41. 魔導士長の親心
「すまないね。時間を取ってもらって」
「いえ、そんなことありません。……またお会いできて光栄です」
フィオナは緊張した面持ちで目の前の人物に答える。穏やかな雰囲気を纏うその人物は、フィオナに座るように勧めると、自分も応接用の椅子に腰掛けた。
微かに笑みを浮かべた表情は優しい人柄を表しているようにも見えるが、黒と金が混じり合う瞳に理知的な光を宿し、すらりとした体躯で寸分の隙を見せず動く姿は、この夢幻宮の主らしくフィオナの目に写る。
そう。……今、フィオナの目の前にいる人物は、オーウェン・アルスカイザー魔導士長である。
多忙な魔導士長の呼び出しに応じ、フィオナは夢幻宮の内部に初めて足を踏み入れたのだが……。いつも目にしていた夢幻宮のイメージと大きく違うことに驚いた。
古式豊かな厳めしい装飾の中に、生命を感じさせる流線形の彫刻が施された特徴的な外観は、ファブール王宮を構成する宮に相応しく、畏怖と尊敬の眼差しを向けられるに値する。しかし、その中身は非現実的な世界が広がっていたのだ。特異な才能を持つ魔導士が集う宮だけはある。
夢幻宮に属する宮廷魔導士たちは、王国が誇るエリート集団である。聡明で、魔法を操れるほどの強靭な精神力の持ち主たちだ。まるで賢者のように崇高な存在として見ていたのは、フィオナの勝手なイメージが創った偶像だったらしい。
夢幻宮の内部は、魔導士たち……それぞれの好みによって多様な空間へと作り替えられていた。分厚い鋼で補強された扉の部屋の主は実戦的な魔法が、魔法薬が好きな者なら、まるで実験室のような部屋に、扉に魔法陣が描かれている部屋の主は、召喚か結界魔法が好きなのだろうし、理論好きな魔導士の部屋は、本が散らかる図書室のようだ。魔法生物も飼育しているのだろうか……、その生物が好む環境を再現している者までいる。
(……。とっても不思議。しかも面白すぎる!)
フィオナの目指す部屋が夢幻宮の最上階にあるおかげで、この宮での移動時間は楽ししいものとなった。指定された時間になるまで落ち着かない気分で過ごしてきたフィオナにしてみれば、いい気分転換だ。適度に緊張が解れた。これが単調な道程だったら……呼び出した本人を前にガチガチだっただろう、と思う。
フィオナは、自分が今いる部屋を見回した。おそらく夢幻宮にある部屋のなかで、一番豪華であろう魔導士長の部屋は、壁沿いに並ぶ本棚と使い込まれた飴色の家具が印象的な普通の部屋だ。
本棚に収められている分厚い本のどれもが、古めかしい背表紙で装丁されているところをみれば、王国の宝にも匹敵するほど貴重な本であることが分かるし、置かれている家具は、王国の威厳を示す逢美宮のそれと遜色ないほど高級であることも分かる。
ただ、観賞用とは思えないほどの大きな木が、森の地面を再現したかのような一画に植樹され、その枝に一羽の黒いカラスがとまっているのところが、魔導士らしい感性を現していた。
フィオナは、自分の前に置かれた淹れたての紅茶を口にすると、気分を落ち着けようと努める。そんなフィオナに、オーウェンが話し始めた。
「薬草園を整備してくれてありがとう。フリオニールから聞いていると思うが、アルスカイザー家の者は薬草に詳しくなくてね……」
「いえ……。ストラスさんがしていることですし、私は特に何も。それに、薬草園に立ち入らせてもらって、楽しい時間を過ごさせてもらっているのは私たちの方ですから。本当にありがとうございます」
「そうかい。ストラスは今も薬草園に?」
「はい。……以前は王宮の庭園巡りをしていたので、どこにいるのか分からなくて……。探して廻ることもありましたが、今は毎日、薬草園で遊んでいますから心配することもありません」
「それは良かった。あそこには、お茶に向いているハーブが植えてある……繁りすぎているけどね。休憩する時には、新芽を摘んでハーブティーにしたらいい」
「嬉しいです。アルディではよく飲んでいたので」
会話に緊張感はあるが、穏やかな声につられて、つい話してしまう感じだ。オーウェンの言葉にも嫌味なところはなく、差し出される好意を素直に受け入れた。
「今日来てもらったのは、これをあなたに渡したくてね」
そう言ってオーウェンが、テーブルの上に何かを置いた。……指輪だ。細い金環の円周に沿って、小さな黒い石が等間隔に埋め込まれている。
「……? これは」
「物体を動かす魔法が込めてあります。あなたの役に立つと思いますよ。……実はこの間、薬草園であなたが麻袋を運んでいたのを見かけてね」
「そっ、そうですか……。それで……」
嬉しいのに、とても恥ずかしいという複雑な心境だ。魔導具を用意してくれるなんて凄いことなのに、恥ずかしくて顔が上げられない。
「私とマルファスが作った結界で、王宮の中は魔法が制限されているからね。ストラスの魔法も制限されている状態だったのを見落としていた。すまなかった。その指輪には私の魔法が込めてあるから、麻袋を倉庫まで移動させられる。詫びもかねて、受け取ってくれるかい」
「は、はい。ありがとう、ございます……」
ぎこちなくフィオナが指輪を受け取ると、オーウェンが使い方を教えてくれた。
「動かしたい物をまず浮かべなさい。あとは、指輪をはめた手を誘導するように動かすんだ。こうやってね。……難しいのは最初の浮かべるところで強い思いが必要になる。でも、あなたなら使いこなせるでしょう」
「そうでしょうか? 魔導具を使うのは初めてです」
「大丈夫。薬草園で練習していきなさい。軽いものから始めてみるといい」
フィオナは、指輪を用意してくれたオーウェンに改めて礼を言うと、オーウェンの言葉に従って薬草園に向かった。
…☆…☆…☆…
(魔法を使うってどんな感じなのかしら? 早く使ってみたいわ)
「フィオナ様っ、お待ちください! 薬草園は逃げませんから、私を置いてかないでくださいーーっ」
クルルはフィオナより背が低いため、進むスピードに差が出たらしい。二人の距離が開いてしまったようだ。かなり後方にいるらしいクルルに声をかけられ、後ろを振り返る。
……これがいけなかった。
夢幻宮の多様な世界観は甘くない。前を向いていても注意深く進むべき場所だったのに。平坦でない床につまずいた。
「あっ!」
勢いがあったため、支えきれずにフィオナは倒れていく。床面に引き寄せられていく体をどうすることもできないまま、衝撃に備え目を瞑るしかなかった。
「……!」
しかし、床に倒れこむことなく、フィオナは後ろから何かに支えられた。自分の腰に腕が巻きついているのが見える。
「……ったく、お前は。つまずく程度では、石の力は発揮されないぞ」
「フッ、フリオニール様!?」
聞き覚えのある声と目の前にいるウォルスで、自分を支えている腕の持ち主が分かる。それに、何度も嗅いだことのあるこの香りの主は……。フリオニールしかいない。
「俺が通りかかったから良かったものの……。一体、ここで何をしてたんだ?」
「すいません。ありがとうございます。あの、説明しますので、……離してもらえますか?」
腰に腕を回されたままなので、フィオナは自分の背中に密着しているフリオニールを首をひねって見上げた。とても近いところにフリオニールの綺麗な顔がある。
「……。久しぶりだな。お前を抱きしめるのは」
「なっ!」
フィオナの鼓動が跳ね上がり胸がきゅうっと締めつけられる。顔も赤くなっているかもしれない。
「はっ、恥ずかしいことを言わないでくださいっ。離してくれないと、嫌いになりますよ」
「……それは困る」
そう言って、フィオナの腰に回していた腕をあっさりと離し解放してくれた。フィオナと向き合ったフリオニールは特に動揺したところはなく、先ほどの言葉にどういった意味があるのか分からない。何気ない言葉に反応してしまう自分の心だけが、乱されてしまっている。
「ほら、離したぞ。説明しろ」
「……」
本当は、他にも言いたいことがたくさんある。嫌われたくないのはどうしてなのか、自分に触れたいと思っているのは何故なのか、とか……。特に最近は、フリオニールとは二人きりになるなと、兄のウィルフレッドに念を押されているから尚更だ。
フィオナのことを何とも思ってなさそうな、変わり身の早いフリオニールに調子を狂わされながらも、フィオナは話し始めた。
「……。魔導士長様に呼ばれたんです。これをいただきました」
握りしめていた右手を開き、オーウェンが作ったという移動の魔法が込められた指輪を見せる。
「これを、父上が? ……魔法の気配を感じる。魔導具か」
「えぇ。王宮のなかでも、これを使えば、その……麻袋を移動させることができるということで、今から練習しようと薬草園に向かっているところです」
「指輪を使ってみるのか……今から?」
「はい。魔導士長様は、軽いものから試してみるといいと。使い方も教えていただきました」
指輪に込められた魔法を早く試してみたいという気持ちを反映するかのように、アメジスト色の瞳が期待に輝いている。それは、フィオナ自身よりも向かい合っているフリオニールに伝わっていく。
「……手伝う。魔法を使える者がついていた方がいいだろう」
「……それは、指輪を使うところを見ていてくださるのですか? ……嬉しいです!」
フリオニールからの申し出に心が浮き立つ。ウィルフレッドの忠告を忘れたわけではないけれど即答してしまった。
「久しぶりに薬草園の様子を見たいしな。薬草園らしくなったと父上が言ってた」
「ストラスさんが張り切ってますので……」
「フィオナも手伝ってるのだろう。麻袋を運んで」
「……まぁ、そうですね。クルルにも手伝ってもらってます」
恥ずかしさもあるが、フリオニールの口から「麻袋」という単語が出てきて、指輪をもらったきっかけを思い出した。
「麻袋を移動させられるようになるでしょうか? 私、魔法も魔導具も全くの素人です」
「父上は魔導士長だぞ。貴重な魔導具を使えない者に渡すはずはない。自信を持て。きっと使いこなせる。……では、行こうか」
(成長できてるか分からなくて、頑張らなくちゃって思ってたけど……)
人の力を借りることで、出来ることが増えていくのも悪くない。人は助け合うこともできるのだ。頼ることも必要だと実感する。
フィオナは薬草園に向かいながら、王宮に来たことの意味を、多くの人たちとの奇跡的な出会いに感謝していた。




