34. 知らされた事実
フィオナが通う王妃の間は逢美宮にある。表向きの王妃の間として機能しているそれは、サロンなどの催しに使われる豪華な広間と、貴族たちとの面会に使える居室に分かれている。
アリシア王妃との時間を過ごすのは逢美宮の居室。今日もそちらに向かっていると思っていた。ところが……。
「アルスカイザー様。……あの、こちらは敬世宮の方向では」
ウォルスとストラスのお陰で、人に会うことなく移動してきたフィオナとフリオニールの目の前に見えてきた建物は、王族たちが居住する敬世宮である。
この宮は厳重な警備が施され、王族の許可がなければ立ち入ることができない。王族が唯一寛げる、私的な空間であるこの宮にも、「王妃の間」はあるだろうが……。
間違えではないかと、フリオニールに問いかける。すると「間違いではない」という答えが返ってきた。
敬世宮の手前まで来るとウォルスとストラスは庭を散歩するため駆けていった。宮を区切る大扉の前に侍女のクルルを残し、フリオニールと一緒に宮の奥まで進む。逢美宮のような王国の威信を示した絢爛豪華な内装と違い、こちらは落ち着いた内装だ。とはいっても、王族が住まう宮に相応しい華やかな造りとなっている。
フリオニールは、ある扉の前で止まると衛兵に扉を開けるよう命じた。
「フィオナ! お帰りなさい!」
扉が開いたと思ったら、すぐに自分を抱きしめてきた人物がいる。アリシア王妃だ。スタイルの良い柔らかな体が、フィオナをぎゅうぎゅうと締めつけてくる。
「アリシア、やめなさい。フィオナ嬢が苦しそうだ」
「そうですよ、母上。少し落ち着いたらどうですか」
「!」
アリシア王妃の腕の中で聞いた、いるはずのない人たちの声にフィオナは身じろぎする。
「だって、……すごく心配したのだもの。これくらい、いいでしょう」
アリシア王妃の不満そうな声とともに、フィオナの視界が開けた。王妃の体の向こうには、王太子のレオンハルトともう一人、見知らぬ人物の姿が見える。
上座にあたる一人掛けのソファーに座っている壮年の男性。アリシア王妃を「アリシア」と呼び捨てにできる人物は、この国に一人しかいない。
「陛下!」
王宮に来て一月あまり。初めて目にするアルマン国王に、フィオナは慌てて膝を落とし礼をする。
「畏まらずともよい。遠慮せずにこちらに来なさい」
ファブール王国を統治するアルマン・サーザ・ファブールは、賢王と名高い名君だ。がっしりとした男性的な体格を持つ金髪の美丈夫で、黒目がちの瞳が意思の強さと覇気を伝えてくる。
長身だが、優し気で線の細いレオンハルトはアリシア王妃に似たらしい。
アルマン国王もレオンハルトやアリシア王妃と同様、気さくな人物のようでホッとする。フィオナは促されるまま、アリシア王妃と同じソファーに並んで腰かけた。側に控えて立っているフリオニールとレオンハルトに申し訳なく思う。
「アルディ伯爵令嬢。此度は、大変な思いをさせてすまなかった」
アルマン国王が自分に向けて頭を下げる。深々ではないけれど、精悍な顔に刻まれたシワが謝罪の意を深く伝えてくる。
「とんでもない! 皆様の温かい心遣いに感謝しているのです。陛下が謝られることではありません!」
襲われた苦しい思いは、自分のことを大切にしてくれる人たちの温かい思いに上塗りされて消されている。忘れることはできないだろうが、経験として胸に刻まれている程度。自分に示してくれた愛情の方が、フィオナの心に占める割合は大きい。
「それに、皆様のせいではありませんし……。アルディ領にあのような方たちがいるなんて、考えてもいませんでした。長閑な土地なので……私の油断が招いたことです」
「ふむ……。襲われた理由に気付いていないようだな」
「そのようですね」
アルマン国王のつぶやきにレオンハルトが同意すると、フィオナに声をかけた。
「……襲われた理由に心当たりはある? それから、王宮で噂されている内容について、何か知ってる?」
「いえ……。噂も、特には……」
王宮に来て日が浅いフィオナには、知り合いと呼べる人が少ない。噂好きな貴族や夫人、令嬢たちとの付き合いは皆無だ。
国王と王太子は顔を見合わせて頷き合うと、レオンハルトが口を開く。少し言いにくそうにも見える表情だ。
「まぁそうだよね。じゃあ教えてあげる。君は王太子妃の有力な候補で、私とすでに恋仲になっていると噂されているんだ」
「えっ!」
「その噂が原因で君は襲われた。君を襲ったのは、ただの荒くれ者たちじゃない。娘を王太子妃に望む貴族たちが雇った連中だ。私とすでに恋仲になっている君を排除するには、亡き者にするしかないと考えたんだろう」
「……」
想像もつかなかった理由に驚いて声もでない。確かに、レオンハルトやアリシア王妃の近くにいることを許されてはいるけれど……。自分の心の中には別の人がいる。
「母上のせいでもありますよ。噂に真実味を与えたのは」
「信頼できるお友だちに、いいお嬢様だと話しただけなのよ。それを聴かれていたみたいなの……。謝ってすむことではないけれど、ごめんなさいね、フィオナ」
手を優しく握られ、アリシア王妃にも謝られたフィオナは、首を振り「とんでもない」と恐縮する。
「でも、レオンハルト。あなたも悪いと思うのよ。いつまでたっても相手を決めないから……。貴族たちが期待するんだわ」
「そうだな。アリシアの言うことも一理ある。レオンハルト、近いうちに良い報告を持ってくるように。なるべく早く!」
ズルッ、ガタンッ。
レオンハルトがソファーの背凭れに置いていた手を滑らせ、床に膝を着けた。思わぬ方向に話が逸れ力が抜けたようだ。「なんで、そうなる……」と額に手を当てぼやいている。
「あの、……大丈夫でしょうか? レオンハルト様」
「いいのよ。いつもの事だから。……レオンハルトだけじゃなくて、フリオニールもよ。令嬢たちに人気のある青年たちは皆、独身なんだもの。令嬢たちが焦るのも、このような事態が起きるのも、あなたたちが悠長に構えているのが悪いのよ」
「いや、……まずは、ジークフリートからでしょう。そう思いませんか、母上」
「私たちよりも年上ですし……」
フリオニールも参戦する。レオンハルトだけでは国王や王妃の勢いに勝ちそうにない。
「あなたたちの結婚が決まれば、ジークフリートも動くのではなくて」
「レアン家の嫡子は切れ者だからな……女性の理想は相当高そうだ。あいつは確実に遅い。お前たちが先だろう」
「「……」」
二人がかりでも無理だった。レオンハルトとフリオニールが顔を見合わせて深くため息をついている。それもそうだろう。結婚相手を早く決めるように急かされて終わったのだから。
「…………。フィオナ嬢、こういう理由だから、今後も身の回りには気を付けておくように。明日には、アルディ領で拘束した実行犯たちが王宮に着く。君の暗殺が失敗したと知れば、何か仕掛けてくる可能性もあるから」
「私たちも君が危ない目に合わないよう用心しておこう」
少し放心気味のレオンハルトとレオンハルトの意を全く介していないアルマン国王が告げてくる。
「はい。私のために、お気遣いありがとうございます」
「君を呼んだこちらにも責任はあるからね。気にしないで。……こういう時はフリオニールの力がとても役に立つ。遠慮しないで頼っていいから」
レオンハルトの言葉を受け、フリオニールの方を向くと目が合った。赤と金色の美しい瞳が優しげに細められ、頷き返される。目を洗われるほどの美しい顔だった。頬が熱い。顔が赤くなっているのではないだろうか……。
「あらあら、なんて可愛らしいのかしら。ウフフッ! フィオナ、今日はもういいわ。帰ってきたばかりなんだから、ゆっくりしてちょうだい」
アリシア王妃の言葉で王族との面会の場はお開きとなった。執務に向かうアルマン国王とレオンハルトを見送ると、敬世宮の王妃の間をフリオニールと一緒に退出する。
「疲れてないか?」
「はい、大丈夫です。……陛下には驚きましたけど。教えてくだされば良かったのに」
「無駄に緊張させないためだ。敬世宮で寛ぐあの方たちに緊張する必要はない。お前ならすぐに馴れると思った」
「それは誉めているのですか」
「あぁ、そのつもりだが……」
「……」
これまでの自分の態度を振り返る必要があるようだ。あまり馴れ馴れしいと良くない。気をつけないと考えていたところに、フリオニールから誘われた。
「ちょっと付き合ってもらえるか?」




