EP 5
天空の防衛機構と、空中三次元の阿吽
白亜の神殿群の間に張り巡らされた空中回廊。
かつて古代文明の民が行き交ったであろうその通路は、数千年の風化と地震によってあちこちが断絶し、足元には雲海の底へと吸い込まれる底知れぬ虚空がぽっかりと口を開けていた。
ギギギ……ガガガッ!
硬質な金属の擦れ合う不快な駆動音が、濃密な冷気を切り裂いて四方から響き渡る。
二人の行く手を阻むように現れたのは、優に三十体を超える銀色の異形――古代の自律防衛兵器『浮遊機兵』の一団だった。
身の丈は二メートル半。白銀の流線型装甲に包まれた四肢を持ち、背部からは重力を制御する燐光の翼が展開されている。
本来は古代都市の治安を守る純白の守護機械だったはずのそれらは、結社の手によって無理やり『反転術式』の呪詛を埋め込まれ、装甲の隙間からドス黒い魔力の脈動を滴らせていた。
その単眼に灯る濁った紅い光が、侵入者であるクラウスとリゼットを捉え、狂気じみた点滅を繰り返す。
『敵性存在……即時、完全殲滅……』
合成音声の低周波が空気を震わせた瞬間、機兵たちの両腕がガチャリと音を立てて展開し、銃身めいた魔導砲口が剥き出しになった。
「足場が悪いな。落ちれば雲海の底まで直行か」
クラウスが大剣をだらりと下げ、足元の崩落した石畳を一瞥した。
幅数メートルほどの細い通路。ところどころ床板が抜け落ちており、並の人間であれば立つことすら足がすくむ断崖絶壁。
地上での戦いと違い、ここは完全に相手の土俵――三次元の空中戦場だった。
「旦那様、来ます!」
リゼットの鋭い叫びと同時に、三十体の機兵が一斉に宙へと跳躍した。
重力制御の翼を羽ばたかせ、前後左右、さらには頭上の死角や足元の奈落から、四方八方を隙間なく取り囲む包囲球体を瞬時に形成する。
ピシュ、ピシュ、ドバババババッ!!
間髪を容れず、空間を埋め尽くすような紅い魔導熱線の乱射が降り注いだ。
一本一本が分厚い鉄板をも融解させる破壊光線。それが無数の幾何学的なレーザー網となって、逃げ場のない崩落回廊を十字砲火で焼き尽くす。
「チッ……!」
クラウスが大剣を旋回させ、白銀の闘気で前方の熱線を叩き落とすが、背後や頭上からの熱線までは物理的に剣が届かない。
敵はクラウスの圧倒的な近接火力を警戒し、安全な中距離の虚空に滞空したまま、全方位からの蜂の巣による飽和攻撃を仕掛けてきたのだ。
しかし。
敵がもっとも油断していたのは、クラウスの背後に立つ「か弱い小娘」の存在だった。
「――『多層反発力場』、展開!」
カカカカカァァァンッ!!
リゼットの胸元に付けられた銀色のバッジが、青白い閃光を放射した。
彼女の周囲に展開されたのは、帝都での戦いを経てさらに改良された六角形の結晶シールド。
持続時間は相変わらずたったの『〇・五秒』。しかし、リゼットの天才的な先読み演算により、クラウスの剣が届かない死角――背後と頭上から迫る十数本の熱線を、ミリ単位の精度で弾き返したのだ。
バジィィッ! と光線が明後日の方向へと跳ね返り、敵の陣形に微かな乱れが生じる。
(〇・五秒稼げた! 次は私の番!)
熱線を弾き返した反動で呼吸を乱すこともなく、リゼットは足元の崩落した大理石の瓦礫へ、自作の刻印ペンを一気に突き立てた。
「『概念付与』――局所引力、固定励起!!」
翠緑のルーンが瓦礫の表面を走り抜ける。
リゼットが足で蹴り出した数十個の石塊が、虚空へ向かってバラバラと落ちていく……かと思われたその瞬間、空中にピタリと静止した。
彼女が施したのは、一定の高度と座標に質量を固定する『空中足場』の即興生成。
「旦那様、三時の方向、高度プラス十五! 足場を三点、敷きました!」
「――了解したッ!!」
クラウスの脚力が、爆発的な破壊力で大理石の通路を粉砕した。
ドォォォンッ!
常人なら落ちて死ぬだけの何もない虚空へ向かって、クラウスの巨躯が弾丸のように飛び出す。
空中に浮かぶ、リゼットが作った第一の瓦礫。
クラウスの軍靴がその瓦礫を正確に踏み抜いた瞬間、リゼットの引力制御が反発力へと切り替わり、彼に第二段の凄まじい跳躍力を与えた。
「な……機動パターン、予測不能……!?」
浮遊機兵の単眼が激しく点滅する。
重力制御の翼を持つ自分たちに対し、地上を歩くはずの騎士が、虚空をまるで平地のように縦横無尽に疾走してきたのだ。
ズバァァァァンッ!!
クラウスの横薙ぎ一閃。
滞空していた三体の機兵が、魔導砲を構える間もなく、装甲ごと腰から真っ二つに両断され、黒い煙を噴き出しながら奈落へと墜落していった。
「次だ、リゼット!」
「九時方向、頭上から急降下してきます! 足場、五点追加!!」
リゼットは通路の上を軽やかにステップを踏みながら、次々と小石を宙へ投げ放ち、概念付与で空中に『見えない階段』を編み上げていく。
敵の熱線が彼女を狙って降り注ぐが、リゼットは身をよじる最低限の動作と、胸元の〇・五秒シールドを要所でのみ起動させ、紙一重でかわし続ける。
守られるだけの存在ではない。
彼女自身が戦場全体の立体チェス盤を支配する『司令塔』であり、クラウスの刃を敵の喉元へ運ぶための『道標』だった。
ドガッ! バシィィンッ!
クラウスが空中の瓦礫を足場にしてジグザグに跳躍し、三次元の機動で機兵たちの懐へと潜り込む。
上空からの熱線、背後からのブレード攻撃。すべての死角をリゼットの声と魔力が補い、クラウスの白銀の大剣が容赦なく敵を屠っていく。
ズバッ! ドシャァァッ!
空中でバラバラに解体された機兵の残骸が、まるで鉄の雨のように雲海の底へと降り注ぐ。
完璧な呼吸。完全なる阿吽。
二人の間に言葉による詳細な打ち合わせなど何一つ存在しない。
リゼットが魔力視で捉えた敵の死角へ足場を作り、クラウスがそこへ一切の疑念を持たずに命を預けて飛び込む。
夫婦の魂の繋がりが生み出す、世界でこの二人だけにしか成し得ない究極の空中曲芸戦闘。
そして――。
リゼットの耳に光る翻訳魔導具からは、激しい戦闘の真っ最中であるにもかかわらず、過去最高デシベルの爆音が脳髄を揺さぶり続けていた。
『(あああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!)』
鼓膜が破裂しそうなほどの、限界突破した歓喜と興奮の大絶叫。
『(俺の妻が!! 虚空に舞う妖精のように美しく、俺に空を走る道を与えてくれている!!! なんだこの完璧な足場の配置は!! 俺の歩幅、俺の体重、俺の剣の踏み込みの深さまで、すべてをミリ単位で計算し尽くしている!! 俺のことをどれだけ理解していればこんな芸当ができるのだ!! 愛だ!! これこそが絶対的な魂の愛の証明!!! リゼット様、俺は今、お前の創った空を走っているぞ!! 世界一最高だ!! 神よ感謝します、俺をこの女性の夫にしてくれて本当にありがとう!!!)』
「ふふっ……あはははっ!」
死線が交錯する極限の戦場の中で、リゼットは思わず声を上げて笑ってしまった。
心の中ではこれ以上ないほどやかましく歓喜の舞を踊り狂っている男が、現実では絶対零度の死神のような無表情で、神話の機械兵士たちを一撃で両断し続けている。
その凄まじすぎる落差が、たまらなく愛おしく、そして頼もしかった。
「旦那様、最後の一体! 天頂、百メートル上空から最大出力の荷電粒子砲をチャージしています!」
「――任せろッ!」
リゼットが投げ上げた最後の大理石片。
クラウスはその足場を渾身の闘気で蹴り砕き、ロケットのような垂直上昇で天へと駆け上がった。
迎撃機兵のリーダー格が、巨大な砲口に紅いエネルギーを収束させ、照準をクラウスへ合わせようとする。
だが、遅い。
「我が妻が切り開いた道を汚す鉄屑が――身の程を知れッ!!」
クラウスの両腕から解き放たれた白銀の剣閃が、夜空を昼間のように照らし出した。
ズバァァァァァァァァァンッッ!!!
一刀両断。
リーダー格の機兵は、荷電粒子砲を撃ち放つ間もなく、巨大な頭部から動力核に至るまでを垂直に両断され、空中で激しい火花を散らして爆散した。
ドォォォォンッ……!
白亜の神殿群に轟音が反響し、煙が風に流されていく。
クラウスは重力を制御するようにふわりと空中を舞い、リゼットの立つ崩落回廊へと静かに着地した。
戦闘開始から、わずか三分足らず。
三十体を超えていた古代の自律防衛部隊は、完全に全滅していた。
大剣を鞘に納めたクラウスが、肩で息をするリゼットの元へと歩み寄る。
その黄金の瞳は、これ以上ないほど優しく細められていた。
「怪我はないか、リゼット」
「はい。旦那様こそ、どこも焦げていませんか?」
「お前が敷いてくれた道を走っていただけだ。傷などつくはずもない」
クラウスは自らの手袋を外し、汗ばんだリゼットの額を大きな手のひらでそっと拭った。
翻訳魔導具を通さずとも伝わってくる、深い信頼と体温。
二人は互いに頷き合い、敵の残骸が散らばる通路の先へと視線を向けた。
神殿群の最奥。
天を衝く黒鉄のオベリスクの根元に、禍々しい紫色の結界で閉ざされていた巨大な両開き扉が、防衛兵器の全滅に呼応するように、重々しい地響きを立ててゆっくりと開き始めていた。
扉の奥から漏れ出てくるのは、大気そのものを腐敗させるような、強烈な反転術式の瘴気。
天蓋レイラインの制御中枢――『星核の間』。
「……あそこに、お母様の理論を盗み、世界を歪めようとしている本当の元凶がいます」
リゼットの翠緑の瞳に、揺るぎない覚悟の炎が灯った。
「ああ。すべての決着をつけに行くぞ」
クラウスがリゼットの手を固く握りしめる。
二人は迷うことなく足を踏み出し、世界の命運が待つ最後の闇の中へと進んでいった。
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