EP 7
暗殺者の強襲と、背中を預け合う死闘
三日目の深夜。
皇女エレナの命のタイムリミットまで、残り数時間と迫った頃。
離宮の特設工房の中央では、純白と翠緑に輝く『魂魄共鳴カプセル』が産声を上げようとしていた。
リゼットが最後のルーン文字を刻み終え、クラウスがそれに魔力を定着させようとした、まさにその瞬間だった。
パリンッ……。
耳を澄まさなければ聞こえないような、微かなガラスの割れる音。
だが、それは離宮の周囲に何重にも張り巡らされていた『高位警戒結界』が、外部から一切の魔力波長を出さずに、物理的に「解除」された音だった。
「……旦那様!」
「ああ。ネズミどもが、ついに痺れを切らしたか」
クラウスは瞬時に魔力供給を止め、リゼットを背後に庇いながら大剣を抜き放った。
直後、工房の窓ガラスが四方から一斉に砕け散り、黒装束に身を包んだ十数名の影が、音もなく室内に滑り込んできた。
彼らの手には、魔力を反射する特殊な黒塗りの短剣。
その身のこなしと、一切の殺気を漏らさない不気味なほどの静けさは、先日の廃城にいた工作員たちとは次元が違う。
間違いなく、秘密結社『黒の月』が飼い慣らしている対魔導士専門の暗殺部隊だ。
「殺せ。標的は魔導具師の娘と、その後ろの未完成のガラクタだ」
暗殺部隊のリーダー格が、低くしゃがれた声で命じた。
と同時に、彼らは懐からいくつもの小さな黒い玉を取り出し、床に叩きつけた。
シュウゥゥゥゥッ!!
割れた玉から、濃密な灰色の煙が瞬く間に工房を満たしていく。
「ゲホッ……! これは……!」
リゼットが口元を覆う。
ただの煙幕ではない。煙に触れた瞬間、リゼットの体内の魔力回路が鈍く痛み、クラウスと繋がっていた魔力のパスが、強制的にノイズまみれになって遮断されたのだ。
「『魔力遮断ガス(アンチ・マナ・ガス)』か……! 卑劣な真似を」
クラウスが忌々しげに舌打ちをする。
このガスの中では、高度な魔法の行使は極めて困難になり、魔力探知も完全に狂わされる。魔法を封じ、視界を奪い、近接戦闘で魔導士の首を刈り取るための、対魔導士の定石だ。
「散開しろ! 辺境伯の剣の届かない死角から、娘の首を刎ねろ!」
灰色の煙の中で、暗殺者たちの気配が四方八方へと散った。
いくらクラウスが最強の武力を誇ろうと、視界と魔力探知を封じられた状況で、全方位からの奇襲から「背後の妻」を完全に守り切るのは不可能に近い。
敵はそう確信し、クラウスをすり抜けて一斉にリゼットへ刃を向けた。
煙の奥から、音もなく三人の暗殺者がリゼットの背後へ肉薄する。
「もらったァッ!!」
勝利を確信した暗殺者の凶刃が、リゼットの細い首筋へと振り下ろされた。
――しかし。
リゼットは、全く怯んでいなかった。
彼女の翠緑の瞳には、恐怖ではなく、冷徹なまでの魔導具師としての『計算』が光っていた。
カァァァンッッ!!!
「なっ……!?」
暗殺者の短剣がリゼットの首に触れる寸前。
彼女の胸元に付けられた銀色のバッジが眩い光を放ち、極薄の『反発力場』が展開されたのだ。
〇・五秒。たったそれだけの時間だが、渾身の刺突を完全に弾き返された暗殺者の体勢は、大きく前へと崩れた。
(今!)
魔力遮断ガスの中で、高度な魔法は使えない。
だが、リゼットの天才的な魔力制御は、体内に残ったほんのわずかな残存魔力だけで、対象の『概念』をピンポイントで書き換える神業を可能としていた。
リゼットは弾かれた暗殺者の足元の床へ、人差し指を突き出した。
「――『局所重力反転』!!」
「うおおっ!?」
フワリ、と。
暗殺者の足元の重力が一瞬だけ上下逆転し、彼の体が無防備に宙へと浮き上がった。
〇・五秒のシールドと、重力反転。
それが生み出したのは、敵の動きが完全に静止する「〇・一秒」の完璧な隙。
「旦那様!!」
「――よくやった、リゼット!!」
妻の凛とした声に呼応し、灰色の煙を切り裂いて、白銀の閃光が迸った。
ズバァァァァァァンッ!!!
宙に浮き、回避不能となった三人の暗殺者の胴体が、クラウスの大剣によって一瞬にして両断され、血の雨となって床に降り注いだ。
「ば、馬鹿な!? ガスの死角からの同時攻撃だぞ!」
「あいつら、煙の中でも見えているのか!?」
残る暗殺者たちが、驚愕に声を震わせる。
彼らは理解していなかった。
氷の辺境伯と天才魔導具師は、もはや「守る者」と「守られる者」ではない。
互いの死角を完全に補い合い、呼吸を合わせ、背中を預け合って敵を蹂躙する、最強にして最凶の『戦友』なのだ。
「旦那様、右斜め上、天井の梁から二名! 左後方の物陰に三名!」
「了解した。……塵一つ残さず消し飛ばす」
リゼットが、自身の『魔力視』の波長を調整し、ガスの向こう側の敵の生体反応を的確に読み取ってクラウスへ指示を出す。
それを受けたクラウスは、迷うことなく大剣を振るう。
リゼットが自衛用のバッジと局所的な妨害魔法で敵の体勢を崩し、そのコンマ数秒の隙にクラウスの圧倒的な武力が敵を両断する。
あまりにも美しく、そして残酷なほどの蹂躙劇。
暗殺者たちにとって、そこはもはや狩場ではなく、逃げ場のない処刑場だった。
「ひぃぃっ! ば、化け物夫婦め……!」
「撤退だ! こんな話、聞いていな――」
逃げ出そうとしたリーダー格の暗殺者の背中に、クラウスが投擲した短剣が深々と突き刺さった。
「ガァッ……!」
「逃がすか。貴様らのようなゴミ虫の血で、俺の妻の最高傑作を汚させはしない」
崩れ落ちたリーダー格の首根っこを、クラウスが冷酷に踏みつける。
戦闘開始から、わずか三分。
離宮の工房を襲撃した十数名の精鋭暗殺部隊は、リゼットの防衛術とクラウスの剣撃の前に、誰一人としてカプセルに指一本触れることなく、完膚なきまでに殲滅された。
煙が徐々に晴れていく工房の中。
血の海の中で、クラウスはゆっくりと大剣の血糊を払い、鞘に納めた。
「……怪我はないか、リゼット」
「はい。旦那様こそ、どこも切られていませんか?」
「俺の肌に刃を立てられる外道など、この世には存在しないさ」
クラウスはフッと笑い、リゼットの頭を優しく撫でた。
その瞬間、リゼットの耳の翻訳魔導具から、煙幕のせいで一時的に途切れていた『あの声』が、爆発的な勢いで復活した。
『(あああああああああああああああああああああああああ!!!!)』
本日も限界突破の、鼓膜を震わせる大絶叫。
『(俺の妻が!! 自ら敵の攻撃を弾き、俺のために完璧な隙を作ってくれた!!! なんて気高く、凛々しく、カッコいいんだ!!! 『旦那様!』と俺を呼ぶあの声!! 最高だ!! 背中を預け合えるこの圧倒的な万能感!! 俺とリゼット様は間違いなく世界最強の夫婦だ!!! 今すぐ血の海を飛び越えてその細い腰を抱きしめ、額に誓いの口づけを落としたい!!!)』
シリアスな死闘の余韻を木っ端微塵に吹き飛ばす、狂おしいほどの共闘の喜び。
あまりにも激重で、そして頼もしい夫の本音に、リゼットはクスッと笑い声を漏らした。
「ふふっ……私も、旦那様と一緒なら、どんな敵にも負ける気がしません」
リゼットの言葉に、クラウスは耳の先を赤く染めながら、ゴホンと咳払いをして足元の暗殺者へと視線を落とした。
「……さて。ネズミの処理は終わったが、こいつらは『黒の月』の暗殺部隊だ。なぜ、このタイミングで俺たちを襲ってきた?」
「カプセルの完成を阻止するためでしょうけど……帝都の宮城の奥深くにあるこの離宮の結界を、外部の人間がそう簡単に解除できるはずがありません」
リゼットの指摘に、クラウスの目が鋭く光る。
彼は足元のリーダー格の暗殺者を蹴り飛ばし、その懐を乱暴に探った。
そして、一枚の折り畳まれた羊皮紙を引きずり出した。
「……ビンゴだ」
クラウスが広げた羊皮紙には、離宮の警戒結界の『解除パスワード』と、工房の見取り図が詳細に記されていた。
そして、その書状の末尾に押されていたのは――『太陽と杖』を象った、宮廷魔導院の最高機密印。
「宮廷魔導院の印……! やっぱり、ヴァレンティン公爵が……!」
「ああ。あの老いぼれ、己の保身のために、あろうことか『黒の月』と通じて暗殺者を手引きしやがった。皇女殿下を暗殺用の呪いにかけたのも、あの公爵が結社の手先となっていたからに違いない」
クラウスの手の中で、羊皮紙がギリィッと音を立てて握り潰される。
皇帝の愛娘を呪い殺そうとし、その治療を妨害するために闇の組織を宮城に引き入れた。
もはや、嫉妬や権力闘争のレベルではない。完全な国家反逆罪だ。
「旦那様。……これでもう、言い逃れはできませんね」
リゼットの翠緑の瞳に、怒りとは違う、冷徹で静かな『裁き』の光が宿った。
「ああ。この動かぬ証拠があれば、あの腐り切った老害の首を合法的に物理的に刎ねることができる。……だが、まずは」
クラウスは、部屋の中央で白く輝く『魂魄共鳴カプセル』へと振り返った。
「この最高の魔導具で、皇女殿下の命を救うのが先だ。……行こう、リゼット。奇跡の仕上げだ」
「はい!」
迫り来るタイムリミット。
すべての妨害を打ち砕き、絶対的な証拠を掴んだ二人は、完成した『魂魄共鳴カプセル』を伴い、皇帝と皇女が待つ宮城の最奥へと向かって歩み出した。
宮廷の腐敗を暴き、世界を救う真の奇跡が、今まさに起ころうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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