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食事

「なぁ、朱莉」

「うん?」

 紘毅に答える朱莉はもういつもの朱莉に戻っていて、先ほどまでの剣幕が嘘のようだ。一方の紘毅も少し前までの刺々しさは残っていない。

「お前さぁ、村に来たばっかりのとき、ろくに食事しないで倒れたことがあっただろ。あれって、もしかして死ぬ気だったのか?」

「え…と」

「こ、紘毅殿」

「へ?」

 濃紺の蝶の言葉に、紘毅が間の抜けた声を上げる。畳み掛けるように蓮玉が言った。

「貴様、気を遣うという言葉を知らんのか」

「はぁ?」

「い、いいよ、二人とも。変に気を遣われても、ねぇ?」

 慌ててとりなす朱莉に、精霊二人が黙る。

「そうそう。だって気になるんだもんよ。で、どうだったんだ?」

 朱莉にしかわからない程度に、紘毅の声が低くなる。

「えっとね、ごめん。よく覚えてないの」

「覚えてないって、お前」

「ごめん。本当に、あんまり覚えてないの」

 食事を摂っていなかったために朦朧とした頭で、覚えているのは広がる台地と、青い空と、楠木と、そして。

「紘毅のご飯が、美味しくなかった…」

「…お前…」

「だ、だって…」

 太慎に連れられて村に移ってからも、朱莉はろくに食事を摂ろうとしなかった。かろうじて水分を摂っている程度だった。

「なんかね、本当に、食欲が無かったの。死のうとか考えていたわけじゃなくて。食欲が、無かったの」

 死にたいと思っていたわけではない。だが、生きようとも思っていなかった。その結果、食事を摂ることをやめた。

 そんなある日、心配した紘毅が朱莉のために握り飯とみそ汁を作ったのだが、その不味さときたら、親族たちが作った毒入りの食事のほうがまだ美味いのではないかと思えるほどだった。どうしてみそ汁からごりゅっという音がしたのか、今でも不明だ。

 その後十二年間、家事をする朱莉の隣にいたおかげで、今の紘毅は握り飯と汁物くらいならかろうじて作れるようになったのだが。

 あの時の不味さは、もはや伝説と言っていい。

「で、でも! 美味しかったよ? えーと、そう、お漬物は」

「漬物はてるばーちゃん作だ! ってかお前があからさまに気を遣ってんじゃねぇか」

「あ、そうだね。ごめん」

「謝るな!」

 むきになる紘毅に少しだけ笑って、朱莉は息をついた。

「…わたしはいないほうが、両親も嬉しいのかと思って」

 紘毅の目が細くなった。怒っている証拠だ。

「あの、黙っててごめんね? だって、楽しい話じゃないし…」

「殴ってもいいか?」

「えっ? あの…。ごめんなさい…」

 重大な事実を黙っていたことに、紘毅の怒りは頂点に達しているらしい。殴られるのも仕方が無いのかと朱莉は目をつぶった。が、続く紘毅の言葉に目を開ける。

「お前の両親」

「…え?」

「おい、蓮玉。ちょっと下ろせ。都に寄ってこいつの両親ぶん殴ってから帰る」

「ちょ、ちょっと紘毅」

「殴るのは賛成だが次の機会にしろ。なんなら連れて行ってやる。今は時間が勿体無い」

「蓮玉!」

 あっさり答えた蓮玉に朱莉は慌て、救いを求めるように奏琳を見る。水の精霊は「ご安心を」と朱莉に微笑む。

「証拠隠滅はお任せください」

「そうじゃなくて!」

 奏琳まで?と驚きを隠せない朱莉に、紘毅は安心させるように力強くうなずいた。

「大丈夫だ、朱莉。心配するな。気が済むまでしか殴らない」

 しかし方向が違っていた。

「あのね、紘毅…」

「許せるわけねぇだろうが!!」

 本気で怒鳴られて、朱莉がびくりと震えた。紘毅は朱莉の両肩を掴む。その細さと薄さが、痛かった。

 こんなに小さいのに、当時はもっと小さかったはずなのに、あんな伯母を始めとする親族中からの嫉妬に耐え、嫌がらせに耐え、罵倒に耐え、殺気を浴び、実の親に殺されかけても恨み言一つ言わなかったのか。

 自ら食事を摂ることを拒否してもなお、幼い朱莉が両親を呼んで泣いていたことを知っている。紘毅は、朱莉につらく当たるのは伯母だけかと思っていたが、そうではなかった。

 考えてみれば、朱莉が村に来てから十二年。朱莉の両親から仕送りはおろか文の一つも届いたことは無いのだ。太慎はもとより紘毅は、そのことを朱莉に聞いてみたこともなかった。太慎は事情を知っていただろうし、紘毅が気にならなかったのは、彼にも両親がいないからだ。

 朱莉は、一言も漏らさなかった。両親のことも、朱莉に対する仕打ちも、どれだけ傷付いたのかも。

 こんなに、小さな身体で。

「…許せるわけ、ねぇだろうが…」

「ご、ごめんね?」

「お前が謝るな! ってかまずお前が怒れ! 怒り狂え! 両親ぶん殴ってあのばばぁに謝らせて勝ち誇って高笑いをしてこい!」

「で、でも…」

「大体なんだお前のこのちっちゃさは! こんなにちっちゃいからなんだか切なくなるだろうが!」

「ちっちゃいのはわたしのせいじゃないもん。身長だってまだ伸びるもん」

「とにかく食え! お前この数日間で痩せただろ。食って太れ。蓮玉を押しつぶすくらい太ってしまえ!」

「えー? 太るのはやだー」

「お前がちょっと食ったくらいでそんな簡単に太るか!」

 ぎゃんぎゃんと言い合う二人を、奏琳は微笑んで見守っている。話の論点がずれていることは、あえて黙っておくことにした。

「とにかく殴る。ぶん殴ってぶっ飛ばして吊るして揺らして放り投げる! そんでお前に謝らせる!」

 もはや言っていることが意味不明であることも、あえて言わないことにした。

「紘毅、暴力はだめだよ。痛いでしょ?」

「お前の痛さに比べりゃなんてこたぁ無いだろうが!」

 朱莉がまた震えた。ただし、それは怒鳴り声に慄いたわけではなく涙が出そうになったからだ。

しかし、ここで見せるべきなのは泣き顔ではない。

「なに笑ってんだよ」

「えへへ。なんだか嬉しくて」

「嬉しがるな。怒れ。この際だ、お前も殴れ」

「もういいよ」

 朱莉は笑った。なんの憂いも無い笑顔だった。

「もういいよ。落ち着いて?」

「…それ、さっきの俺の台詞じゃねぇか」

「うん。だから、もういいよ」

 にこにこと笑う朱莉の意図はよく解らなかったが、その笑顔に毒気が抜かれたような気がした。そんな笑顔を見せられては、とりあえずはまあいいかと、そう思ってしまう。機会があったら必ず殴り飛ばしてやると、物騒な考えは朱莉には内緒にしておこうと思った。

「姫」

 話が途切れるのを待っていたかのように、蓮玉の硬い声が入ってくる。

「村に、異変が起こっています」

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