60.王宮舞踏会にて
「こんばんは、フィオナ様、ウィルフレッド様」
逢美宮の絢爛豪華な大広間に入場し、やや緊張気味だったフィオナに最初に声をかけたのは、マーベライト伯爵令嬢のイレーネだ。
「今夜の主役はフィオナ様だといわんばかりの視線を感じます。デビュタントは確かに目立ちますけど。……注目の的ですわね」
今日が社交界デビューとなるフィオナは、レースと真珠をふんだんに使用した白色のドレスを身につけている。
色彩豊かなドレスの渦の中にあって白色はとても目立ち、社交界デビューを迎えた少女たちが値踏みされるのも仕方のないことだ。ただ、その視線が過剰すぎる。
「……感じますか? イレーネ様も」
「当たり前じゃないの! こんな分かりやすい視線、子どもでも気づきます。……私たちに、ではないのが残念ですけど。許しますわ。ね、フレデリック様」
イレーネは隣に立つ青年に声をかけた。イレーネの言葉に苦笑するフレデリックは、イレーネと婚約したばかりの青年だ。
魔法剣士の赤い軍服に身を包んでいる彼と、鮮やかな赤髪を持つイレーネは、とてもお似合いの二人だ。
「お二人に声をかけていただき、正直ほっとしましたよ。カッセル殿、イレーネ嬢、ご婚約おめでとうございます」
安堵の息を吐いたウィルフレッドも、笑顔を浮かべながら二人を祝福する。この舞踏会で注目されるだろう妹の付き添いを務めるのだ。覚悟していたとはいえ、ウィルフレッドにとっても相当な重責だったらしい。
ただ、それらの視線のなかには、ウィルフレッドに向けられたものも含まれている。華やかな美貌と穏やかな気性を持つウィルフレッドへ向けられた令嬢たちからの好意的な視線。だが、本人が全く気づいていないのが残念である。
※※※
今夜催される王家主催の大舞踏会は、王国貴族たちにとって最も重要な年中行事だ。この秋の大舞踏会をもって、貴族たちは王都での社交に区切りをつけ、各々の領地に帰っていく。
そのため大広間にはかなりの人数が集まっている。国王を始めとした王家に連なる人々の入場を待っている間、知り合いとあいさつを交わしつつ、近況報告や噂話に興じているのだ。
特に今年は、王国中を脅かした伝染病の感染を最小限に抑え込むことに成功した者たちを讃え、労う意味も込めて、例年以上の参加者を見込んでいる。
また、フィオナと王国一の魔導士に関する噂が席巻しているなか、その二人が揃って出席するという今日の舞踏会は、噂の真偽を見定めようという参加者で埋め尽くされているのは当然だった。
そんな、話題性に富み好奇な視線で賑わう大広間において、普段通りに声をかけてくれたイレーネとフレデリックたちの心遣いがありがたかった。
また二人が、フィオナたちに特別に接する風でもない様子に、社交に勤しむ参加者たちが徐々に増えていった。
ようやく一息ついたフィオナとウィルフレッドが、会場を見渡す余裕ができたその時、会場の一角に異変を感じた。
人の波が割れ、会話に興じていた貴族たちが口を閉じていく。だんだんと静かになっていく大広間で、こちらに近づいてくる人物が目に入る。
黒一色の装いであっても、華やかさを纏わせるその人物が誰であるかはすぐに判る。王国屈指の大貴族であり最強の魔導士、フリオニール・アルスカイザーが、人垣を抜けてこちらにやって来るではないか。
興味津々に向けられる視線に全く動じず堂々と向かってくる秀麗な姿に、フィオナは思わず息をのみ見惚れてしまった。
フリオニールは、フィオナとウィルフレッドの前に立つと優雅に軽く一礼する。
「こんばんは。ウィルフレッド殿、フィオナ嬢」
「こ、こんばんは、アルスカイザー様。……あ、あの、どうかされましたか……」
ウィルフレッドは動揺を隠しながら気まずそうに尋ねた。
夜会などでは身分の高い者ほど入場が遅くなるのが通例だ。
特に王家が主催する今夜の舞踏会では、建国の礎を築いたレアン公爵家とアルスカイザー、クーザー両侯爵家は王族の入場に付き従うため、フリオニールの登場は不意打ちといっていい。
フリオニールとは今日までに色々と打ち合わせてきたはず。何か落ち度があったのだろうか。気になることがあれば侍従に伝言を頼むこともできたはずでは……と、ウィルフレッドが不安になるのも仕方がない。
「いや、フィオナ嬢に渡したいものがあっただけだ。事前にというわけにはいかなかったから」
そう言うと、フリオニールは手のひらに光を灯し、フィオナの結われた髪の表面をなぞるように手を動かした。すると髪の所々に光の粒が散りばめられる。その粒は広間の明かりを反射するように、銀色や金色に煌めいている 。
「フィオナの社交界デビューの祝いに、俺とウォルスからだ。これぐらい控えめなら納得してくれるか? ウィルフレッド」
「うっ……。デビューなんですから、全てこちらで準備しますと、あれほど何度も言ったでしょう!」
「まぁ、いいじゃないか。もう着けてしまったし」
悔しげなウィルフレッドを前に、フリオニールは悪びれずに言う。
「そうですけど!」
「お、お兄様、落ち着いてくださいませ」
平常心を失いつつあるウィルフレッドに、フィオナは慌てて声をかける。
幼い頃からの付き合いがあるとはいえ、フリオニールとウィルフレッドには身分の差がある。衆目されている中で言い争いを始めるわけにはいかない。
「フィオナ様、とてもお綺麗ですわよ。今日の衣装によくお似合いです。……こんばんは、アルスカイザー様。ご無沙汰しております」
そこに、穏やかな声でイレーネが割って入った。
「これは……イレーネ嬢。……隣の彼は、婚約されたカッセル殿ですね。兄から聞いております。カッセル殿とお会いするのは、初めてでしたか?」
まるで、フィオナとウィルフレッドしか見えていなかったような口ぶりに、イレーネは皮肉を込めて返す。
「相変わらず、ですこと」
フリオニールの注意がイレーネとその婚約者に向けられて、フィオナはホッと一息ついた。
(助かったわ。イレーネ様、ありがとうございます。でも……フリオニール様への想いは吹っ切れたと思っていいのかしら)
イレーネもフレデリックも笑顔で対応している。二人の様子からはフィオナの杞憂など微塵も感じられない。
「今日は私たち楽しみにして参りましたのよ。滅多に見られないアルスカイザー様のお姿が見られるかもって。フィオナ様との素晴らしいダンス、期待していますわ」
イレーネが口にした内容に周囲がざわつく。
フリオニールが登場した時より騒がしさが戻ってきているとはいえ、聞き耳をたてられている状況は変わっていないようだ。
「そのつもりで、今日は参加していますから。互いに楽しみましょう」
フリオニールはそう言ってイレーネたちとの会話を終わらせると、フィオナに向き直った。
「あとで迎えにくるから。待っていてくれ」
「は、はい。待っています。必ず」
「かならず、か……」
フィオナの返事を聞いて、フリオニールは嬉しそうに破顔する。すると周囲が大きくどよめいた。
「アルスカイザー様が笑っているぞ」
「あんな顔もできるのね……なんて麗しいの」
「噂はやはり本当なのか!」
貴族たちがヒソヒソと会話する中、フリオニールはフィオナだけに気こえる声で話しかけた。
「ささやかな贈り物になってしまったが、許せ。気づいていると思うが、ウィルフレッドのガードが堅くてなかなか手が出せん。これ以上すると、また攻撃されてしまう」
そう言って苦笑するフリオニールは、フィオナの結われた髪の表面を名残惜しそうに撫でると、来たときと同じように注目をあびながら去っていった。
「驚いたな。……不意打ちだよ、まったく!」と、ウィルフレッド。
「ね、フレデリック様。言ったとおりでしょう。フィオナ様の前ではまるで別人なの!」と、イレーネ。
「……そ、そうだね。間近でお目にかかったのは初めてだ。それも声をかけてくれるなんて。普段は目にも留めてもらえないのに……」と、フレデリック。
いつも不機嫌なフリオニールからあんな表情を引き出せるとは、といった面持ちを隠しもせず、3人が フィオナを見る。
「一緒に作業してたからでしょうか。慣れてもらえたら意外といけますよ……たぶん」と、フィオナ。
「……こほんっ。とにかく、今夜の主な目的はお前の社交界デビューだ。もう十分に顔を知ってもらった、と思う。これはこれでよしとしよう。ダンスは……なるようになるさ! あっはは」
ウィルフレッドがなかば自棄になりつつ言う。
そうこうしているうちに、大広間は舞踏会ならではの賑わいを再び取り戻していった。




