55. くちづけのあとに
互いの唇がゆっくりと離れていく。
名残惜しそうにフィオナの唇に視線を落としたままだったフリオニールは、もう一度触れたいという欲望を振り切るように瞳をきつく閉じると、フィオナの瞳に視線を向けた。
しかし、離れがたい思いを表すかのように、くちづけも可能なほどの近さを保ったままなのは変わらない。突然の行為に開いたままだったフィオナの瞳には、端整なフリオニールの顔がはっきりと映っている。
フリオニールを批判する高ぶった感情はいつの間にかどこかへいってしまい……、代わりにフィオナの心を占めるのは戸惑いの感情だ。
「とにかく聞け!」
反論を封じるようなフリオニールの物言いに、フィオナは思わず頷き返し、二人は見つめ合った。
「言ったろ。おまえには、アルディ家に受け継がれている力があると……。魔力とは違うが、アルスカイザー家に嫁ぐには十分過ぎるほどの力を持っている」
「でも……」とフィオナが納得できない様子で、力なくフリオニールに問いかける。
「自分ではどうすることもできないのに? 森に入れるだけの力ですよ……」
「あぁ、問題ない。……この広い世界で、たった3人だけに許された凄い力だ」
フリオニールは、大人しくなったフィオナから身を離して長椅子から立ち上がると、少しだけ距離をとった。
「今、言うべきなのか、自信はないんだが……」
頬をかきながら気まずそうにそう言って、フリオニールが笑顔を浮かべたちょうどその時。
ドッガーーンッ!
バキッ! バキバキバキバキッ!
続けようとした言葉を打ち切るような爆音が部屋中に響き渡った。
「なんだっ!」
フリオニールは素早く移動し、フィオナを庇いながら前方を睨みつける。
フリオニールが睨みつけた先には廊下への扉がある。……いや、あるはずだった。
そこにあるはずの両開きの大きな扉が姿を消し、代わりに、白く霞んだ空気の渦のなかに人影が見える。
周辺には扉の残骸が散乱し、襲撃かと見紛うばかりの有り様だ。しかし、人影の後ろに見えるウォルスやストラスが進入を阻むような動きを見せず、むしろ、のんびり落ち着いているのが腑に落ちない。
「……!?」
扉を破壊したらしいその人影は部屋に侵入すると、怨めしそうに名前を呼みあげた。
「ア~ル~ス~カ~イ~ザ~さまぁ~」
床にパラパラと小さな木屑が音を立てて落ちるなか、散乱している扉の欠片をバリバリと踏みつけながら、その人影はこちらに近づいてくる。
「お兄様!?」
「……! ウィルフレッド? か」
「アルスカイザー様、二人きりはいけません。許さないと言ったでしょう~」
そう叫び、ウィルフレッドがフリオニールに向けて手のひらを突きだした瞬間、大小様々な砕石がフリオニールに向かって吹き出した。
「なっ!」
ブウォーンッ!
ガッ、カッカッカッカッカッカッガッ!
即座に展開したフリオニールの防御壁が、不意を衝いたウィルフレッドの攻撃を跳ね返す。
「何をする!」
「あなたからフィオナを守るためです」
「フィオナを傷つけるつもりはない!」
「男は狼に変身するんです! 二人きりは危ない! アルスカイザー様だからといってそうならないとは限りません!」
会話する間にも、ウィルフレッドの攻撃は続いている。岩の精霊の力をかりることで繰り出される術は、魔法が制限された王宮内でも効果を存分に発揮できる。しかし、フリオニールには防御するしか術がない。
フリオニールに向かって飛んでくる砕石やウィルフレッド自身の拳を避けながら、フリオニールは疑問をぶつけた。
「なぜ、二人きりだと分かった!」
「パンジーが知らせてきました。……今後また同じことが起こらないようにです。覚悟してください!」
「パンジー?」
「秋から春にかけて咲く花です。……気がついたら、私はここに。私がフィオナを守らねば!」
ということは……。
正直、考えたくない。フィオナを怖がらせてしまったのが原因だ。俺のくちづけが……。顔には出さなかったが、フリオニールは内心かなり落ち込んだ。
「……彼方へ」
フリオニールが忘却術を唱える。どうやら、ここに来た理由を聞き出す間だけ、ウィルフレッドの攻撃に耐えるつもりだったらしい。
ウィルフレッドの性格上、フリオニールの質問に答えるだろうと判断してのことだったが、丁寧に答えられた内容は想像以上に分かりやすかった。
「…………」
忘却術の影響で ウィルフレッドは呆けたようにその場に立ち尽くしている。フィオナは、動かなくなった兄に駆け寄った。
「お、お兄様、大丈夫! 何があったの」
「……」
「ウィルフレッドなら心配ない。僅かな記憶を消しただけだ。すぐに正気に戻る」
そう言って、フリオニールは魔法で部屋を元の状態に戻し始めた。
部屋の入り口に扉の欠片が集合し元の位置に収まると、ひび割れた線は消え、砕石で傷ついた壁の傷や汚れ、割れた花瓶も瞬く間に元の姿を取り戻していく。
部屋がすっかり元の姿を取り戻した頃、ウィルフレッドが正気に戻った。
「あれ? ……フィオナに、アルスカイザー様。ここは夢幻宮ですね。なぜ私はここにいるんでしょう? 宰相に書類を届けている途中だったはず……。しまった! 書類はどこだ?」
「ここだ。俺に見せてから届ける約束だったろう」
いつの間に手に入れたのか、フリオニールが書類の束を持っている。
「……あっ、そうでしたね。ありがとうございます。それでは、時間がないので失礼します。フィオナ、頑張るんだよ」
「はっ、はい……」
フリオニールから書類の束を受け取ると、ウィルフレッドは首を傾げつつも足早に部屋を出ていった。部屋の周辺に集まっている魔導士や薬師たちへ礼儀正しく挨拶を交わすことも忘れていない……。いつも通りのウィルフレッドだ。
「知らなかったわ。……お兄様は魔法が使えるのね」
色々なことが起こったせいで、頭の中が混乱しているだろうフィオナが思わず呟いたのは、ウィルフレッドの魔法の力だった。
その呟きを耳にしたフリオニールも、思わずため息をついた。




