那珂
最初に動いたのは蓮玉だ。
「とにかく、村へ帰られよ」
那珂の存在を完璧に無いものとし、蓮玉は朱莉に向き直る。その口調から、朱莉の表情が引き締まる。先ほどから、精霊たちがこんなに急いているのは初めて見た。
「でも、伯母上は…」
「放っとけ。ってか放っとかれてる内に行ったほうがいいと思う」
朱莉の肩に手をかけた紘毅に、ふよふよと浮いた蓮玉は言う。
「…最近、貴様と意見がよく合うな。不本意だが」
「こっちの台詞だ」
「何をしているの、朱莉」
上機嫌なままの那珂に話しかけられ、朱莉は一歩下がった。気持ちが悪いほどに優しげな声。朱莉の中の何かが、離れたほうがいいと告げていた。
「どうしたの? 別れを済ませて早くお行きなさい。もう、あなたはいいのだから」
「え? あの、伯母上?」
「これでやっと両親のもとへ帰れるわね。まあ、これまでの親不孝を考えれば歓迎されるとは思わないけれど」
「何を言って…」
「ああ、大丈夫よ。わたしはあなたを許すから」
意味が解らない。ただ、楽しそうに話す那珂の笑顔が怖かった。
「何を許すって? 許してくれの間違いじゃねぇのか」
紘毅の声も届いてはいないようだ。朱莉は、また一歩下がった。
那珂が、怖い。
今までは、萎縮してしまっていても本当に怖いと感じたことなどなかったのに。
得体の知れない恐怖が、朱莉を襲っていた。じりじりと下がっていく身体が、動けなくなるほどに。そしてそれは、蓮玉や奏琳にすらも伝染していた。彼ら精霊は人間に対して恐怖という感情は持っていないが、女がかもし出す不気味な雰囲気に、半端ではない警戒心が芽生えていた。
焦点の合わない目で笑う那珂。朱莉は、動けない。緊張と恐怖に、身体が支配されていた。
「お、おばう…」
「よし。んじゃ、帰るか」
紘毅の声は、あまりにもあっさりと朱莉を恐怖から引き上げた。あっけらかんと、紘毅はさっさと朱莉の腕をつかんで引き寄せる。
「おい、蓮玉、奏琳。帰るぞ」
せっかく帰っていいって言ってんだし、と続ける紘毅の袖を、朱莉がきゅっと掴んだ。珍しい行動に、紘毅は首を傾げる。
「ん? どうした。気分でも悪いのか?」
朱莉は、首を振って紘毅を見上げた。袖を離して、ほっとしたように笑う。
「紘毅、すごいねぇ…」
「そうか。何が?」
しかしその笑みは、那珂が近づいてきたことによって遮られた。
「さっさと帰りなさい、朱莉」
あごでしゃくって、言葉を体現している。
「あなたの役目は終わったのよ。もういいから帰りなさい。さあ、早く」
那珂はまだ笑っていた。いびつに顔を歪めて笑っていた。大きく開いた目で朱莉を凝視して。そんな那珂の視線が、朱莉の腕で止まる。正確には、腕に嵌めた冠で。
「その冠…」
反射的に、朱莉は右手で左腕の冠を隠した。
「その冠を、わたしに」
言った途端、朱莉の肩を奏琳が抱く。二人の前に紘毅が。その更に前に、一瞬で人型になった蓮玉が立つ。彼の声は、いつも以上に低く響いた。
「下がれ。我が姫に近寄るな。貴様、何故この冠の意味を知っている?」
だが、蓮玉の冷たく厳しい眼光にも、那珂は一向にひるまなかった。歪んだ笑みはそのままだ。精霊たちの警戒心が高まる。
この女は、朱莉に近づけられない。
「…どうしたの?」
心底不思議そうな問いかけは、那珂から発せられたものだった。何故、今その問いが彼女から発せられるのか。那珂以外の誰もが同じ疑問を抱いていた。
「知っているのは当然でしょう? これからは、わたしがそれを持つのだから」
言って、薄く笑ったまま朱莉へと近づいてくる。
「早くこちらに渡しなさいな。……そうだわ、あなた。持ってきなさい」
それが自分に言われているということに、蓮玉が気付くまで時間がかかった。
「…貴様如きがこの風精霊に命令か」
蓮玉の周りに風が巻き起こる。草木はうねり、雲は流れ、気温まで下がったような気がした。なのに、那珂は動じるどころかどこか誇らしげに笑みを湛えている。
「ああ、大丈夫よ。わたしはあなたも許すわ。今までのことはすべて水に流してあげるから、安心なさい」
完全に話がかみ合っていない。人語が通じないといった蓮玉の言葉も、あながち間違いではなかったらしい。舌打ちをして、蓮玉は朱莉に振り返った。
「…この女の相手などしている時間は無い。姫、失礼」
言い終わるよりも早く、蓮玉は蝶の姿に戻った。いや、戻ったというのは正しくない。それは確かに黒い蝶だったが、大きさが違った。
「乗ってください」
その蓮玉は、馬車馬よりも一回り以上大きかった。巨大な蝶が、そこにいた。
ひぃっと場違いな悲鳴が響く。だいぶ前から固まっていた御者だった。行き場をなくしていた彼は、蓮玉が小さな風を起こしただけで、這うようにしてその場から逃げ出した。
御者の姿が見えなくなるよりも前に、蓮玉は朱莉を促す。
「乗ってください。早く」
「りょーかい」
ひらりと、まず紘毅が飛び乗る。朱莉に手を差し伸べると、朱莉の前に階段が出来た。階段状に、朱莉から蓮玉までの大地が盛り上がったのだ。
「ありがとう、楼峻」
礼を言って、紘毅の手を取って蓮玉の背へ。背は適度な弾力があり、羽根にはさらさらの毛が草原のようになびいていて気持ちよかった。
「奏琳と楼峻は?」
「我々は乗る必要がございませんので」
言って、奏琳は濃紺の蝶となった。確かに、その姿なら朱莉か紘毅の肩にいればいい。朱莉がちゃんと座ったのを見計らって、蓮玉が宙に浮く。浮いた感覚はあったものの、背に乗っている朱莉たちには振動は来なかった。結界が張られているのだ。
「お待ちなさい! 何をしているの? どこへ行くの!」
立ちふさがったのは、やっと不気味な笑みを表情から消した那珂だった。信じられないものを見るように蓮玉を凝視している。
「どこに行こうというの!」
「ああ? あんたがさっき行けって言ったんだろうがよ」
「お前なんかに聞いていないわ、無礼者! わたしを誰だと思っているの! 吾妻の当主よ!?」
「いや、そんなん俺に関係無いし。っつーかあんた当主だっけ?」
眉を寄せた紘毅から視線を外し、那珂は恐ろしいほどの形相で朱莉を睨みつける。
「朱莉! 早く冠をわたしに寄越しなさい! 悪あがきはみっともないわ!」
あまりの剣幕に、朱莉は驚くばかりで何も言えない。先ほどから、自分の伯母が何を言っているのかまったく解らないのだ。
疑問を口にしたのはやはり紘毅だった。
「おいおい、こりゃ朱莉のもんだろう。なんであんたにやるんだよ」
「精霊たちの主がわたしになったからに決まっているでしょう!!」
「はぁ?」
その様子を黙って見ていた蓮玉は、やっとある可能性に気が付いた。今の今まで気が付かなかったのは、迂闊としか言いようがないだろう。都へ向かった自分が、早くに気付くべきだったのに。
封印が解かれていた。おそらく引き金になったのは朱莉の旅立ち。連れ出したのは、目の前の女。そんなことは判っていた。だが逆に考えたとき、何かが見えてはこないか。
何故、この女が朱莉を連れ出したのか。何故、朱莉の嵌める冠の意味を知ったのか。
巨大な蝶は、低い声で那珂に問いかけた。
「…貴様、誰に何を聞いた?」
「わたしが主になったのよ! どうして朱莉を乗せるの!? 勘違いなら許してあげるわ、早く降りてきなさい!」
「答えろ。誰に入れ知恵された?」
「わたしが主よ! 早く冠を寄越しなさい! もうあなたに嵌めておく権利は無いのだから!!」
やはり話が通じない。朱莉は、動揺して那珂を見た。鬼気迫るその表情は、もう誰の言葉も受け付けそうにない。
「伯母上…」
「それをあなたがまだ嵌めているからわたしが主になりきれないのだわ。寄越しなさい。それはわたしのものよ!」
「伯母上」
「早く寄越しなさいよ! わたしのものなのだから! 早く、早く!」
朱莉は、那珂の顔をじっと見た。真っ赤になって叫んでいる顔を。
すっと、心のどこかが冷えていくのを感じた。
隣に座る紘毅を見る。その肩に留まる奏琳を見る。みんな、ここに居る。
ここに、居てくれている。
朱莉が那珂を見下ろす。その後ろで、紘毅はぼそりと呟いた。
「……ここは一つ、誰もいないことにするのが一番だと思うんだけど、どうだろう」
間髪入れずに蓮玉が答える。
「姫の性格でそれが出来れば苦労はしない」
「だって話が通じねぇじゃん。時間、勿体無いし」
「誄岑のことも心配ですし、後で甘んじて姫のお叱りを受けるということにしませんか」
「それもやむを得んか」
「さーんせい」
三人の話はまとまったが、一方の大地では、顔を真っ赤にした女が半狂乱になって叫んでいた。
「降りてきなさい、朱莉! まだ主のつもり? みっともないわ!」
「どっちがだよ。おい朱莉、行く必要…っておい!」
紘毅が止める間もなかった。朱莉は、蓮玉の背中から飛び降りたのだ。とっさのことで楼峻も反応できず、朱莉は着地の際に少しよろめいた。
「朱莉!」
「平気。紘毅はそこにいて?」
追いかけようとした紘毅に、朱莉は微笑む。そこに恐怖の色は無く、いつもの朱莉がいた。蓮玉も奏琳も何も言わない。
「おい、いいのかよ」
「姫がなさることだ」
「我らが姫は、なさるべきことを理解しておられます」
蓮玉、奏琳に続けてそう言われ、紘毅は少々意外ながらも朱莉を見守ることにした。心配なことに変わりはないが、過保護な精霊たちが大丈夫というからには大丈夫なのだろう。
いつでも駆けつけられるように、自分もひらりと飛び降りる。そうしている間にも、朱莉は自ら那珂に近づいて行き、左腕から冠を外した。
「そうよ。渡しなさい。それさえあれば、わたしが完璧な主となるのよ」
朱莉は、黙って冠を差し出す。歪んだ笑顔の那珂がその冠に手を伸ばし――その瞬間、冠は消滅した。
「な…」
驚愕の表情を浮かべる那珂。朱莉は、ただその様子を見ている。左腕には、外したどころか消えたはずの冠が再び嵌っていた。
「何? 何をしたの? どうして消えたはずなのに…」
朱莉は何も言わない。
「お前…。お前が何かしたのね! どこまで未練たらしいのかしら! そんなに渡したくないの!?」
朱莉は、黙ってまた冠を外した。そして、那珂が手を伸ばすとまた消滅した。それが、三回繰り返された。
「なんのつもりなの! 妙なことをやっていないでさっさと渡しなさい! それはわたしの」
「わたしのものです。伯母上」
ようやく発せられた朱莉の声は、紘毅が驚くほど冷静で大人びていた。
「彼らを束ねる証のこの冠は、わたしにしか付けられません。あなたには付けられないことが、今証明されました」
「お黙りなさい!」
叫び声を上げて、那珂は朱莉の左腕を掴んだ。そうして冠を外させようとするも、那珂が触れると冠が消える。
「渡したくないだけでしょう? そうなのでしょう? 姑息な手を使って引き伸ばそうとするなんて…。もうわたしが主になったのよ。いい加減、何も知らないくせにわたしを見下すのはやめて!」
「わたしはあなたを見下したことなどありません。伯母上。本当に、ありません」
「嘘おっしゃい! 今も見下しているじゃないの!」
「そんなつもりは…」
あまりに強く握られて、左腕が痛い。食い込んだ爪に、朱莉は顔を歪めた。
「本当に愚かな子ね! 身の程知らずに目上の者を見下して…。あんな廃れた村で捨て子なんかと暮らすから、こんな卑しくて浅ましい子に成り下がったんだわ! ろくな親もいない子どもなんかと――」
「やめて!」
瞬間、朱莉は左腕を振り払った。
「紘毅を悪く言わないで!!」
朱莉が声を荒げた。それは、那珂はもちろん紘毅でさえも初めて聞くほどの。精霊たちにすら下がらせるほどの。
まぎれもない、怒気だった。
「紘毅を悪く言わないで。紘毅を悪く言わないで! 紘毅を悪く言わないで!! 紘毅を」
後ろから、大きな手が朱莉の口をふさいだ。
「もういいよ」
背後で見守っていた紘毅が、歩み寄っていた。朱莉が苦しくないように、優しく口を覆う。
あてがった手から、震えているのが伝わってくる。怒りのためなのか哀しみのためなのか判らなかったが、朱莉は確かに震えていた。
「朱莉。もういい。落ち着け」
もう一度言って、口から手を放す。朱莉は肩で息をしていたが、やがて言われたとおりに落ち着きを取り戻した。それから、一歩進んで那珂へ左腕を差し出した。
「…差し上げます。そんなに欲しいのなら」
朱莉の怒鳴り声に気圧されていた那珂だったが、目の前に冠を出されて一も二も無く飛びついた。そして、やはり左腕から冠は消滅した。驚いて手を放す。同時にまた出現した。
「なんなの…。どうして」
「ご理解いただけませんか?」
朱莉はまっすぐに那珂を見た。畏怖など欠片も無い、強い目だった。
「あなたはこの冠に触ることすら出来ない。従って、あなたが主になることはありません」
紘毅に背を向けて言い放つ朱莉は、紘毅の知っている少女ではないようだった。だが、彼女が握りしめている右手が震えていることを、紘毅の目は確かに捉えていた。
「お前が何かしているのでしょう? わたしに渡さないために!」
「伯母上の解釈は、おそらく間違っています」
「何が間違いだというの! どうしてお前がいつまでも持っているの!!」
「どなたから聞いたのか知りませんが、この冠を持つ者が精霊たちの主だと聞いたのなら、それは間違いです」
「なんですって…」
「間違いなんです。正確には、この冠を持つ者が主なのではなく、主となれるものがこの冠を持てるんです。似ていますけれど、根本的なところが違います」
冠が先なのではなく、主が先なのだ。精霊たちが出現するための媒介である冠を触れない以上、那珂は主にはなれない。
「その器では、ないということです」
かっと目を見開いて、那珂が朱莉に掴みかかる。紘毅よりも前に、すさまじい風がその手を阻んだ。
「我が姫に触れるな」
声と同時に、朱莉と那珂を断ち切るように透明な氷の壁が現れる。凍てつくような壁からの冷気に、那珂は数歩下がった。
「同じく。我が主に近寄らないでいただきたい」
朱莉と紘毅には冷気は一切伝わらず、また髪の毛一本たりとも強風に遊ばれることは無い。
まるで、主ということを主張するかのように。
「ば、馬鹿にして…。みんなして、わたしのことを馬鹿にして…。どうしてわたしがこんな屈辱を…」
悔しさでわなわなと震え出した那珂に、朱莉は、まっすぐな視線を返した。
「もし、あなたがこの冠に触れることが出来たなら、主を交代しようと思っていました」
その場にいる全員の視線が朱莉に集まる。
「でも、あなたに主は譲れません」
紘毅を罵り、太慎を蔑み、精霊たちを命令のみで動かそうとするような人間には。
「伯母上は、精霊たちの主になってどうするつもりだったのですか?」
「どうって、決まっているでしょう。わたしが吾妻の当主になるのよ。当然だわ」
「吾妻の当主になって、その後はどうなさるつもりだったのですか?」
「あと…?」
朱莉の視線が険しくなる。
「吾妻は、薬師の家系ではないのですか」
「そんなこと、なにを今更」
「では何故、精霊たちとともに新しい薬の開発という言葉が出てこないのですか!」
立ちふさがる氷の壁を通していても、朱莉の声はよく響いた。
「吾妻の名を持って、精霊たちを呼び出せたとして、なぜ薬師としての研究という言葉が一切出てこないのですか。一族の頂点に立って、精霊たちが馳せ参じれば満足だとでもおっしゃるおつもりですか。自分の命令を精霊たちが聞けば、それだけで偉くなれるとお思いですか。――わたしの精霊を、馬鹿にしないでください!」
もはや口も利けなくなった那珂が、圧倒されてその場にぺたんと座り込む。
ずっと逃げていた。目を逸らしていた。だがもう、そうはいかない。
精霊たちは、呼び出せたら終わりではない。そこから始まるのだ。責任と義務が。朱莉には、彼らを現世に呼び出した責任がある。そして呼び出したからには護る義務がある。
朱莉もまた、戦わなければ。幼い朱莉を保護してくれた太慎の為に。当たり前のようにそばにいる紘毅と肩を並べる為に。そして、未熟な朱莉をただ守り続けてくれた精霊たちの為に。
朱莉はもう、逃げない。
「単に手に入らなかったから欲しかっただけではないのですか。…そんなもの、子どもが玩具を欲しがって喚いていることと同じです。もう一度申し上げます」
朱莉が左手を払うように動かすと、氷の壁は霧散して跡形も無くなった。
「あなたに主は譲れません」
朱莉はくるりと伯母に背を向けた。蓮玉の元まで戻って、楼峻が作った階段に足をかける。
「あなたに何が解るって言うの!」
朱莉の後を付いていた紘毅が振り向く。
「わたしは前当主の長子となったのよ!? 当主の座につけたはずだったのに、あなたの父親が生まれてからひたすら日陰だったのよ! 精霊たちを呼び出させればと死に物狂いで勉強したのに、あなたはなんの努力もしないで全てを手に入れたじゃない!」
座り込んだまま身を乗り出して、なりもふりも構っていない様子が滑稽にも見えた。
「精霊たちをかしずかせて何をするかなんてどうでもいいのよ。なにが薬師よ。綺麗事を言わないで!」
「でもあなたは綺麗事すら言えません」
朱莉は、一度も振り返らずに階段を登りきって、蓮玉の背に乗った。それから、やっと那珂を見る。
「わたしは、彼らを呼び出せたがゆえに親に殺されかけました」
紘毅が目を見開く番だった。紘毅は預かったのだと聞いていたのだ。両親が、病弱な朱莉を預かってくれと言い出したのだと。どういうことだと聞くよりも前に、朱莉が続ける。
「特に、父は当主の座が約束されていましたから、わたしが邪魔だったのだと思います。ご存知でしょう?」
「知っているわよ。あなたの食事に混ぜた薬は、わたしが調合したんだもの。あのときに死んでくれていればよかったのよ。あなたさえ産まれてこなければ良かったのに!! なんであんたなんか産まれてきたのよ!」
「だめ!」
鋭い声は、紘毅に向けられていた。再び飛び降りてきた朱莉に、腕を掴まれる。その時になって、やっと自分が剣の柄に手をかけていることに紘毅は気が付いた。
「伯母上。わたしは、自分が主であるということを、恨んだことさえあります。でも今は、主でよかったと思っています。綺麗事すら言えない、汚いことばかりを吐き出すあなたに、大切な精霊たちを預けられませんから」
朱莉の手はもう震えてはおらず、紘毅には暖かさのみが伝わってくる。少しずつ、自分が落ち着いていくのが分かる。もしかしたら、少し前の朱莉もこんな状態だったのかもしれない。
朱莉は、そっと紘毅の腕から自分の手を離した。
「紘毅、行こう。村へ帰ろう?」
促されてもしばらく那珂を睨みつけてから、紘毅はやっと蓮玉の背に戻った。すぐにふわりと浮き上がる。
少ししてから、朱莉は一回だけ伯母を振り向いた。ぴくりとも動いてはいなかった。
空が青いと思った。背筋が伸びたような気がした。
主であると、覚悟した。




