EP 9
白日の玉座と、老害のカルマ
皇女エレナが奇跡的な生還を果たした翌日。
帝都ソレイユの宮城、大玉座の間には、帝国の中枢を担う高位貴族と重臣たちが一堂に会していた。
皇帝ジルヴェスター臨席のもとで開かれた『最高御前会議』。
本来ならば、皇女を救ったクラウスとリゼットに対する大々的な恩賞の授与が行われるはずの、誉れ高き場である。
しかし、玉座の間に満ちていたのは、祝賀の空気とは程遠い、肌を刺すような極限の緊張感だった。
「……宮廷魔導院長、ヴァレンティン公爵。前へ出よ」
玉座から見下ろす覇王の、氷のように冷酷な声。
その声に呼ばれ、列の先頭に立っていたヴァレンティンは、ビクッと肩を震わせて進み出た。
昨日までの傲慢な態度は見る影もない。その顔色は土気色に染まり、豪奢なローブに包まれた体は微かに震えている。
「は、ははっ。陛下、お呼びでしょうか……」
「とぼけるな。貴様がこの期に及んで、己の置かれた状況を理解していないはずがなかろう」
皇帝が顎をしゃくると、玉座の傍らに控えていたクラウスが無言のまま進み出た。
クラウスは、手に持っていた数枚の羊皮紙の束を、ヴァレンティンの足元へと無造作に投げ捨てた。
「昨夜、離宮の工房で皇女殿下の治療にあたっていた我々を、闇の結社『黒の月』の暗殺部隊が強襲した」
「あ、暗殺部隊だと!? な、なんと恐ろしい……! 辺境伯閣下と奥方様がご無事で何より――」
「白々しい芝居はよせ。貴様が引き入れたのだろうが」
クラウスの絶対零度の宣告に、玉座の間が大きくどよめいた。
「そ、そそそ、そのような事実無根の言いがかりを! 辺境伯閣下、いくら殿下を救ったからといって、私を陥れようとするのは――」
「足元の書状を見ろ。それは、俺が暗殺者どもから直接押収したものだ。離宮の警戒結界の『解除パスワード』が詳細に記され、ご丁寧にも宮廷魔導院の最高機密印が押されている」
クラウスの言葉に、ヴァレンティンは弾かれたように足元の羊皮紙を見た。
確かにそこには、自分が昨夜、震える手で結社の工作員に手渡したはずの書状があった。
「捏造だ! こんなもの、辺境伯が私を罠に嵌めるために用意した偽造文書に決まっている! 魔力印など、いくらでも偽造できるではないか!」
必死に喚き散らすヴァレンティン。
だが、その醜悪な言い逃れを、静かに、そして完全に打ち砕く澄んだ声が響いた。
「偽造ではありません。その魔力印に込められた『波長』は、間違いなく公爵閣下ご自身のものです」
クラウスの後ろから進み出たのは、リゼットだった。
彼女は翠緑の瞳を真っ直ぐにヴァレンティンに向け、一切の淀みなく言い放った。
「私が先日、迎賓館で指摘したことを覚えていますか? 閣下のローブの術式には欠陥があり、常に『一二パーセントの魔力漏洩』を起こしていると。……その書状に押された魔力印も、通常の印からぴったり一二パーセント分の魔力密度が欠損した、閣下にしか出せない極めて特殊な不完全波長で構成されています。魔導具師の眼は誤魔化せません」
「なっ……!?」
ヴァレンティンの顔から、完全に血の気が引いた。
まさか、迎賓館でコケにされたと思っていたあの時の指摘が、ここに来て自分を完全に縛り付ける「決定的な証拠」として牙を剥くとは。
リゼットの科学的かつ魔法的な証明に、周囲の貴族たちも一斉にヴァレンティンから距離を取った。
もはや、逃げ道は完全に塞がれたのだ。
「さらに、これは暗殺の証拠だけではない」
クラウスが、懐から分厚い帳簿の束を取り出し、玉座の皇帝へと掲げて見せた。
「北の雪山で捕縛した結社の幹部、ゲイツの隠し部屋から押収した裏帳簿です。過去十年に渡り、宮廷魔導院が『黒の月』から莫大な裏金を受け取り、引き換えに帝国軍の魔導技術や機密情報を横流ししていた証拠が、すべてここに記されております」
「……」
皇帝は帳簿を受け取ることもなく、ただ汚物を見るような冷徹な瞳でヴァレンティンを見下ろした。
「皇女暗殺の呪いの手引き、治療の妨害、暗殺者の引き入れ、そして結社との内通による国家反逆罪。……ヴァレンティン。何か言い残すことはあるか」
死刑宣告。
皇帝のその言葉を聞いた瞬間、ヴァレンティンの膝から力が抜け、床に崩れ落ちた。
数十年にわたり、帝国魔導界の頂点に君臨してきた男の、あまりにも呆気ない没落。
――だが。
すべてを失ったと悟った瞬間、ヴァレンティンの心の中で、長年抑え込んでいた黒く醜い感情が、限界を超えて爆発した。
「……ふざけるな」
「何?」
床に這いつくばったヴァレンティンが、ギリィッ! と歯から血が滲むほど強く噛み締めながら、顔を上げた。
その顔は、恐怖と絶望、そして底知れぬ嫉妬によって、醜悪な紫色の鬼のように歪んでいた。
「ふざけるなァァァッ!! なぜだ! なぜ、この儂がこんな目に遭わねばならんのだ!!」
狂乱したヴァレンティンは、リゼットを指差して絶叫した。
「儂は、四十年間だ! 四十年間、血反吐を吐いて宮廷の権力闘争を生き抜き、皇帝陛下に尽くし、この宮廷魔導院の『格式』と『権威』を守り抜いてきたのだぞ!! それを……どこの馬の骨とも知れぬ、王都を追い出されたような田舎娘が! たった数日で土足で踏みにじりおって!!」
それは、ただの悪党の戯言ではなかった。
彼なりに必死に努力し、しがみついてきた人生そのもの。凡人が必死に積み上げた泥の城を、本物の天才が、純粋な才能という圧倒的な暴力で一瞬にして吹き飛ばしてしまったことへの、血を吐くようなルサンチマン(怨恨)。
「天才だと!? 環境魔法だと!? そんなものが現れれば、我々が何十年もかけて築き上げた魔導の歴史が、すべて無価値になってしまうではないか! 秩序が崩壊する! だから……だから儂は、この帝国の秩序を守るために、あの不吉な娘を排除しようとしただけだ!! 儂は間違っていない!!」
自己正当化と、狂気に満ちた叫びが玉座の間に響き渡る。
誰もがそのあまりの醜さに顔をしかめる中。
クラウスだけが、一歩前に進み出た。
彼の黄金の瞳には、同情も、哀れみすらも一切なかった。
あるのは、本質を冷酷に抉り出す、氷の刃。
「……秩序を守るためだと?」
クラウスの重低音が、ヴァレンティンの絶叫を容易く圧し潰した。
「貴様が守ろうとしていたのは、帝国の歴史でも格式でもない。ただの『己の老いた保身』だ」
「な……っ」
「本当に魔導を愛し、帝国を思う魔導士であったなら。未知の才能を前にした時、恐れて排除するのではなく、教えを乞うてでもその技術を吸収しようとしたはずだ。……貴様は、天才の才能に嫉妬し、学ぶことを放棄したその瞬間に、魔導士としての誇りを自ら捨てたのだ」
クラウスの言葉は、ヴァレンティンの心の最も見たくない部分を、無慈悲に串刺しにした。
そうだ。彼は、リゼットの才能を見た時、驚愕よりも先に「自分の地位が奪われる」という恐怖に負けたのだ。
「自分の無能を棚に上げ、七歳の少女の命すら見殺しにしようとした外道に、格式を語る資格はない」
クラウスが見下ろす冷徹な眼差しは、ヴァレンティンの心を完全にへし折った。
「あ……ああ……あぁぁぁっ……!」
もはや反論する言葉すら失い、ヴァレンティンは床に伏して力なく咽び泣くことしかできなかった。
皇帝ジルヴェスターが、玉座から冷酷に手を振り下ろす。
「ヴァレンティン公爵の全爵位及び財産を剥奪。国家反逆罪により、極刑に処す。……近衛兵、連れて行け」
「離せ! 離せぇぇっ! 儂は宮廷魔導院長だぞ!! 儂がいなければ帝国は――!」
重装甲の近衛兵たちに両腕を掴まれ、玉座の間から引きずり出されていく老害の悲惨な絶叫。
それが完全に遠ざかり、重厚な扉が閉ざされた瞬間。
かつて帝国の中央で絶対的な権力を誇った偽りの権威は、完全に崩壊した。
後に残ったのは、静寂と。
すべてを自らの実力で覆した、一人の天才少女への圧倒的な畏怖と賞賛の念だけだった。
「……ふぅ」
リゼットは小さく息を吐き、クラウスを見上げた。
クラウスは無表情のまま、一つ頷きを返す。
――その瞬間。
リゼットの耳の翻訳魔導具から、静寂に包まれた玉座の間の空気とは全く真逆の、特大の爆音が鳴り響いた。
『(よっしゃああああああああああああああああああああああ!!!)』
もはや、勝利の雄叫びである。
『(ゴミ虫の排除、完了!! これで帝都において、俺の妻の才能を否定する老害は一人残らず消え失せた!! あの老害を論破した俺の言葉も完璧だったが、その横で静かに見下ろすリゼット様の冷ややかな瞳!! あああっ、あのゴミを見るような視線を俺にも向けてほしい!! いや違う、俺には極上の笑顔を向けてほしい!! とにかく俺の妻が世界一最高でカッコよくて尊い!!!)』
相変わらずの、限界突破した激重な溺愛の嵐。
どんなに政治的にシリアスでドロドロとした場であっても、彼の心の中だけは、常にリゼットへの愛でピンク色に染まりきっている。
そのどうしようもないギャップと、自分を全身全霊で愛してくれている夫の存在に、リゼットは思わず吹き出しそうになるのを必死に堪え、口元を扇で隠した。
「旦那様、お疲れ様でした。……これで、ようやく終わりましたね」
「ああ。帝都の風通しも、少しは良くなっただろう」
周囲の貴族たちが畏れ慄く中、夫婦だけが通じ合う内緒の会話。
王都を追放された「無能」な少女は、大陸最強の騎士の愛と、己の揺るぎない才能を武器に、ついに帝国の中心で最大の「ざまぁ」を成し遂げた。
残すは、皇帝からの最後の沙汰と、新たなる未来への約束だけである。
読んでいただきありがとうございます。
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