EP 4
雷雲の結界と、古代浮遊都市『ラピス・ネビュラ』
雲海の果てに君臨する、神話の巨影。
超古代浮遊都市『ラピス・ネビュラ』の全貌が間近に迫るにつれ、スノードロップ号のクリスタル風防越しに伝わる大気の振動は、物理的な質量を伴って船体を激しく軋ませていた。
「ピピピピピッ、キキキキキッ!!」
コンソールの中央に据えられた星脈水晶の探知機が、過負荷を知らせる甲高い悲鳴を上げ続ける。盤面に浮かび上がる魔力波形の針は完全に振り切れ、赤黒い光条が不規則にスパークを散らしていた。
「旦那様、前方の空間構造が完全に歪曲しています! 都市の外周全体を覆っているのは、古代防衛結界――『雷帝の荊』です!」
リゼットの引き締まった声が、操縦席に響く。
二人の視界を埋め尽くしたのは、天を衝く巨大な紫電の網だった。
一本一本が太古の巨木ほどもある稲妻が、幾何学的な紋様を描きながら都市の外郭を隙間なく旋回している。触れたものを原子レベルで蒸発させ、いかなる侵入者も許さない、神話時代の絶対迎撃システム。
「通常の装甲では、接触した瞬間にエーテル爆縮を起こして塵も残りません。……現行の帝国軍のどの艦隊を連れてきても、一瞬で全滅する規模です」
「だが、お前ならその荊の檻の隙間が見えるのだろう?」
助手席から立ち上がり、通路を通って船首の突入ハッチへと歩みを進めながら、クラウスが低く問う。
その声音には、世界の終わりを前にしたような悲壮感など微塵もない。最愛の妻が創り出した船と、その瞳が捉える真実への、絶対的な信頼だけが満ちていた。
「はい。完璧に見えています!」
リゼットの翠緑の瞳が、青白い魔力の燐光を帯びて極限まで研ぎ澄まされる。
常人の動体視力では「ただの雷の嵐」にしか見えない紫電の奔流。だが、リゼットの魔力視のフィルターを通せば、それは無数の術式コードが高速で交差する精密機械の歯車に他ならなかった。
「あの結界は、均一に張られているわけではありません。古代都市の主機から送られるエーテルパルスに合わせて、脈動しています。……〇・三秒です」
「〇・三秒か」
「はい! 雷光の波が交差する瞬間、術式の結び目が一瞬だけ解ける空白時間が存在します。周期は〇・三秒。その刹那に、結び目の『核』を物理的・魔力的に両断できれば、結界全体が連鎖崩壊を起こして一時的な突破口が開きます!」
常軌を逸した綱渡りだ。
時速数百キロで突進する飛空艇の上で、〇・三秒の隙間を見極め、ピンポイントで結界の急所を撃ち抜く。コンマ一秒でもズレれば、船ごと雷帝の荊に呑み込まれて消滅する。
だが、クラウスは不敵に唇を吊り上げた。
「〇・三秒か。……先日の貴様の自衛バッジ(〇・五秒)より、二倍近くも猶予があるではないか」
「もう、旦那様ったら! 冗談を言っている場合じゃありませんよ!」
リゼットが思わず頬を膨らませると、クラウスは突入ハッチのレバーを力任せに押し下げた。
プシュゥゥゥッ、と減圧音が鳴り響き、前方のハッチが跳ね上がる。
吹き込んできたのは、肌を切り裂くような超高度の冷気と、オゾンが焦げ付く強烈な匂い。
クラウスはその暴風の中へ、外套を猛々しく羽ばたかせながら躍り出た。
白銀の甲冑に身を包み、身の丈を超える大剣を引き抜いて船首の先端に仁王立ちする。その背中は、どんな神話の巨神よりも大きく、頼もしかった。
――そして、リゼットの耳に光る翻訳魔導具から。
暴風の轟音を木っ端微塵に掻き消す、特大の爆音が脳内を揺るがした。
『(ああああああああああああああああああああああッッッ!!!!)』
本日も絶好調、銀河を貫く限界オタクの絶叫。
『(見てくれこの俺の妻の神がかり的な解析眼!! 古代の神話兵器すらも一瞬で丸裸にするその知性!! 「完璧に見えています!」と言い放ったあの凛々しい横顔!! あまりの尊さに俺の心臓がバック転を三回決めたぞ!! 〇・三秒だと!? リゼット様が切り開いてくれた道ならば、コンマ零一秒の隙間だろうと俺が叩き斬って押し通るに決まっているだろうが!! 愛する妻の操縦する船の舳先に立ち、妻の瞳となって剣を振るう……これ以上の騎士の誉れがこの世のどこにあるというのだ!!!)』
「ふふっ……本当に、いつも通りの旦那様ですね!」
リゼットの胸の奥から、恐怖が完全に消え失せた。
操縦桿を握る両手に、渾身の力を込める。
「突入カウント、開始! スノードロップ号、全魔導スラスター限界解放!!」
キィィィィィンッ――!!
船尾から放たれた青白い閃光が、二倍、三倍へと膨れ上がる。
リゼットはコンソールへ自身の魔力を叩き込み、船体の慣性をねじ伏せる『超加速』の概念を上書きした。
ドォォォォンッ!!
白銀の船体が音速の壁を突破し、衝撃波のリングを置き去りにして、紫電の檻へと一直線に突っ込んでいく。
「三、二、一……今です、旦那様!! 座標、右斜め三十度、交差点の核!!」
「――応ッ!!」
クラウスの咆哮が、虚空を裂いた。
彼の大剣に、全身から絞り出された白銀の闘気と、リゼットから指輪を通じて循環する翠緑の魔力が収束していく。
二つの力が混ざり合い、刀身は太陽の黒点のような絶対の質量を宿した白光の刃へと変貌を遂げた。
「我が妻の行く手を阻むもの、神仏魔獣問わず――悉く両断してくれる!!」
刹那。
雷帝の荊が交差し、術式の結び目が露わになったコンマ三秒の静寂。
クラウスの剛腕が、天を仰ぐ大剣を無慈悲に振り下ろした。
「――『砕天・白銀波』!!」
ズバァァァァァァァァァンッッ!!!
空間そのものが両断されたかのような、甲高い破断音。
クラウスの剣閃から放たれた数百メートルの巨大な白銀の刃は、紫電の結び目の『核』を狂いなく正確に捉え、物理法則を無視して真っ二つに叩き斬った。
パキ、パキィィィンッ――!
結び目を失った古代の術式が、猛烈な勢いで逆流を始める。
紫電の荊が次々とガラス細工のように砕け散り、神話の防壁に、スノードロップ号が一隻だけ通れる巨大な光の風穴がこじ開けられた。
「突破口、維持時間残り一秒!!」
「突っ込めェェッ!!」
リゼットが操縦桿を限界まで押し倒す。
スノードロップ号は紫電の破片が舞い散る光のトンネルへと滑り込み、紙一重で結界の内側へと滑り抜けた。
ズガガガガガッ……!!
激しい摩擦音と共に、船底のランディングギアが硬質な石畳を削り取る。
リゼットの卓越したブレーキング操作により、白銀の船体は美しい火花を散らしながら弧を描き、古代都市の外郭回廊へと見事に強行着陸を果たした。
プシュゥゥゥ……。
スラスターが排熱を吐き出し、コクピット内に静寂が戻る。
「……着陸、成功です」
リゼットが大きく息を吐き出し、額に浮いた汗を拭った。
船首から戻ってきたクラウスが、大剣をカチリと鞘に納め、リゼットの頭にポンと大きな手を置いた。
「見事な操縦だった、リゼット。かすり傷ひとつない」
「旦那様の太刀筋こそ、完璧でした。……本当に、二人なら越えられない壁なんてないんですね」
二人は微笑み合い、並んで船の外へと降り立った。
外郭回廊の石畳を踏みしめた瞬間、肌を撫でたのは、数千年間外界から隔絶されていたとは思えないほど清浄で、どこか人工的な冷気だった。
眼前に広がるのは、雲上の白亜の都市。
精緻な彫刻が施された巨大な石柱群、幾何学模様を描く大理石の舗道、そして中央にそびえ立つ、天を衝く黒鉄の主機オベリスク。
かつて世界を統べていた超古代文明の栄華が、そのまま時間を止めたかのように静まり返っている。
――だが。
その静寂の底には、吐き気を催すほど禍々しい異臭が混じっていた。
「……この匂い。母の理論を歪めた、あの『反転術式』の臭気です」
リゼットが顔をしかめ、中央のオベリスクを指差す。
オベリスクの頂点から、黒紫色の不吉な魔力の奔流が天へと立ち昇り、天蓋レイラインの接続部をじわじわと蝕み始めていた。
「奴らはすでに、都市の心臓部を押さえている。急ぐぞ」
クラウスが歩み出そうとした、その時だった。
ギギギ……ガガッ……。
静寂を破り、重厚な金属の擦れ合う不快な駆動音が、周囲の白亜の神殿群の影から一斉に響き始めた。
柱の陰から、そして上空の回廊から、音もなく姿を現したのは――人間の背丈を優に超える、無機質な銀色の四肢と鋭利な刃を持つ機械の兵士たち。
その眼部には、生者の魂を弄ぶかのような毒々しい紅い光が灯っていた。
「防衛システム……いえ、結社に魔改造された『古代の操り人形』か」
クラウスが再び大剣の柄に手を掛け、冷酷な笑みを浮かべる。
リゼットも胸元の自衛バッジに手を添え、自作の工具を握りしめて彼の隣に並び立った。
天空の古代都市『ラピス・ネビュラ』。
母の理論の奪還と、世界の命運を懸けた最終決戦の第一幕が、今、静かに幕を開けた。




