9-2
ルクレツィア・ローゼンシュヴァルツとカイン・フォン・ローデンベルクの結婚は前倒しになった。
建前上は「誘拐されかけたルクレツィアの身の安全を考慮した結果」であるが、実際は、「ローゼンシュヴァルツ家を存続させるために、ローデンベルク家との間で交渉が行われたため」であった。
結婚式当日、ルクレツィアはカインの住む街へと護送されることになった。
カインは家の外に馬車を待たせ、ルクレツィアが出てくるのを待っていた。扉が開かれ、白いウエディングドレスに身を包んだルクレツィアがピエールに手を取られながら家から出てくる。
白いヴェールに包まれ、ルクレツィアの顔を見ることはできない。しかし度々の来訪により彼女の美貌を知っていたカインは、感嘆のため息をこぼした。
ウェディングドレスを着用して直接式場に向かいたいと聞いた時は驚いたが、確かにこの美しさは街中の人に知らしめたくもなる。
カインは鼻高々だった。
「お嬢様、どうぞ」
ピエールに促され、ルクレツィアはピエールから手を離す。カインは手慣れた仕草でルクレツィアの手を取り、馬車に乗せた。
「ルクレツィア様……どうか、お幸せに」
ピエールの言葉に、ルクレツィアは小さく頷いた。馬車はゆっくりと走り始める。
ローゼンシュヴァルツ家の結婚を聞きつけた野次馬達が、道路を埋め尽くすように並んでいる。カインは民衆に手を振った。窓の景色は次第に整備された街並みから、のどかな田園風景へと移り変わる。
にこやかな笑みを振りまいていたカインが、笑みを崩し、ため息を吐いた。
「ったく、人気者ってのも大変だね」
カインは着用していたタキシードのボタンを外し、窓枠に腕を乗せる。
「なあ、ルクレツィアちゃん。そろそろそのヴェールを取ってくれても良いんじゃないの? 君の顔を見たいんだけどなぁ」
カインの手が肩に触れる。ルクレツィアは体をビクッと震わせ、抵抗するように首を振った。
「なんだよぉ。今日のルクレツィアちゃんは、ヤケに恥ずかしがり屋じゃねぇか」
でも、抵抗されればされるほど、自分の思い通りにしてやりたくなる。それが男の性というものだ。
カインはかなりの女好きで、数多くの女性と関係を持っていた。浮名が民衆に知れ渡るのを恐れたカインの父親はカインを結婚させることに決めたが、結婚したくらいで浮気をやめるつもりなど、当のカインにはさらさらなかった。
ルクレツィアはカインの趣味ではない。彼はもっと年上の、肉付きが豊満な女性を好んでいる。しかしルクレツィアは子供であり、まだ成長の見込みがある。
自分好みの女性にルクレツィアを仕込んでやろうというのがカインの魂胆だった。
「そんな怖がるなよ。ちゃんと優しくしてやるから、な?」
カインはルクレツィアのヴェールに手をかけ、女性の服を脱がすように、ゆっくりと剥いでいく。布の向こうに、いじらしく頬を赤く染めた少女がいることを疑いもしなかった。
しかし。
「……は?」
9-3
ヴェールの向こうにいるのはルクレツィアではなかった。
「え? だ、誰だお前!」
ドレス姿の少年はニンマリと笑みを浮かべる。
「み〜た〜な〜!」
少年は白いウエディンググローブで覆われた手を振り回し、カインにパンチを喰らわせた。
「1万アルパンチ!」
「ぐぇッ」
「10万アルアターック!」
「ぐはっ」
「100万アルキーック!!」
「うぐッ……」
車上で存分に暴れ回った少年、ミロは満足げに鼻を鳴らす。
「オレの顔拝み代、パンチ及びアタック、キック喰らい代として、合計1000万アルを要求しまーっす!」
ミロはカインに手を差し出した。カインはポカンと口を開き、ミロを見上げる。
「ねー、タカオミくん、これで良いんすよね?」
馬車の外で護衛をしていた貴臣は、馬車の中に向かって頷いてみせた。ミロは白い歯を見せ、力こぶを作る。
「あん時はタカオミくんにぱぱっとやられちゃったけど、オレだってマジで強いんすよ!」
「ええ。本当にミロくんがいてくれて助かりましたよ」
ラルメリアからローゼンシュヴァルツ家の情報を聞いた時、この家は何らかの不正をしている可能性が高いと貴臣は考えた。
だが、肝心の証拠はないため、これから探していかなければと思っていた矢先、事態は動いた。
ピエールが、ローゼンシュヴァルツ家の不正に関する告発状を昴に渡したのだ。
ローゼンシュヴァルツ家に仕える者や部下の中にも当主を快く思っていない人は多くいた。
彼等の告発を王に奏上すれば、事態が何か変わるのではないかとピエール達は考えたのである。
ラルメリアを介してこのことは王に伝わり、結果としてローゼンシュヴァルツ家は失脚することとなった。
そして、ローゼンシュヴァルツ家の不正を暴いたことにより、ローデンベルク家の汚職もまた芋蔓式に暴かれようとしている。
しかし、ルクレツィアの結婚を止めることはこの時点ではできなかった。
王はなるべく事を穏便に済ませたいようで、民衆に向けた正式な発表はローゼンシュヴァルツ家がアルデラを出てからする予定らしい。ローデンベルク家の汚職の証拠を集めている間に、とにかく場を引っ掻き回して、ルクレツィアの結婚を阻止しようと貴臣達は考えた。
そこで時間を稼ぐために思いついたのが「花嫁身代わり作戦」だった。
カインが女好きである以上、他の女性を巻き添えにするわけにはいかない。最初は貴臣が身代わりを申し出たのだが、彼の体型では誤魔化すのに無理があったため、急遽ミロを代役に立てることになった。
貴臣は馬車の運転手に合図を送る。
「ルクレツィア様が馬車酔いしたみたいです。少しの間車を停めてもらえないでしょうか」
運転手はルクレツィアの身を案じ、馬車を穏やかに停車させた。
「ルクレツィア様、大丈夫ですか」
貴臣は馬車の扉を開け、未だ状況を把握できていないカインを見下ろす。
「カイン・フォン・ローデンベルクさんですね」
「そ、そうだが……」
「あなたが既婚者に手を出しているという情報を窺っています。これは事実ですか?」
カインはギクリと肩を揺らした。
(カマを掛けてみたが、まさか本当に当たるとは。単純な奴だな)
貴臣は困惑しつつも、冷静な表情は崩さない。
「な、何故それを……!」
「身辺調査を行わせていただきました。大事なお嬢様を碌でもない男の元にやるわけにはいかないのでね」
貴臣は馬車に乗り込み、カインの胸ぐらを掴む。
「かのローデンベルク家とは言え、あなたは何の権力も持っていない。もし向こうの家にこのことが知られたら、あなたはただでは済みませんよ」
「な、何が目的なんだ……ッ」
「ルクレツィア様との婚約を破棄していただければ、このことは不問に致しますが、どうしますか?」
カインは青ざめながら、あっさりと、
「破棄する! 破棄する!」
と訴えた。
「元々あの女はオレの好みではなかったんだ! 父上から勝手に押し付けられただけで、結婚するつもりなんて元々なかったんだよ」
「……好みではない?」
貴臣が顔を近づける。失言に気がついたカインはしどろもどろになった。
「い、いや。すごく可愛いとは思うけどさ、第一あの子は若すぎるだろ! オレの手には負えないっていうかさぁ。な? あの子にはもう手は出さないからさ。それで良いだろ?」
貴臣は舌打ちをしながら、カインから手を離す。
(手に負えない、か。腹の立つ言葉だ)
背後で様子を見ていたミロが、「ひぇ〜」と情けない声を上げる。
「分かりました。では、これでルクレツィア様との結婚は取りやめになったということでよろしいですね」
「ああ。もう何だって良いよ」
貴臣はミロに目配せする。
「ミロくん、馬車を降りよう」
「え〜、アルデラまで送り届けてもらいましょうよぉ」
「良いから、早く」
貴臣がミロを急かした時だった。
「窒息魔法!」
カインがそう言った。
「がっ……」
途端に、目の前でミロが首を押さえて苦しみ出した。
「ミロくん!」
カインが邪悪な笑い声を上げる。
「よくよく考えてみれば、何でオレがお前等の言いなりにならなくちゃいけないんだって話だよなぁ」
続けて、カインは貴臣に向かって魔法を放った。
「アスフイッシア」
首が締め付けられるような痛みを発し、上手く呼吸ができなくなる。
(こいつも魔法が使えるのか……!)
貴臣はカインを睨みつけた。カインは軽薄な笑みを浮かべながら、貴臣を殴り飛ばす。貴臣は馬車から転がり落ちた。
タカオミくん! とミロが声にならない声で叫ぶ。
「オレ、父上から聞いてんだぜ。ローゼンシュヴァルツ家はどうやら没落するようだなぁ。それを何とかするために、オレの父上があんた等に情けを掛けてやったんじゃねぇか。それなのに、何でオレがお前等に脅されなくちゃいけねぇんだ? ああ?」
カインの靴の先が腹に減り込む。貴臣は痛みを堪えながら、尚もカインを睨み続ける。
「ま、結婚は破棄してやっても良いけどよ。それじゃオレの怒りが治らねぇからよ。……そうだ。良いこと思いついた」
カインはミロを掴むと、馬車から放り出す。
「こんな辺鄙なところに置き去りにされちゃあ、助けもこないだろ。なあ、苦しいか? 助けてほしいか? もし助けてほしかったら、オレに土下座しろよ」
馬車の運転手が心配そうに背後を振り返るが、カインに睨まれ、視線を逸らした。
「ほら、早くやれよ」




