EP 3
専用アトリエと、私だけのパトロン
翌朝。
朝食を終えたリゼットは、辺境伯邸の使用人に案内されて、城の奥にある一室の前に立っていた。
「……辺境伯様。私にご用とは、なんでしょうか」
リゼットは両手を前で揃え、少しだけ身を縮こまらせた。
目の前には、相変わらず冷徹な空気を纏うクラウスが腕を組んで立っている。
「お前は、王都で魔導具を作っていたそうだな」
低い声で問われ、リゼットはビクッと肩を揺らした。
(も、もしかして、私が義妹の身代わりとしてだけじゃなく、実は『無能』とされて追放されたことがバレたのかしら……!?)
王都でのリゼットの扱いは、「聖女の才能を持つミリアナの足を引っ張る、魔力のない落ちこぼれの姉」だった。
実際に魔導具を作っていたのはリゼットだが、世間的にはすべて義妹の功績だ。
辺境伯からすれば、「無能な女を押し付けられた」と激怒してもおかしくない状況である。
リゼットが弁明しようと口を開きかけた、その時。
耳につけた『翻訳魔導具』から、怒涛の心の声が流れ込んできた。
『(あああああリゼット様! 朝陽に照らされたお顔も女神のように美しい! 昨夜はよく眠れましたでしょうか!? 王都の愚か者どもはあなたを虐げていたそうですが、この俺が必ず! 必ずあなたを幸せにしますからね!!)』
「…………」
リゼットは、すっと表情を無にした。
心配して損した。この人、私のこと「天才作者」って知ってるどころか、完全に神様扱いしているじゃないか。
クラウスはリゼットの沈黙を「怯え」と勘違いしたのか、一つ咳払いをして、背後にある重厚な扉を開けた。
「……ここは、かつて物置として使っていた不要な部屋だ。お前の好きに使え」
そう言って促された部屋の中を見て、リゼットは文字通り息を呑んだ。
「え……?」
扉の向こうに広がっていたのは、物置などというレベルではない、魔導具師にとっての『夢』だった。
広々とした室内は塵一つなく清掃され、中央には熱に強い最高級の火竜の鱗を張り詰めた作業台が鎮座している。
壁際から天井まで届く棚には、希少な魔石、精霊水、ミスリルやオリハルコンといった王都でも滅多にお目にかかれない高級錬金素材が、きっちりとラベル分けされてズラリと並んでいた。
さらに手元を照らすのは、魔力の波長を乱さない純度の高い精霊石のランプ。細工用の工具セットに至っては、ドワーフの国宝級の職人が打った特注品だ。
王宮の薄暗い屋根裏部屋で、ガタガタの机と錆びたナイフで作業をしていたリゼットからすれば、まさに天国のような設備だった。
「これ……本当に、私が使っていいんですか……?」
震える声で尋ねるリゼットに、クラウスは目を合わせようとせず、冷たく言い放つ。
「言ったはずだ。不要な部屋だと。お前がここでガラクタを作ろうが、一日中寝ていようが、俺の知ったことではない。……それに、どうせ大したものは作れまい」
突き放すような言葉。
しかし、翻訳魔導具はクラウスの真実の叫びを、リゼットの脳内にガンガン響かせていた。
『(うおおおおおリゼット様の専用アトリエ! この日のために三年前から世界中の最高級素材を買い占めて準備しました! どうか、どうかお気に召してください! もし不足の品があれば、俺が単身で隣国に乗り込んで強奪してきます!!)』
『(ガラクタだなんてとんでもない! リゼット様のお作りになる魔導具はすべてが国宝! 神の遺物! ああっ、どうか俺の冷たい態度をお許しください、俺みたいな武骨な男がデレデレしたら絶対に気持ち悪がられるから、クールな辺境伯を演じるしかないんです!!)』
(……不器用にもほどがあるわ!!)
リゼットは内心で激しくツッコミを入れた。
この男、外面は絶対零度の氷の辺境伯なのに、中身はリゼットの才能を全肯定する限界オタクなのだ。しかも、三年前からこのアトリエを準備していたということは、ずっと前から彼女を迎え入れるつもりだったということになる。
リゼットが唖然としていると、クラウスは懐からゴソゴソと何かを取り出した。
それは、古びて傷だらけになった、一枚の銀色のプレートだった。
「……お前は、これに見覚えがあるか?」
差し出されたそれを見て、リゼットはハッとした。
「それは……軍に支給されていた、認識票……?」
「そうだ。三年ほど前、俺の部隊が北の大防壁で魔物の大群に孤立し、全滅の危機に瀕したことがあった」
クラウスは、まるで聖遺物を扱うかのように、その傷だらけのプレートをそっと指で撫でた。
「あの時、配給されたばかりのこの安物の認識票が、突如として規格外の防壁を展開した。しかも、俺の傷を塞ぐ治癒の魔力まで放ち……そのおかげで、俺も部下たちも、誰一人欠けることなく生還できた」
リゼットは思い出した。
三年前、王城の屋根裏部屋で、「前線に行く騎士様たちが少しでも怪我をしないように」と祈りを込めながら、一つ一つの認識票にこっそりと『絶対非破壊』と『自動治癒』の概念を付与して送り出していたことを。
無給で、誰にも気づかれない裏方の作業だった。手柄はすべて、「聖女の加護」として義妹のものにされていたはずだ。
「この術式の緻密さ、そして使い手を守ろうとする深い慈愛……。俺は、この魔導具を作った真の作者をずっと探していた」
クラウスの黄金の瞳が、真っ直ぐにリゼットを射抜いた。
「王都の腐った貴族どもは騙せても、実際に命を救われた俺の目は誤魔化せない。……リゼット。この認識票に概念付与を施したのは、ミリアナではなく、お前だな?」
その言葉に、リゼットの胸が熱くなった。
実家では、どれだけ素晴らしい魔導具を作っても「無能な姉が作ったガラクタ」と罵られ、義妹の引き立て役にすぎなかった。
自分の仕事なんて、誰にも評価されない。自分の名前なんて、一生誰も呼んでくれないと思っていた。
けれど、彼は違った。
彼は、リゼットの作ったものを通して、リゼット自身の「仕事」を正しく評価し、見つけ出してくれたのだ。
『(俺の命の恩人。俺の女神。あなたがどれほど不遇な環境で搾取されていたかを知った時、俺は腸が煮えくり返る思いだった。だが、もう大丈夫だ。ここはあなたの自由な王国だ。誰にもあなたを傷つけさせはしない!)』
耳元で響く、熱を帯びた激重な心の声。
その不器用で、けれど真っ直ぐな愛情と恩義に触れて、リゼットの瞳からポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……っ」
リゼットが泣き出したのを見て、クラウスは目に見えて狼狽した。
ピクッと肩を震わせ、氷の仮面がわずかに崩れる。
『(あああああ!? なぜ泣かれる!? 俺が怖がらせたのか!? すまない、俺みたいな図体のデカい野蛮人が偉そうに喋ったから! 今すぐ腹を切って詫びるべきか!?)』
「ふふっ……違います、辺境伯様」
内心のパニックが面白くて、そして何より嬉しくて。
リゼットは涙を拭い、これまでの人生で一番の、極上の笑顔を咲かせた。
「見つけてくださって、ありがとうございます。……このアトリエ、大切に使わせていただきますね。旦那様」
「――ッ!!」
リゼットの「旦那様」という響きと、花のほころぶような笑顔を真正面から浴びたクラウスは、文字通り雷に打たれたように硬直した。
『(……っ!! 尊死する!!!)』
脳内で特大の絶叫が響き渡る。
『(あああああああ「旦那様」と呼ばれた!? あのリゼット様に!? 笑顔が可愛すぎる! 天使か!? いや女神だ!! 駄目だ、心臓が爆発する! 俺の全財産、いやこの辺境領地のすべてを彼女に捧げよう!! 今すぐ王都を更地にして彼女への貢ぎ物にしたい気分だ!!!)』
クラウスは耳の先まで真っ赤に染め上げると、バッ! と顔を背けた。
「……す、好きにしろ。俺は多忙ゆえ、これで失礼する」
そのまま脱兎のごとく――しかし、あくまで辺境伯の威厳を保とうと必死に早足で――廊下の奥へと逃げ去っていった。
残されたリゼットは、誰もいなくなった豪華なアトリエで、一人クスクスと笑い声を漏らした。
「ふふっ、本当に不器用な人。……でも、すごく優しい」
屋根裏部屋での孤独な日々は、もう終わったのだ。
ここには、最高の環境と、自分の才能を世界で一番評価してくれるパトロンがいる。
「さてと。それじゃあ、さっそくお仕事を始めようかしら」
リゼットは作業台の前に立つと、目を輝かせてミスリルの工具を手に取った。
彼がこれほどまでに私を評価し、守ってくれるというのなら。
私も、魔導具師としての全力を懸けて、彼とこの領地に恩返しをしよう。
「見てなさい、王都の皆さま。辺境に追放されたからって、私が大人しく野垂れ死ぬと思ったら大間違いよ」
天才魔導具師リゼットの、自由で最強なアトリエ生活が、今ここに幕を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
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