引きはがせば、幻術師は復讐が為しやすくなるしあの女は当主になれる。面白くない利害の一致だ。冠が先か主が先かを幻術師が判別する術は無いから、あのような奇行に走ったのだろう。帝への間者とするくらいだ。おそらくかなり高濃度な幻術を掛けられていたはず。いまだに残っていても不思議ではない」
なんとなく話は解った。だが、紘毅はまだ納得できない。
「それで、どうして今なんだ?」
「様々なことが重なったのだろう。まず、姫の存在」
「ん?」
「精霊を呼び出す者がいなければ、冠を取り上げることができないだろう」
「あ、なるほど」
「そして、都の病」
それを聞いて、朱莉の顔色が変わる。
「流行り病は、伯母上の嘘ではなかったの?」
「偽りです。ただ、少し前まで風邪が流行ってはいたようです」
答える蓮玉は、苛立っているようだった。
「今更言うのも迂闊ですが、診療所で太慎殿に流行り病の病状を聞かれたとき、あの女は一瞬言葉に詰まっていたと記憶しています。実際にはそんなものは流行っていないのだから、答えられなくても当然かと」
言われて、そういえばと思う。そしてすぐに話を逸らされていたような。
「都に流行ったのは単なる風邪。少し性質が悪かったらしく長引く者もいたようですが、今は吾妻が薬を作って騒ぎは収まっています。無論、死者も出ておりません」
「そう、なんだ…」
「長い年月をかけて、幻術師の力が少しずつ回復したのでしょう。回復したから、間違いとはいえ冠の意味を知ったとも考えられます。何か理由をつけて、姫を村から連れ出す機会をうかがっていたのでしょう。思えば、嫌悪しているにも拘らず、何年かごとに村に様子を見に来ていたのも同じ理由ではないかと。例えば村で姫が体調を崩していれば、連れ出す理由には十分です」
「え、でもなんでわたしを連れ出そうとなんて…」
「姫が村から出るということは、我々精霊も出るということです」
実際には、誄岑が残ったわけだが。
蓮玉の言葉を、奏琳が引き継いだ。
「これが先ほどのご質問の答えです。何故、わたしたちが神女伝説の真相を知っているのか」
答えは想像がついた。そしてその想像は裏切られることは無かった。
「あの時、神女の手足となって戦い、神女の遺灰を櫃に入れて印の要に埋めたのが、我々精霊だからです」
「奏琳たちが…。あ、じゃあ、神女様が操った妖術って」
「精霊たちです。我々の姿は人間には見えませんから、妖術のように見えたのでしょう。正確には、今の我々ではなく当時の精霊たちになります。そうですね、我々の先祖という言い方が一番近いでしょうか」
「へぇ。精霊たちにも、そんなのがあるんだな」
「はい。精霊は、常に主の生命とともにあります。まったく同じ瞬間ではないにせよ、主の寿命が尽きるときが、我々精霊の寿命が尽きるときです」
先祖が何を体験したのかは産まれる前から知っている。だがそれはあくまで知識としてあるだけで、体験した記憶があるわけではない。言うなれば、書物を読み込んで暗記したようなものだ。
「先祖の記憶に寄れば、幻術師は相当な恨みを神女様に持っていたようです。村人が暴れて倒れていったのも、紅爛様への意趣返しのつもりかもしれません」
「そっか。紅爛への恨みが村全体への恨みにすり替わったってことか」
紘毅や太慎に対する罵詈雑言も、術のせいだったのだろう。だとすれば、紘毅の気持ちも楽になる。
「先ほど伯母上に我々の姿が見えていたのも、幻術師の力が回復していることの証左になります。同じ術師なら、姿が見えてもおかしくありません」
なるほど、と紘毅は呟く。
「そして、姫。どうしてあなたなのか。それは、あなたが我々四精霊を呼び出せたからです。神女――紅爛様と同じように」
それは、神女と呼ばれた人間と同じ能力を有していることを意味する。
「伝説の神女は…、吾妻の人だったの?」
返事は「はい」だった。
「吾妻の当主でした。しかし、紅爛様は吾妻を出奔しました」
「……すっぽん?」
「しゅっぽん。行方をくらますっていう意味よ。平たく言えば家出かなぁ」
小声で呟いた紘毅に、すかさず朱莉が説明を入れる。
「家出? 当主なのに? なんか、無責任じゃねぇか?」
「おっしゃるとおりですが、そうせざるを得なかったのです。事情がありまして…」
言いよどんだ奏琳に、朱莉は理由を察知した。
「それって…。わたしと同じ理由?」
「同じ理由って…あ」
遅れて、紘毅も気が付いた。
初代を除く吾妻の歴代当主は、四人で手分けして精霊たちを呼び出していた。紅爛は初代当主ではない。それなのに四精霊全員を呼び出した。それは彼女の才能を物語ると同時に、朱莉が受けた嫉妬や羨望、僻みや殺気までをも彼女も受けていたということに他ならない。
「そっか、それで家出したのか。紅爛も大変だったんだなぁ」
うんうんとうなずいて、紘毅は続ける。
「で、そんな大切なこと、なんで今まで黙ってたんだ?」
その問いに、奏琳は何かを言いあぐねるように黙る。
「奏琳?」
「それは…」
「わたしのせいだよ」
答えたのは朱莉だった。
「わたしが、四精霊を受け入れてなかったからでしょう?」
奏琳が瞠目する。
「姫、ご存知で…」
紅爛は、吾妻を出ることになっても精霊たちを受け入れ、各地を巡り、その能力を駆使して人々の病気を治し、最終的には幻術師を滅ぼした。だが朱莉は。
「わたしが、吾妻と離れることになったのは精霊たちのせいだって、どこかで思っていたから…」
護られていることは知っていた。命を救われたことも解っていた。だがそれでも、当時の朱莉は主の器よりも両親のぬくもりが欲しかったのだ。両親に拒否されたように朱莉に拒否される、精霊の気持ちからは目を逸らして。
朱莉は、濃紺の蝶に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。みんなのせいなんかじゃ、ないのに」
「いえ、姫が謝罪することなど何一つありません。わたしたちの方こそ…」
「ううん、わたしが」
謝り合いになりそうな二人を制したのは紘毅だ。両手を使って二人の間に割って入る。
「はいはい、そこまで。二人して謝りまくってどうすんだ。どういう意味だよ?」
大いなる自然から産まれてきた四精霊は、ただ在るだけでも甚大な力を持っている。だが、その力を存分に引き出して操れるかどうかは、主の器にかかっている。そもそも器ではない人間は主になれはしないのだが、例え器があったとしても、主が精霊たちを拒否すれば、その力は発揮されてもせいぜい半分だ。
朱莉は、心のどこかで主である自分を拒否し、ひいては精霊たちを拒否していた。自分にそんな力がなければ、両親はきっと朱莉を捨てなかった。那珂はあそこまで壊れはしなかった。
主でさえなければ、朱莉は実の親に殺されかけることもなかった。
「みんな、知ってたんだよね? わたしが、どこかでみんなを拒否してたこと。……責めてた、ことも」
精霊たちは答えなかった。主に嘘はつけない。
「紅爛様の生まれ変わりだなんて話をしたら、きっともっとわたしに拒絶されると思っちゃったんでしょう?」
口元だけ無理して笑う朱莉は、紘毅の知る泣き虫の少女ではなかった。
「ごめんなさい」
「いいえ」
凛とした、細くも強い声が朱莉に返される。奏琳だ。
「いいえ、姫。わたしどもは、拒絶されるのが怖くて黙っていたわけではありません。すべてをお話すれば、姫は重責から逃げることなく、立ち向かうとおっしゃったでしょう。されど、お一人で立ち向かうともおっしゃったでしょう。主を一人で戦いに向かわせるなど、わたしたちには出来ません」
紘毅の中で、奏琳の印象が変わり始めていた。こんなに自分の意見を言うような性格ではなかったのだが。これも、朱莉が主としての自覚を持ったからだろうか。
「…ま、いいことだな。たぶん」
言いたいことは言ったほうがいいに決まっている。
つぶやいた紘毅の隣で、朱莉が奏琳をまっすぐ見つめている。
「…逃げないよ、もう」
さほど大きな声ではない。それでもその凛とした声は、その場に響いた。
「はい。我が主」
答える奏琳の声も、しっかりと響いた。
よし、と紘毅は両手を叩く。
「んで、具体的にはどうすんだ?」
謝る必要はないと精霊たちが言っている以上、この話はここまでだ。それよりも、早く村に帰って暴れている楠木をなんとかしなくてはならない。今こうしている間にも、誄岑は一人で戦っている。
「あの楠木、なんで俺に向かってきたんだろうなぁ」
紘毅が独白のように言ったとき、急に空を翔る速度が上がった。風を感じるわけではないが、景色が流れる速度が格段に上がったのだ。
「蓮玉?」
朱莉の声に、巨大化した黒い蝶は、少し間を置いてから口を開いた。
「飛ばします」
もう飛ばしている。だが、紘毅はそれを言うことをためらった。それほどまでに、蓮玉の声が硬かった。よく見れば、奏琳の顔も青ざめている。
「どうした?」
「…しんが…」
「うん?」
「誄岑が」
朱莉も不安そうに奏琳を見た。
「誄岑が、危険な状況に追い込まれていると、思います」
「!」
奏琳の言葉に呼応するように、蓮玉はさらに速度を上げた。
精霊たちは、同じ自然から産まれたものだ。そのためか、それぞれの状況が、ある程度は他の精霊にも伝わるようになっている。手に取るようにわかるわけではないが、誰かが戦闘状態にある時、とりわけ命の危険が迫っている時は、夜の海のような暗い不安が迫ってくるのだ。
人間で言う虫の知らせと似ているが、それよりももっと正確で、もっと性質が悪い。外れることがないからである。
「誄岑…」
不安そうな朱莉に、紘毅はただ隣に座ることしか出来なかった。




