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29. つかの間の休息

「どうして……。ここに?」

「王家の神殿に行きたかったんじゃないのか?」




 アルディ伯爵家から王宮に戻るとばかり思っていたフィオナは、目の前の景色が想像と違っていたことに驚いた。正直な気持ちを言えば、嬉しい。でも……。


「王宮に戻らないと……。お急ぎでしょう?」


 伯爵家に滞在することになったフリオニールは、1日以上、王宮に出仕していない。執務が溜まっているのではないだろうか? フリオニール自身もそうだし、王太子レオンハルトの執務も……。


「問題ない。私がいなくても執務は滞りなく進んでいる。お前のことも報告は済ませてある。心配するな」


 フリオニールは、敷き詰められている砂利石を避けるように森に入ると、大木の根本に座り込む。


「好きなようにするといい。待っているから」


 片膝をたて木に背を凭れかけたフリオニールは、フィオナにそれだけ言うと目を瞑った。


 昨日、神殿に向かっている途中で襲われたフィオナは、ここにたどり着くことができなかった。この寄り道はフィオナのために他ならない。フリオニールのさりげない優しさが伝わってきた。


「……ありがとうございます」

 ここは、フリオニールの言葉に甘えるしかないようだ。



 神殿の静謐な空気を思い切り吸い込むと、フィオナは中央にある石碑に近づいていく。碑文の文字をなぞるように石碑に触れると、指にあたる石の感触さえ懐かしく感じた。


(この下に魔界の入口があるのね……)


 王宮に呼ばれることになった原因の全てがここにある。一ヶ月前に体験した不思議な出来事は、自分の人生を、考えを、全てひっくり返すほどの力を持っていた。しかし、今では……その出来事に感謝している。


(戸惑うことも……苦しいこともあるけど、生きているって思えるもの。みんなと出会えて良かった……)



 世界が広がったことで、命を狙われるという、ただならない経験をしたが……やはり今の方がいい。生きていて良かった、と思える自分は、未来に期待を抱いている。以前の自分にはなかった感情だ。


 フリオニールがいなければ助からなかった命。自分のためにも人のためにも使いたい。それにはまず、行儀見習いを無事に終えなければ……。王宮に戻れば見習うべきお手本がたくさんある。


 王家の神殿でフィオナが過ごす時は、時間を気にせず、こうして考え事に耽るのも当たり前だったが、今日は違う。待たせ過ぎては申し訳ない。フィオナは気持ちを切り替え、目の前にある石碑に目を向けた。



 石碑に供え物がないことを寂しく思ったフィオナは、森の中にあるお気に入りの場所に向かうことにした。神殿から数分歩いた場所には、年間を通して何かしら花が咲いている場所がある。


 その場所に自生する植物の種類は、季節が巡る度に替わっていく。


 庭園で育てられる華やかな花に比べ、控えめな花を咲かせるものが多かったが、凛とした美しさが感じられる。フィオナがここで摘んでいく時は、いつも一輪だけ。

 慣れた足取りで神殿に戻り、摘んできた花を石碑の前に立て掛ける。透ける紙のような薄い花弁を持つ花は、一輪でも十分に綺麗だった。



 花を供えた後は、いつものように石碑の前で膝をつき、祈りを捧げる。


(国を守ってくれてありがとうございます。……それから、ウォルスさんとストラスさんに会わせてくれてありがとうございます。……それから、王宮のみなさんにも会わせてくれてありがとうございます。それから、……)




「……おい。いつもそんなに長く祈っているのか?」


「えっ!」


 いつのまにかフリオニールが隣にいる。

 少し困惑気味にも見える表情だ。


「悪魔に何を祈っているんだ?」


「……国の守り神に、です。いけませんか。ウォルスさんもストラスさんも国の役に立っていますし……。これがアルディ家のやり方なんです」


 開き直ってみせるフィオナに、フリオニールは悪戯っぽい笑みを浮かべると立ち上がった。


「ふん。では、アルスカイザー家のやり方はこうだ」


 フリオニールは石碑の文字に右手を触れさせる。すると、目に光が宿り、長い黒髪と黒いローブが風に煽られるように揺れ始めた。


「えっ! 文字の色が……変わって……」


「俺たちは祈りはしない。悪魔を従わせることで、実際に望みを叶えている」


 石碑に刻まれた碑文の全ての文字色を変化させたところで、フリオニールは石碑から右手を離した。驚きに目を見開いているフィオナの目線に合わせるように片膝をつく。


「どうだ、驚いたか? これがアルスカイザー家のやり方だ」


 そう言うと、フリオニールは声を立てて笑いだした。フィオナの顔が、可笑しかったらしい。


「お前、その顔はやめろ。……ぷっははは。怯えているのか呆れているのか、怒っているのか……よくわからん、微妙な顔だ……。冗談に決まっているだろう。まぁ、落ち着け」


「フリオニール様が言うと冗談に聞こえません!」


 本気だと思った。前みたいに石碑を消してしまうのかと……。フリオニールがどこかにいってしまうのかと、思った。


「すまん、すまん……。でも、家の自慢をしたのはお前が先だろう」


「自慢ではありません! それに、祈りを捧げるのは習慣なんです。魔界の入口があることを知ったのはつい最近なんですから。……すぐには変えられません」


「……そうだな。習慣も、考え方も……変えるのは大変だ」


 フィオナの言葉にあっさり同意を示したフリオニールは、真面目な表情をしている。


 フィオナが苛立っていることをわかっていながら、フィオナの頭をポンポンと叩くと、フィオナの手を取り一緒に立ち上がらせた。


「どう、しましたか?」


 気分を害したのかと心配になったフィオナは、自分を見下ろしているフリオニールに問いかけた。


「いや、何でもない。それより……気が済んだか? 神殿にはしばらく来られないと思うぞ」


「はい。……十分です。フリオニール様。ありがとうございました」


「いや、確かめたいこともあったからな。フィオナ、お前は……。アルディ家の者がギードの森に歓迎される理由を知っているのか?」

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