EP 4
覇王の謁見と、毒杯の夜会
宮廷魔導院が仕掛けた密室の罠を、一切のダメージを受けることなく完砕した数時間後。
クラウスとリゼットは、ついに白亜の宮城の最奥、玉座の間へと足を踏み入れていた。
高い天窓から差し込む光が、黄金の玉座を神々しく照らし出している。
そこに座していたのは、大陸最大の版図を誇るファルサス帝国の絶対君主――皇帝ジルヴェスターであった。
「面を上げよ、氷の辺境伯。そして、その妻リゼット」
低く、腹の底に響くような覇王の声。
五十代半ばでありながら、その肉体は歴戦の騎士のように引き締まり、白髪の混じった金糸の髪と、すべてを見透かすような冷徹な灰色の瞳が、二人を鋭く射抜いていた。
「はっ。皇帝陛下におかれましては、健勝のようで何よりです」
クラウスが恭しく臣下の礼をとり、リゼットもそれに倣って完璧なカーテシーを披露する。
「うむ。……単刀直入に言おう。先ほど、宮廷魔導院の地下実験場にて、廃棄寸前だった大型魔力炉が『修理』されたと報告があった。それも、致死量の暴走を完全に抑え込んだ上で、だ」
皇帝の言葉に、玉座の間に控えていた重臣たちがざわめいた。
ヴァレンティン公爵は青筋を立てて俯き、憎悪に満ちた目で床を睨みつけている。
「たった数分で、宮廷魔導士たちが束になっても直せなかった炉を再稼働させるとは。辺境から届いた『雪山を花畑に変えた』という報告も、あながち嘘ではないようだな」
「嘘などではありません。すべては、私の妻であるリゼットの才能と技術が成し遂げた事実です」
クラウスの迷いのない言葉に、皇帝は口角をわずかに吊り上げた。
「よい。……実力のない権威など、いずれ国を腐らせる毒となる。予は、実力主義だ。お前たちが本物の天才であるならば、この帝都において存分にその力を振るうがよい」
皇帝の目は、明確な『利用価値』を推し量っていた。
皇帝ジルヴェスターは、宮廷魔導院をはじめとする中央貴族たちの腐敗と権威主義を苦々しく思っていたのだ。クラウスとリゼットという劇薬を帝都に投下することで、老害どもを一掃しようとする冷徹な政治的思惑。
クラウスもそれを理解した上で、不敵に笑い返した。
「今宵、宮城の広間にて、そなたたちの功績を讃える夜会を開く。必ず出席せよ」
「御意に」
謁見は短く、しかし密度の濃い緊張感に満ちたまま終了した。
***
その日の夕刻。迎賓館の控え室。
リゼットは、鏡の前に立って思わず息を呑んだ。
「だ、旦那様……これ、本当に私が着ていいんですか?」
リゼットが身に纏っているのは、クラウスが事前に帝都の最高級の職人を呼び寄せ、莫大な資金を投じて仕立てさせた特注のドレスだった。
深い夜空のような濃紺のシルク生地には、微細な星脈水晶の粉末が織り込まれており、動くたびに本物の星空のようにキラキラと輝く。王都の王族ですら手が出ないほどの、圧倒的な美しさと品格。
背後に立つクラウスは、軍服の正装に身を包み、腕を組んで鏡越しのリゼットをジッと見つめていた。
「当然だ。お前の美しさを引き立てるには、これでもまだ足りないくらいだがな」
相変わらずの無表情。しかし、リゼットの耳の翻訳魔導具からは。
『(あああああああああああああああああああああああああああ!!!!)』
過去最大デシベルの、鼓膜を物理的に突き破りかねない大絶叫が響き渡った。
『(息が止まる!! なんだこの神の造形美は!! 銀河のすべての星を集めても、今のリゼット様の輝きには勝てん!!! 美しすぎる!! 尊すぎる!! こんな姿を帝都の馬鹿どもに見せたら、全員が俺の妻に惚れてしまうではないか!!! 嫌だ!! 誰にも見せたくない!! 今すぐ分厚い布で包んで辺境に持ち帰り、寝室で俺だけが永遠に眺めていたい!!!)』
あまりの激重な限界オタクっぷりと独占欲の爆発に、リゼットは吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
表向きは「辺境伯の威厳」を完璧に保ちながら、心の中では「妻が可愛すぎて誰にも見せたくない」と地団駄を踏んでいる。
それがおかしくて、愛おしくてたまらない。
「ふふっ……ありがとうございます。旦那様に選んでいただいたドレス、私、世界で一番幸せです」
リゼットが振り返り、クラウスの腕にそっと両手を絡めると、彼はビクッと肩を震わせ、耳まで真っ赤に染めながら「あ、ああ……行くぞ」とそっぽを向いた。
***
夜会が開かれる宮城の大広間は、帝都の有力貴族たちでごった返していた。
クラウスにエスコートされてリゼットが入場した瞬間、会場の空気が一変した。
彼女の纏う夜空のドレスの圧倒的な美しさと、辺境伯の堂々たる威厳に、誰もが息を呑み、視線を釘付けにされたのだ。
「あれが……王都から追放されたという、あの娘か?」
「なんて美しい……まるで星の女神だ」
好意的な感嘆の声が漏れる一方で、ヴァレンティン公爵派の貴族たちからは、忌々しげな舌打ちと冷ややかな敵意が向けられていた。
クラウスが皇帝への挨拶のためにわずかに席を外し、リゼットが壁際で彼を待っていた時のこと。
「初めまして、辺境伯夫人」
甘ったるい香水の匂いと共に、派手な真紅のドレスを着た貴族の令嬢が数人、親しげな笑みを浮かべて近づいてきた。
彼女たちの胸元には、宮廷魔導院に関係する家柄であることを示す紋章が光っている。ヴァレンティン派の令嬢たちだ。
「帝都の夜会は初めてでしょう? 私たちは、田舎から来られたあなたを歓迎したいと思っておりましてよ」
「ご親切に、ありがとうございます」
リゼットが優雅に微笑み返すと、リーダー格の令嬢が、銀のトレイから二つのクリスタルグラスを取り出し、その一つをリゼットへ差し出した。
中には、美しい琥珀色の果実酒が注がれている。
「さあ、私たちの友情の証に、乾杯を」
「……」
リゼットはグラスを受け取った。
その瞬間、彼女の左手にはめられた『魔力共鳴のペアリング』が、微かな振動と共に危険を知らせた。
(……なるほど。遅効性の『魔力攪乱毒』ね)
リゼットの翠緑の瞳が、グラスの中の液体を分子レベルで瞬時に解析する。
飲んでも命に別状はないが、数時間後に体内の魔力回路を激しく乱し、酷い吐き気と痙攣を引き起こす陰湿な毒。夜会の真っ最中に失態を演じさせ、辺境伯の顔に泥を塗るための卑劣な罠だ。
「どうなさいました? まさか、帝都の酒は口に合わないとでも?」
令嬢が、意地悪く口端を歪める。
周囲の貴族たちも、リゼットがどう対応するのか、興味本位の冷たい視線を送っていた。騒ぎ立てれば「田舎者の被害妄想」と笑われ、飲めば毒牙に倒れる。
だが、リゼットは動じなかった。
彼女はグラスを持ったまま、ほんの〇・一秒、指先から極小の魔力を液体へと流し込んだ。
「――『概念中和』」
誰にも気づかれないほどの微弱な魔力操作。
毒を構成する魔力分子の結合を瞬時に分解し、無害な糖分とビタミンへと構造を書き換える。
致死の猛毒すらも無力化できる天才魔導具師にとって、こんな三流の攪乱毒など、子供のイタズラ以下のオモチャに過ぎない。
「いいえ。帝都の美酒、ありがたく頂戴いたします」
リゼットはふわりと微笑むと、グラスに口をつけ、琥珀色の液体を一気に飲み干した。
「ふふ、よくってよ」
令嬢たちは勝ち誇ったように笑い合った。
だが、数分経っても、十分経っても。リゼットの顔色は全く変わらず、むしろ肌のツヤが良くなり、より一層美しさを増していくではないか。
「な、なぜ……?」
「どういうこと……効いていないの!?」
令嬢たちが焦り始め、顔を青ざめさせる。
リゼットは空になったグラスを近くのテーブルに置くと、彼女たちに向かって、貴婦人としての完璧な微笑みを向けた。
「とても美味しい果実酒でした。……ただ、少しだけ『不純物』が混ざっていたようですので、私の手で極上のノンアルコール果汁に『浄化』させていただきましたわ。皆様も、お腹を下さないようにお気をつけくださいね?」
「なっ……!?」
毒を盛ったことを見抜かれていた。それどころか、触れた一瞬で毒を無力化されたのだ。
格の違いをまざまざと見せつけられ、令嬢たちは恐怖でガタガタと震え上がり、逃げるようにその場から立ち去っていった。
「見事なカウンターだ。俺が出る幕もなかったな」
背後から、クラウスが満足げな声で歩み寄ってきた。
彼は少し離れた場所から、リゼットの鮮やかな対応をすべて見守っていたのだ。
「旦那様。……私、もう誰にも負けませんよ」
リゼットが誇らしげに胸を張ると、クラウスはフッと柔らかく笑い、彼女の腰を抱き寄せた。
宮廷魔導院の嫌がらせなど、彼ら夫婦にとってはそよ風にも等しい。
だが、この輝かしい夜会の裏側で、帝国全土を揺るがす真の『闇』が、静かに蠢き始めていることに、まだ二人は気づいていなかった。
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