EP 10
帝国筆頭魔導具師と、皇帝の密命
宮廷魔導院長ヴァレンティンが、自らの醜悪な嫉妬と陰謀を暴かれ、玉座の間から引きずり出されていった直後。
水を打ったように静まり返る大広間で、皇帝ジルヴェスターはゆっくりと玉座から立ち上がった。
「……見苦しいものを見せたな、氷の辺境伯、並びにリゼットよ。だが、これで帝都に巣食っていた腐った膿はあらかた絞り出せた」
皇帝の灰色の瞳が、真っ直ぐにリゼットを捉える。
その眼差しには、冷徹な覇王としての威圧感は鳴りを潜め、一人の天才に対する深い敬意と、娘の命を救われた父親としての純粋な感謝が宿っていた。
「リゼット。王都で『無能』と蔑まれ、すべてを奪われたと聞くお前が、我が帝国の皇女を救い、腐敗した魔導院の悪事を暴いてみせた。……お前のその類まれなる才能と気高き心に、予は皇帝として、最大限の敬意と礼を尽くそう」
皇帝が右手を掲げると、玉座の脇に控えていた重臣が、恭しく一つの白金のトレイを運んできた。
その上に乗せられていたのは、帝国の紋章である『太陽』と、魔導の叡智を示す『星』が刻まれた、煌びやかな勲章だった。
「リゼット・フォン・オズワルド。……いや、今はリゼット・ルンデベルク辺境伯夫人か。そなたに、帝国史上最年少での『帝国筆頭名誉魔導具師』の称号を授与する」
その言葉に、周囲の貴族たちから息を呑む音が漏れた。
『筆頭名誉魔導具師』。それは、宮廷魔導院長すらも凌駕する、帝国における魔導具開発の最高権威。
それを、齢十代の、それも他国から追放されてきた少女に与えるというのだ。前代未聞の特例中の特例である。
「さらに、帝都の中心にある王立魔導研究所の最上階を、そなたの専用工房として下賜しよう。帝国軍の持つあらゆる希少素材と資金の自由な使用権も与える。……どうだ。帝都に残り、予のためにその才能を存分に振るってみる気はないか?」
それは、魔導具師であれば誰もが涎を垂らして飛びつくような、究極の破格の待遇だった。
王都の小さなアトリエで、実の父親からすら「無能な道具」として扱われていた少女が。今、大陸最強の帝国の頂点から、最高の『天才』として世界中がひれ伏すほどの権力と名誉を差し出されたのだ。
完全なる、大逆転。
だが、リゼットは驚くことも、舞い上がることもなく。
ただ隣に立つクラウスを一度だけ見上げ、ふんわりと微笑んでから、皇帝に向かって優雅にカーテシー(挨拶)をした。
「身に余る光栄、心より感謝申し上げます。……筆頭名誉魔導具師の称号は、ありがたくお受けいたします。ですが」
リゼットは、真っ直ぐに皇帝を見つめ返した。
「私の居場所は、旦那様のおられる辺境の地にしかありません。私は、彼が守るあの優しくて温かい雪国の領民たちのために、魔導具を作りたいのです。ですから……工房は辺境のままで構いません」
どんな権力も、名誉も、莫大な資金も。
彼女にとっては、クラウスの隣で笑い合える日々に比べれば、全く価値のないものだった。
その迷いのない純粋な答えに、皇帝は呆気にとられた後、フッと腹の底から愉快そうに笑い声を上げた。
「くっ……ふははははっ! そうか、そうであろうな。あの氷の辺境伯が、お前のような宝を帝都の埃っぽい研究所に手放すわけがない」
皇帝は満足げに頷き、クラウスへと視線を移した。
「クラウス。良い妻を持ったな。帝国筆頭魔導具師を辺境に独占するのだ、これからの辺境領の発展と防衛、大いに期待しているぞ」
「はっ。我が妻の魔法は、帝国の歴史すら変えてみせましょう」
クラウスが堂々と胸を張って答える。
こうして、帝都を舞台にした息詰まる宮廷闘争と「ざまぁ」の劇は、リゼットの完全勝利という形で華々しく幕を下ろしたのだった。
***
その日の夜。
皇帝から下賜された、帝都の一等地にある豪奢な別邸。
使用人たちをすべて下がらせ、静寂に包まれた広間のバルコニーで、クラウスとリゼットは二人きりで祝杯を挙げていた。
「旦那様。……いろいろとありましたけれど、無事に終わって本当に良かったです」
夜風に銀糸の髪を揺らしながら、リゼットがグラスを掲げる。
クラウスはグラスを合わせ、カチンと澄んだ音を響かせた。
「ああ。お前が皇帝の前で言い放った言葉、最高に胸がすいたぞ。宮廷の連中も、これで二度とお前を侮ることはできまい」
表向きは、夜景を見つめながらワインを嗜む、大人の余裕に満ちたクールな辺境伯。
――しかし。
リゼットの耳に光る翻訳魔導具からは、もはや邸宅全体を物理的に震わせるほどの、過去最大級の大爆音が鳴り響いていた。
『(ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!)』
ワイングラスが粉砕しそうなほどの、限界突破の絶叫。
『(俺の妻が!!! 皇帝陛下からの国宝級の引き抜きを断って、「私の居場所は旦那様の隣だけです」と宣言してくれた!!! 全帝都の貴族たちの前で!!! 俺への絶対的な愛の告白!!! 尊い!!! 尊すぎて俺は今日という日を帝国暦の祝日に制定したい!!!)』
「ふふっ……ふふふっ」
あまりにも激重で、やかましくて、愛に溢れすぎている心の声。
リゼットは笑いを堪えきれず、肩を震わせてクスクスと笑い出した。
『(皇帝に認められた帝国筆頭魔導具師が、俺の妻!! 世界で一番美しくて、優しくて、俺のことを愛してくれている最高の女神!! もう駄目だ、俺の理性が吹き飛びそうだ!! 今すぐその細い腰を抱き寄せて、朝まで愛の言葉を囁き続けたい!!!)』
「……あの、旦那様」
リゼットは、笑い涙を拭いながら、バルコニーのテーブルにグラスを置いた。
そして、自らの耳に手を伸ばし、カチャリと音を立てて『翻訳魔導具』のイヤリングを外した。
ピタリ、と。
頭の中に響いていた騒がしい絶叫が止み、静かな夜風の音だけが戻ってくる。
「……リゼット?」
「あの……旦那様。心の声で叫んでくれるのも、すごく嬉しいんですけど」
リゼットは、頬をりんごのように真っ赤に染めながら、上目遣いでクラウスを見上げた。
「今日は……その、旦那様の『本当の声』で、聞きたいな、って」
その破壊力抜群のおねだりに。
帝国最強の氷の辺境伯の理性が、音を立てて完全崩壊した。
「……っ」
ガタンッ! と椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったクラウスは、一歩でリゼットとの距離を詰め、彼女の華奢な体を強引に、けれど骨が折れないように細心の注意を払って、己の分厚い胸板の中へと抱きしめた。
「だ、旦那様っ……!」
「お前という奴は……本当に、俺を狂わせる」
クラウスの生の声が、耳元で低く、熱を帯びて囁かれる。
翻訳魔導具を通した騒がしい声ではない。彼自身の声帯から紡がれる、不器用で、激しくて、狂おしいほどの愛の言葉。
「愛している。……お前が皇帝の前で俺を選んでくれた時、本当に嬉しかった。お前は俺の誇りであり、命であり、この世界のすべてだ」
「旦那様……」
クラウスの大きな手が、リゼットの顎をそっと持ち上げる。
星明かりの下、二人の視線が熱く交わり――。
言葉の代わりに、甘く、深く、すべてを溶かすような口づけが交わされた。
王都で虐げられていた少女は、自らの才能と勇気で運命を切り拓き、世界で一番不器用で優しい騎士の、永遠の寵愛を手に入れたのだ。
***
翌朝。
甘い夜の余韻も冷めやらぬうちに、帝都の別邸に皇帝からの極秘の使者が訪れた。
「……密命、ですか」
執務室で書状を受け取ったクラウスが、険しい顔で眉をひそめる。
隣で朝の紅茶を淹れていたリゼットも、不思議そうに首を傾げた。
「ヴァレンティンの処罰も決まりましたし、もう帝都での仕事は終わったはずでは?」
「ああ。だが、どうやらあの老害の口から、とんでもない情報が飛び出したらしい」
クラウスは書状をデスクに広げ、リゼットへ見せた。
「国家反逆罪で捕らえられたヴァレンティンを、宮廷の尋問官が徹底的に締め上げた結果……奴が内通していた『黒の月』の、真の本拠地の場所が判明した」
「本拠地……! お母様の理論を盗み出し、皇女殿下を呪った、本当の黒幕たちの巣窟ですね。……どこの国に隠れていたんですか?」
リゼットが身を乗り出して尋ねると、クラウスは真剣な表情でゆっくりと首を横に振った。
「どこかの国ではない。奴らの本拠地は……この地上のどこにも存在しないのだ」
「地上に、ない?」
「ああ。……奴らの巣窟は、数千年前に滅びたとされる神話の時代の遺物。雲海のさらに上、厚い雷雲に守られた『古代浮遊都市』だそうだ」
その言葉に、リゼットは息を呑んだ。
古代浮遊都市。それは、魔導具師たちの間で伝説として語り継がれている、失われた超古代文明の最高傑作。
もし『黒の月』がその都市を拠点とし、母の残した環境魔法の『反転術式』を空から大陸全土に向けて照射するような真似をすれば。
帝国どころか、この世界そのものが、狂暴な魔獣で埋め尽くされる生き地獄と化してしまう。
「皇帝陛下からの勅命だ。……『帝国筆頭名誉魔導具師リゼット、および氷の辺境伯クラウス。両名に、古代浮遊都市の探索および、闇の結社の完全殲滅を命ず』」
クラウスが書状を読み終え、黄金の瞳を鋭く光らせた。
「奴らは、お前の母親の遺産を泥で汚し、あろうことかお前自身を兵器のパーツとして狙っている。……このまま放置しておけば、いずれ必ず辺境の脅威となる」
クラウスは立ち上がり、大剣の柄に手をかけた。
「どうする、リゼット。皇帝は俺たちに、世界を救えと言っているぞ」
その問いに、リゼットは微塵の迷いもなく、力強く頷いた。
才能への恐怖はもうない。彼女の隣には、どんな闇の中でも絶対に光を見失わない、最強の騎士がいるのだから。
「行きましょう、旦那様。お母様の優しい魔法を、これ以上悪党のオモチャにはさせません。……私たちの手で、すべてを終わらせます!」
二人は、固く手を握り合った。
視線の先にあるのは、帝都の空の遥か彼方、雲海の向こうに潜む伝説の天空都市。
才能を隠し、虐げられていた少女の「ざまぁ」の物語は、ここ帝都で完璧な結末を迎えた。
だが、天才魔導具師と氷の辺境伯の戦いは、いよいよ大陸全土の命運を懸けた、壮大なグランドフィナーレへと向かっていく。
愛と奇跡の無双劇・第五章(最終章)。
天空の最終決戦へ向け、最強夫婦の新たな冒険が、今ここに幕を開けた。
(第四章・帝都編 完)




