59. 熱にとらわれて
「代わり映えのない場所ですまない」
そう言ったフリオニールの申し訳なさそうな表情には納得できるが、そんな顔をしなくてもいいとフィオナは思った。ここ以外に適した場所は王宮にはないのだから。ここ、夢幻宮の薬草園を除いては……。
「そんなこと気になさってたのですか? 私はここが大好きなのに」
「……しかし。もっと気の効いた場所があるはずだ。女性は雰囲気を大事にすると聞いている」
なるほど……。
フィオナが思う以上に、フリオニールは女性に関わってこなかったらしい。
「雰囲気は大切ですが、もっと大事なことをお忘れになっています。……その、どうして雰囲気を大事にしたいのかという」
「……あぁ、そうか! 俺は、フィオナと過ごす時間を大切にしたくて場所にこだわってたのか……。確かに、お前が側にいてくれれば何もいらないと思えるな」
そう言って破顔すると、グラデーションの美しい双眸に熱が宿り、妖しい雰囲気が漂い始める。
(ああっ、失敗したわ! 私ってバカ! 正直に言い過ぎよ。……それにしても本当なのね。女性のことに興味なかったって)
恋愛初心者なのはお互い様だ。意図を隠しての駆け引きは難しい……。しなやかな黒い獣のごときフリオニールに捕らわれそうになりながら「二人きりではありませんから」と、釘を差すので精一杯なフィオナだった。
…☆…☆…☆…
先刻まで、二人は夢幻宮に設けた臨時の薬精製部屋を訪れていた。本来の業務を離れ、薬作りを手伝ってくれていた魔導士たちや薬師たちに、王国の現状を伝え解散を告げるとともに労をねぎらってきたところだ。
残された作業は、材料や調合の割合などを記録に残し後世のために役立てることだが、それは専門の薬師が上手くやってくれるだろう。
ウォルスこと、悪魔バァッサーガが予見し準備した王国の危機回避策は、当初想定外の出来事に振り回されるという粗削りなものであったにも関わらず、建国以来、国を救ってきた悪魔たちの働きと同様に功を奏した。
悪魔ストラスが、ファブール王国に現れて半年が経とうとする今、無事に危機を乗り越えつつある。
…☆…☆…☆…
納得した様子のフリオニールとフィオナは、薬草園の片隅にあるベンチに腰かけた。こうして隣り合う位置に座るのも慣れつつある二人であった。
「良かったですね。私もお役に立てて嬉しかったです。ストラスさんを連れて来る役目なんて……とても光栄です」
「いや。俺は、アルディからフィオナが出てくることに意味があったと思うぞ。薬の効果やストラスを連れてくる役目なぞ、ウォルスがとってつけた理由に思える……」
フリオニールが居心地のよさそうな芝の上で寛ぐウォルスを見遣り渋面になる。
「うふふっ。私はどちらでも構いません。アルディで過ごしていた日々を退屈だと感じたことはありませんが、こちらの生活も楽しいですから」
「……煩わしいことも多いがな」
フリオニールの日常や逢美宮での出来事を振り返ると、フィオナも同意せざるをえない。貴族たちとの付き合い方はさらに気を使うらしいから。
「そうですね。それは否定しません。……あのぅ、以前から感じていたのですが、王宮でお見かけする一部の人たちに比べたら……ウォルスさんたちの方がよほど親切に思えるのです。どうして隠すのですか? 悪魔たちの功績を。悪魔たちと一緒に生きていくことはできないのでしょうか?」
「……ウォルスと過ごした日々は苦だけでなく楽しくもあった。だがそれは、契約という命の代償があってのものだ。悪魔たちは、俺が知る限り協調も寄り添うこともしない。……アルディ家の者を除いては」
「…………。申し訳ありません。出すぎたことを言いました」
「いや構わない。俺はこう思うのだ。悪魔に甘えているだけでは、人間の世はいつか滅びてしまう。だからこそ知らない方がいいのではないかと。……しかし、人間の知恵が人の世の危機を救えるようになるまでは、密かに悪魔から学ぶのも悪くない。悔しいが、悪魔の知識や知恵は人の能力を遥かに越えているからな」
「学ぶことは無駄にはなりませんものね。悪魔ほどの知識は無理でも、私もお兄様のように学校に通ってみたかったです。いつか身分や性別に関わらず、誰もが自由に学べる機関ができればいいと思います」
「学びの環境を整えるには色々と大変らしいぞ。兄が口癖のように言うのだ。教える人材も金も足りないと」
「そうだ! ではこの問題の解決は、レオンハルト様にお願いしましょう。フリオニール様もぜひ手伝ってあげてください」
「あぁ、分かった。それよりもフィオナ。俺はその問題よりも先に解決したいことがあるのだが……」
急な話題変更に、フィオナは目を瞬いた。
真面目な顔をしたフリオニールが様子を窺うように自分を見ている。想いを通じてから初めて会うフリオニールの端整な顔には、何かを期待するような感情が滲んでいる。
「まもなく、王宮で舞踏会が開かれることは知っているな? お前はウィルフレッドと一緒に出席すると、アリシア王妃から聞いている」
「えぇ。その舞踏会で社交界デビューするつもりで準備していますから」
「舞踏会では油断するなよ。先程の逢美宮のように、お前にはダンスの申し込みが殺到するだろう。手出しできないよう牽制したつもりだが、諦めの悪い連中や俺との関係を信じていない連中が、懲りずに近づいてくるはずだ。いいか。絶対、相手にするな」
「……美しい方たちが大勢いらしてるのですもの。大丈夫ですよ」
「甘い! 伴侶探しに懸命な連中の怖さを知らなさすぎる。群がるなんてもんじゃない。包囲されるのだぞ」
「それは、フリオニール様の場合はでしょう? 舞踏会のお誘いを断り続けているって有名ですし……、踊らないとも聞いています」
「貴族の集まりなど、年1回、出席すれば十分だ。それに、ただ踊るための相手を選んだだけでも、大事にされる。お前がアルディで襲われたように、受け入れない貴族たちもいるしな。安易に相手を選ぶのは危険なんだ」
「あぁ……それで」
「……思い出させてすまない」
瞳を揺らしたフィオナの頬に、フリオニールが詫びるように手を添えた。すると、否定するようにフィオナは顔を横に降り、表情を柔らかくする。
「皆さんが思う程に、私の心は傷ついていませんから大丈夫。……それよりも、罪を負ってしまった方たちの方が心配です」
フィオナを襲った三家の貴族たちは、アルディ家の恩赦を受けることで厳しい罰を免れ、宮廷仕えの任を解かれるだけで赦された。しかし、領地に籠ることで気軽に王宮に出入りできなくなった。
必然的に、三家の令嬢たちも王宮や王都で開かれる茶会や舞踏会に姿を見せなくなってしまった。
「自分たちが犯した罪は償わなければ。……アルスカイザー家も償っているだろう。国を救うためとはいえ、禁忌を犯したのだから。アルディ家だってそうだろう?」
フィオナは目を見開いた。
父である、アルディ伯爵の宮廷仕えができない理由がまさにそれだった。ギードの森から離れられないのだ。
「特権階級であれば、多かれ少なかれ責任を負うものだ。感情を優先するべきではない。……たが俺は、今度の舞踏会では感情を優先するつもりでいる」
フィオナの頬に添えていた手を滑らせ、フリオニールはフィオナの手を取った。
「俺に務めさせてくれないか? お前のダンスの相手を。もちろん、ウィルフレッドよりも前に、だ」
「私と踊ってくれるのですか? それも最初の、ダンスを」
「当然だ。その役目は誰にも譲らない」
絶え間なく演奏される曲に合わせて夜通し開かれる舞踏会だが、最初に踊る相手が一番重要視される。
最初に踊る相手は、親しい間柄の関係者。未婚の男女であれば、それは、恋人同士か婚約者の関係だと認識されるのが通例だ。
安易にダンスの相手を選べないと言っていたフリオニールが、大切な人とだけ踊る最初のダンスを申し込んでくれたのだ。
フィオナの覚悟は決まっている。もう迷わない。
「初めての舞踏会ですもの。……フリオニール様と踊れるなんて光栄です。楽しみにしていますわ」
フィオナは承諾の返事を返すと笑顔を見せた。その笑顔を確認して、フリオニールはほっと息を吐く。
「秋の舞踏会が終われば、お前は王宮を辞して、アルディに戻るのだろう。許しを得たら、……迎えに行っていいか?」
「……待っていてもいいのですか」
「あの日の口づけを忘れたわけではあるまい? 俺は本気だ」
フリオニールの瞳に熱が宿るが、ここは人目がある。さすがに抱き寄せられたりはしなかった。
しかし、……こうして見つめ合ったままなのも恥ずかしい。
「王家の神殿で過ごすことより、大切にしたいと思うことができたのです。少々のことでは、フリオニール様を諦められません」
「あぁ、もちろんだ。俺も諦めない」
フリオニールがフィオナの前に跪き、フィオナの手を取る。そして、いつもそうしてきたように、手のひらに口づけた。
「これは誓いの口づけだ。お前を幸せにすると誓う」
離れたところから、二人が幸せそうに笑い合う姿を銀狼のウォルスが眺めている。そのウォルスの側に、いつの間に来たのか、ストラスも寄り添うように座っている。
「人間は脆い生き物だと思っていたが、互いを想い合う深さは、人の強みとなるのだな。……悪魔にはない感情だが、なかなか興味深い。バァッサーガが絆されるのも理解できる……」
「感情に翻弄される姿が面白いのだ。二人を応援しているわけではない」
「素直じゃないな……。それに、フィオナをアルディから連れ出すよう仕向けたのは、お前の仕業だろう?」
「さぁな……」
夏の終わりの涼やかな風が吹くなか、ほのぼのとした会話を交わす2体の悪魔には見えているのかもしれない。二人の未来が……。




