EP 4
辺境騎士団と、初めての「ありがとう」
クラウスから最高のアトリエを与えられた翌日。
リゼットは、朝から辺境伯邸の敷地内を探索していた。
(せっかく最高の環境をもらったんだもの。辺境伯様……クラウス様と、この領地のために、私ができることから始めないと)
彼に報いるため、魔導具師として何か役に立てることはないか。
そう思いながら練兵場の裏手にある武器庫を覗き込んだリゼットは、思わず眉をひそめた。
「これは……ひどいわね」
武器庫の片隅に山積みになっていたのは、刃毀れした長剣や、凹んでひび割れた胸当て、魔力伝導率が落ちて使い物にならなくなった魔導杖の数々だった。
北の辺境は魔物の出没が激しく、戦闘は日常茶飯事だ。どんなに腕の立つ鍛冶師が修繕しても、過酷な使用頻度に追いついていないのだろう。
「……よし。まずはここからね」
リゼットは腕まくりをすると、ボロボロの武具の山に向かって両手を広げた。
指先から、淡い翠緑の魔力が糸のように伸び、武具たちを包み込んでいく。
「『完全修復』――からの、『概念付与』」
リゼットの魔法は、単に壊れたものを直すだけではない。物質の設計図そのものを読み取り、最適な状態へと書き換えることができる。
「ただ直すだけじゃ、またすぐに壊れちゃうわよね。ええと、剣には『絶対非破壊』と『切れ味持続』。防具には『衝撃吸収』と『自動軽量化』の概念を定着させて……」
カァァァッ! と、武器庫の中が眩い光に包まれた。
数分後。光が収まったあとに残されていたのは、まるで神話の宝物庫から引っ張り出してきたかのように、新品同様……いや、それ以上の輝きを放つ武具の山だった。
「うん、こんなものかしら」
額の汗を拭い、リゼットは満足げに頷いた。
実家にいた頃は、こんなふうに付与を施しても「お姉様のガラクタいじり」と鼻で笑われるだけだったが、今は違う。自分の魔法が、誰かの命を守る助けになる。
それだけで、胸の奥が温かくなった。
***
翌朝の練兵場は、異様な熱気に包まれていた。
早朝の訓練と見回りを終えた竜騎士団の団員たちが、目を丸くして口々に叫んでいる。
「おい、これどうなってんだ!? 昨日まで刃こぼれでボロボロだった俺の剣が、名剣みたいにピカピカなんだが!」
「俺の胸当てもだ! 岩トカゲの尻尾攻撃をまともに食らったのに、傷一つついてねぇ! おまけに羽みたいに軽いぞ!?」
「さっき氷魔狼を斬った時、まるでバターを切るみたいにスッパリいったぞ……! どこの国宝だよこれ!」
団員たちは、信じられないものを見る目で自分たちの武具を見つめていた。
武器庫の管理を任されている初老の騎士が、慌てた様子で走ってくる。
「お前たち! 昨夜、武器庫に新しい奥様が入っていくのを見た者がいるそうだ! もしかして、奥様が……!?」
その言葉に、騎士たちの間にどよめきが走った。
王都から「身代わり」として嫁いできたという、男爵家の令嬢。噂では魔力のない無能だと言われていたが、とんでもない。
「あんな神業みたいな付与魔法……王宮の筆頭魔導士様だって不可能だぞ!」
「なんてお方だ……俺たちのために、一晩でこれだけの武具を……!」
「お前ら、奥様にお礼を言いに行くぞ!!」
***
その頃、リゼットはアトリエで新しい魔導鉱石の仕分けを行っていた。
「奥様ーーーッ!!」
突然、アトリエの扉がバンッ! と勢いよく開かれ、リゼットはビクッと肩を震わせた。
振り返ると、筋骨隆々の騎士たちが数十人も、アトリエの入り口に押し寄せているではないか。皆、一様に顔を紅潮させ、ゼエゼエと肩で息をしている。
(ひっ……! な、なに!? 武器庫の武具を勝手にいじったから、怒られるの!?)
リゼットが青ざめて後ずさりした、次の瞬間。
騎士たちは一斉にその場に片膝をつき、地響きのような大声で叫んだ。
「「「リゼット様!! 武具の修繕と付与、誠に、誠にありがとうございました!!」」」
「……えっ?」
予想外の言葉に、リゼットは目を丸くした。
先頭にいた若い騎士が、涙ぐみながらリゼットを見上げる。
「俺、さっきの見回りで魔物の不意打ちを食らったんです。でも、リゼット様が直してくださった胸当てが攻撃を完全に弾いてくれて……おかげで命拾いしました!」
「俺の剣もです! あんなに素晴らしい切れ味の剣は初めてです。本当に、ありがとうございます!」
「噂なんて大嘘だ! リゼット様は我ら辺境の女神だ!!」
次々と浴びせられる、熱烈な感謝と称賛の言葉。
リゼットは、胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。
実家にいた頃、彼女の作った魔導具はすべて義妹ミリアナの「聖女の奇跡」として発表されていた。
王都の騎士たちが救われても、彼らが感謝を捧げる相手は常にミリアナだった。
「お姉様はただの作業員でしょ?」と笑われ、リゼットが直接感謝されることなど、ただの一度もなかったのだ。
それが今、目の前の騎士たちは、まっすぐにリゼットを見て、「リゼット様」と彼女の名前を呼んでくれている。
自分の手が作り出したものが、直接誰かの命を救い、喜ばれている。
「あ……」
視界が不意に滲んだ。
リゼットは慌てて両手で口元を覆ったが、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちるのを止めることができなかった。
「よ、喜んでいただけて……よかったです……」
震える声でそう言うのが精一杯だった。
嬉しい。自分の仕事が、自分の名前で認められることが、こんなにも嬉しいなんて。
「おい、どうした騒々しい」
その時、騎士たちの後ろから、氷のように冷たく低い声が響いた。
モーセの十戒のごとく騎士たちがサッと道を開けると、そこには眉間に深い皺を寄せたクラウスが立っていた。
今日も今日とて、その表情は絶対零度の威圧感を放っている。
クラウスは、泣いているリゼットを見ると、ピタリと足を止めた。
彼の冷徹な金色の瞳が、スッと細められる。
「……俺の妻を、泣かせたのは誰だ」
地獄の底から響くようなその声に、屈強な騎士たちすらヒィッと悲鳴を上げて青ざめた。
(ち、違うの! 嬉し泣きなの!)
リゼットが誤解を解こうとした瞬間、彼女の耳の『翻訳魔導具』が、クラウスの脳内の大絶叫を拾い上げた。
『(あああああああ!? リゼット様が泣いておられる!? 誰だ! どこの馬鹿野郎が俺の女神の美しい瞳から涙を流させた!! 貴様ら全員、今すぐ極寒の雪山で腹を斬って詫びろ! いや俺が自ら微塵切りにして魔物の餌にしてやる!!)』
表向きは静かな怒りだが、内心の殺意は沸点を突破していた。
リゼットは慌てて首を横に振った。
「ち、違います、旦那様! 皆様が私にお礼を言ってくださって……嬉しくて、つい泣いてしまっただけで……!」
「……嬉し泣き、だと?」
「はい。私……自分の作ったもので、誰かから直接『ありがとう』って名前を呼んでもらえたの、初めてだったから……」
リゼットがふにゃりと照れ笑いを浮かべると、クラウスの動きがピタッと止まった。
『(――――ッッッ!!!!)』
翻訳魔導具から、言葉にならない凄まじい衝撃波(悲鳴)が鼓膜を突き抜けた。
『(ああああああんまりだ!! こんなに優しくて素晴らしい才能を持った方を、王都のゴミ共は名前すら奪って搾取していたのか!? 許せん! 今すぐ王城に単身乗り込んで国王の首を獲ってくる!!
……それにしても、涙ぐんで微笑むリゼット様、可憐すぎる……っ! 守護らねば……この笑顔を、俺が一生懸命かけて……!)』
クラウスはギリッと奥歯を噛み締めると、無言のままツカツカとリゼットに歩み寄った。
そして、懐から真っ白な絹のハンカチを取り出すと、リゼットの目の前にスッと差し出した。
「……顔が、濡れているぞ。拭け」
相変わらずの無愛想な声と、目を合わせようとしない態度。
だが、心の声は。
『(受け取ってくれぇぇぇ! そしてその涙を拭いたハンカチは俺の家宝としてガラスケースに永久保存させてくれぇぇぇ!!)』
「ふふっ……ありがとうございます、旦那様」
リゼットはハンカチを両手で受け取ると、そっと目元を拭った。
その様子を見ていた騎士たちが、ハッとして一斉にクラウスに敬礼した。
「団長! 俺たち、リゼット様のためなら命を懸けて戦えます!」
「奥様は辺境騎士団の至宝です! 王都の奴らが連れ戻しに来ても、俺たちが全力でぶっ飛ばしますから!」
屈強な男たちの熱烈な忠誠宣言に、リゼットは目を丸くした。
「……お前たち、訓練が足りないようだな。昼まで素振り一万回だ。さっさと行け」
「「「はいッ!! リゼット様、バンザイ!!」」」
クラウスが冷たく追い払うと、騎士たちは嬉々として練兵場へと走っていった。
嵐が去った後のアトリエで、リゼットは手元のハンカチをぎゅっと握りしめた。
辺境に追放されて、まだ数日。
けれど、ここには自分の技術を必要としてくれる人たちがいて、自分の仕事を全力で肯定してくれる不器用な旦那様がいる。
「……私、ここに来て本当によかったです」
リゼットが心からの言葉を紡ぐと、クラウスは微かに肩を揺らし、やっぱり目を逸らしたまま、ぽつりと呟いた。
「……俺もだ」
『(あなたに出会えて、俺の人生は救われました。ああ、もうダメだ。今すぐこの愛と感謝を大声で叫びたいが、絶対に引かれるから我慢だ……!)』
ダダ漏れの激重な心の声を聞きながら、リゼットはこれからの辺境ライフが、たまらなく楽しく、そして騒がしいものになることを確信して、ふわりと微笑んだ。
読んでいただきありがとうございます。
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