EP 8
崩壊する王都と、パニックの義妹
リゼットが辺境伯領で「至宝」として崇拝され始めた頃。
遠く離れた王都の空には、どんよりとした暗雲が立ち込め、季節外れの猛烈な熱波が押し寄せていた。
王城の執務室では、王太子アルバートが額から滝のような汗を流し、苛立たしげに書類の束を机に叩きつけていた。
「暑い! 暑すぎる! どうなっているのだ、このふざけた気温は! 空調の魔導具はなぜ動かん!!」
アルバートの怒号に、控えていた文官と宮廷魔導士たちが震え上がる。
「も、申し訳ございません、殿下! 王城全体を管理する環境維持の魔導具が、今朝から完全に沈黙しておりまして……!」
「ならすぐに直せ! 貴様ら宮廷魔導士は何のために給金を貰っている!」
「そ、それが……術式の構造が複雑すぎて、我々の手には負えないのです。設計図は残っているのですが、何重にも特殊な『概念』が付与されており、不用意に触れれば魔力暴走を起こす危険が……」
宮廷魔導士長が青ざめた顔で報告する。
王城の快適な環境は、数年前に導入された超高性能な空調・環境維持魔導具によって保たれていた。そのおかげで、王族たちは真夏でも涼しく、真冬でも春のように暖かい生活を享受していたのだ。
その魔導具を開発し、定期的にメンテナンスを行っていたのが誰なのか。
宮廷の誰も、その「真実」を知らない。
「ええい、役立たずどもめ!」
アルバートは忌々しげに舌打ちをした。
「……ミリアナだ。ただちに聖女ミリアナ・オズワルドを呼べ! あの魔導具は彼女の『聖光魔法』の奇跡によって作られたもののはずだ。彼女の祈りがあれば、すぐに直るだろう!」
***
数十分後。
優雅な馬車に乗って王城に到着したミリアナは、執務室のあまりの暑さに顔をしかめた。
(なによこれ、サウナじゃない。せっかく殿下にお会いするために、お気に入りの香水をつけて完璧にメイクしてきたのに、汗で崩れちゃうじゃないの!)
内心の不満を隠し、ミリアナは可憐な笑みを浮かべてアルバートに歩み寄った。
「殿下、お呼びでしょうか? まぁ、ひどい汗……私が涼しい風を――」
「ミリアナ! いいところへ来た!」
アルバートはミリアナの手を引くと、執務室の奥にある巨大な魔導具――空調の要となる魔力炉――の前へ連れて行った。
「君の作った魔導具の調子がおかしいのだ。早く直してくれ。宮廷魔導士の無能どもには手に負えんらしい」
「え……?」
ミリアナの笑顔が、ピシリと引き攣った。
「ど、どういうことですか? 直すって……」
「どうした? 君が祈りを捧げ、聖光魔法を込めれば直るのだろう? 君がいつもやっていたように」
アルバートに期待の目を向けられ、ミリアナは冷や汗を流した。
直す? 私が?
できるわけがない。だって、この魔導具を作ったのも、毎月わざわざ王城の地下に潜って薄汚いメンテナンスをしていたのも、すべて姉のリゼットなのだから。
ミリアナの仕事は、リゼットが直したあとのピカピカの魔導具の前で、美しいドレスを着て「祈りのポーズ」をとり、「殿下、直りましたわ」と微笑むことだけだった。
「さ、ミリアナ。早く頼む」
「あ……ええと、その……」
ミリアナは震える手を魔導具に伸ばし、必死に頭を回転させた。
(ど、どうしよう……! ここで直せないってバレたら、私が『聖女』だって嘘までバレちゃう! とりあえず、適当に魔法を流し込めば、なんとかなるわよね……?)
「ええいっ!」
ミリアナはやけくそ気味に、自身の魔力を魔力炉に注ぎ込んだ。
パチッ、と魔石が微かに反応したかのように見えた。
「おお! さすがは聖女ミリアナ! 直った――」
アルバートが歓喜の声を上げようとした、次の瞬間。
ピーーーーッ!! という耳障りな警告音が鳴り響き、魔力炉からモクモクと黒煙が噴き出し始めた。
「なっ!?」
「キャアアアアッ!?」
ドンッ! という鈍い破裂音と共に、空調魔導具は完全に沈黙した。
直るどころか、微量に残っていた魔力回路すら、ミリアナの雑な魔力注入によって完全にショートしてしまったのだ。
「ゲホッ、ゴホッ! ミリアナ! これはどういうことだ!」
黒煙に咳き込みながら、アルバートが怒鳴った。
顔を煤だらけにしたミリアナは、半狂乱になって首を横に振った。
「ち、違います! 私のせいじゃありません! これは……そうだわ、お姉様の嫌がらせです!」
「リゼットの?」
「はい! お姉様は辺境へ追放される腹いせに、この魔導具に何か悪い呪いをかけていったに違いありません! だから私の聖なる祈りでも直らないんです!」
見え透いた嘘だったが、プライドが高く「自分の非を認めたくない」アルバートにとっては、責任を他人に押し付ける絶好の言い訳だった。
「おのれ、あの陰気で無能な女め……! 私の顔に泥を塗るだけでなく、王宮の機能まで麻痺させるとは!」
アルバートは机を強く叩いた。
「今すぐあの女を連れ戻せ! そして呪いを解かせた後、反逆罪で地下牢に叩き込んでやる!」
***
その日の午後、オズワルド男爵邸。
「どういうことだこれはぁぁぁっ!!」
男爵邸の応接間で、父親のオズワルド男爵が狂ったように叫び声を上げていた。
彼の手には、帝都の最大手『ゴルドスマイル銀行』から届いたばかりの、一通の冷酷な書状が握りしめられていた。
『通知:貴殿の口座は、リゼット・オズワルド様からの特許侵害および未払い賃金・損害賠償請求(金貨五千枚)に関する法的手続きに伴い、本日付で仮凍結されました。期日までにお支払いがない場合、男爵邸の差し押さえに入ります』
「あの出来損ないの分際で! 親に向かって借金の取り立てだと!? ふざけるな、誰がこんなもの払うか!」
男爵が書状をビリビリに破り捨てたところへ、煤で顔を汚し、ドレスをボロボロにしたミリアナが泣きながら帰ってきた。
「お父様ぁーっ! お姉様のせいで、殿下に怒られちゃいました!」
「ミリアナ! 一体どうしたのだ、その格好は!?」
ミリアナは王宮での出来事を、都合よく改竄して父親に泣きついた。
「お姉様が、王城の魔導具を壊して逃げたんです! だから、私がいくら祈っても直らなくて……このままじゃ、私のせいになっちゃう! 早くお姉様を連れ戻して、全部直させてください!」
その言葉に、男爵はハッとした。
「……そうか。リゼットのやつ、魔導具の簡単な修理くらいはできたはずだ。奴を連れ戻して、王城の魔導具を直させれば、殿下の機嫌も直る。お前の聖女としての面目も保てるというわけだな」
「はい!」
男爵はニヤァッと意地悪な笑みを浮かべた。
「それに、ちょうどいい。あの生意気な女を連れ戻して、このふざけた請求書を取り下げさせ、一生屋根裏でタダ働きさせてやればいいのだ。そうすれば、男爵家の借金も帳消しになる」
さらに、男爵の頭に一つの「名案(迷案)」が閃いた。
「待てよ……奴は今、辺境伯のもとへ『嫁』として送ったことになっている。となれば、親である私が辺境伯に『結納金』を要求するのは当然の権利ではないか?」
「えっ、でもお父様。お姉様を連れ戻すなら、結納金はもらえないのでは……?」
「馬鹿を言え。辺境伯のような野蛮な男、無能なリゼットなどすぐに飽きて持て余しているに決まっている。まずは結納金を要求し、そのついでに『あんな無能な女、さぞお困りでしょう。我が家が引き取って差し上げますよ』と温情を装えば、辺境伯も喜んで奴を突き返してくるはずだ。一石二鳥ではないか!」
父親の浅はかすぎる計画に、ミリアナもパッと顔を輝かせた。
「さすがはお父様! お姉様なんて、辺境の寒さで震え上がって、きっと泣いて帰りたがっていますわ! 私たちが迎えに行ってあげるなんて、感謝してほしいくらいです!」
二人は醜い笑い声を上げながら、さっそく辺境伯への手紙を書き始めた。
『冷酷無慈悲な辺境伯へ。無能な娘をくれてやったのだから、相応の結納金(金貨三千枚)を払え。支払いが済んだら、無能で役に立たないリゼットはこちらで引き取ってやるから感謝しろ』
という、恐ろしく身の程知らずで、命知らずな内容の手紙を。
***
彼らは理解していなかった。
リゼットが施していた『概念付与』の技術が、どれほど神懸かった国宝級の代物であったかを。
そして、彼らが「野蛮で恐ろしい男」と見下している氷の辺境伯が、リゼットの才能と存在そのものを、どれほど狂気的なまでに愛し、崇拝しているかを。
この愚かな手紙が、帝国最強の竜騎士団長の逆鱗に触れ、彼らに致命的な破滅をもたらす「自業自得のカウントダウン」の引き金になるとは、王都の誰も気づいていなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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