EP 3
密室の試練と、自衛の閃光
宮廷魔導院の地下深くに位置する「第一密閉実験場」。
ここは本来、極めて危険な高位魔導具の実験や廃棄処分を行うための施設であり、周囲は数十メートルもの厚さを持つ対魔導防壁で完全に覆われていた。
「審査の規定により、部外者の立ち入りは一切禁じられています。辺境伯閣下におかれましては、この扉の外でお待ちいただきますよう」
意地悪く口端を歪める試験官の魔導士に、クラウスは微塵も表情を動かさず、ただ黄金の瞳で相手を睨み下ろした。
それだけで試験官の喉がヒュッと鳴るが、ここで引き下がるわけにはいかないらしい。
「旦那様、大丈夫です。すぐ終わらせてきますから」
「……ああ。もし一分経っても出てこなければ、この扉ごと粉砕して迎えに行く」
「もう、脅かさないでくださいね」
ふわりと微笑んだリゼットが実験場の中へ足を踏み入れると、分厚い鉛とミスリルの扉が重々しい音を立てて閉ざされ、厳重な魔力錠が幾重にも掛けられた。
密室となった実験場の中。
リゼットの前にそびえ立っていたのは、見上げるほど巨大な『軍事用大型魔力炉』だった。帝国軍が旧時代に使っていたという骨董品で、表面にはサビが浮き、複雑な配管が血管のように張り巡らされている。
「本日の審査課題は、この『廃棄寸前の魔力炉』の再起動および出力調整だ」
安全な防護ガラスの向こう側――分厚い結界に守られた監視室から、三人の試験官が見下ろすように指示を出してきた。彼らは皆、ヴァレンティン公爵の息がかかった腹心たちだ。
「制限時間は十分。規定の出力を安定させられなければ、不合格とする。……さあ、辺境で奇跡を起こしたという君の腕前、とくと拝見させてもらおうか」
マイク越しに響く声には、隠しきれない嘲笑が混じっていた。
(この魔力炉……わざと経年劣化を放置しているだけじゃないわね)
リゼットは魔力視で炉の内部構造を解析し、即座に「罠」の全貌を見抜いた。
内部の冷却回路が意図的に切断されており、さらに魔力増幅器には、少しでも外部から魔力を流し込めば『限界値の百倍』まで一気に暴走する呪いに近い術式が組み込まれている。
起動させた瞬間、この魔力炉は制御不能の大爆発を起こす。
数トンの金属片と数千度の魔力熱線が、逃げ場のないこの密室を吹き飛ばすだろう。
試験官たちは、リゼットを「誤操作による痛ましい爆発事故」に見せかけて、確実に再起不能の重傷を負わせる気なのだ。
(なんて悪趣味な。……でも、私の才能を試すには、少しスケールが小さすぎるわ)
リゼットは小さく息を吐くと、工具箱から一本のミスリル製のドライバーを取り出し、魔力炉の制御盤の前に立った。
「では、始めます」
リゼットが制御盤に魔力を流し込んだ、その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴォォォォッ!!!
魔力炉が、耳を劈くような轟音を立てて激しく脈動し始めた。
切断されていた冷却回路が悲鳴を上げ、炉の表面が赤熱化していく。計器の針が一瞬で振り切れ、警告音が実験場に鳴り響いた。
『な、なんだ!? 炉が暴走を始めたぞ!』
『馬鹿な、いくらなんでも早すぎる! まだ一割も魔力を流していないはずだ!』
監視室の試験官たちが、想定外の事態に白々しい芝居を打つ。
彼らは「助けに行けない」というポーズを取りながら、結界の内側で安全にリゼットの破滅を見届けるつもりだった。
パキ、パキィィィンッ!!
炉の装甲が限界を迎え、ひび割れが走る。
そして。
ドガァァァァァァンッッ!!!
魔力炉の中心部から、致死量の魔力熱線と、鋭利な金属片の嵐が全方位に向かって炸裂した。
逃げ場はない。常人であれば、瞬く間に全身を貫かれ、炭化して消滅するだけの絶対的な死の爆心地。
監視室の試験官たちが、ニヤリと陰惨な笑みを浮かべた――次の瞬間。
「――『反発力場』、展開」
凛とした声と共に。
リゼットの胸元に付けられた銀色のバッジが、眩い閃光を放った。
カァァァンッ!!!
彼女の全身を包み込むように現れた極薄の光の球殻が、襲い来る数トンの金属片と数千度の熱線を、ミリ単位の精度で『弾き返した』のだ。
リゼットが自作した『瞬間反発フィールド』。
常時展開する結界とは異なり、攻撃が命中する瞬間の「〇・五秒間」のみ、強大な反発力を生み出す究極の自衛魔導具。
嵐のような爆発の中、リゼットは微動だにしなかった。
ドレスの裾すら焦がすことなく、ただ真っ直ぐに、崩壊していく魔力炉の『核』を見据えている。
(〇・五秒……十分だわ!)
金属片が弾かれたその僅かな隙間。
リゼットは、右手に握ったドライバーを、熱線を放ち続ける炉の基盤の奥深く、魔力が最も密集している「暴走の起点」へと一気に突き刺した。
「『概念分解』、および『強制循環』のルーンを上書き!」
リゼットの指先から、莫大な翠緑の魔力がドライバーを通じて炉の内部へと流し込まれる。
それは、暴走するエネルギーを押さえつけるのではなく、魔力のベクトルそのものを反転させ、空の冷却回路と外部の魔脈へ一瞬で「逃がす」という神業だった。
シュウゥゥゥゥ……ッ!
凄まじい爆発を起こす寸前だった巨大な魔力炉が、まるで風船がしぼむように、急速に光と熱を失っていく。
数秒後。
実験場を包んでいた轟音は完全に止み、静寂が訪れた。
「……ふぅ。これでよし、と」
リゼットは額の汗を拭い、ドライバーを工具箱へ戻した。
目の前には、完全に沈黙し、暴走の危険性が完全に除去された魔力炉が鎮座している。爆発のエネルギーはすべて安全な魔力に変換され、施設の照明用バッテリーへと還元されていた。
『な……っ!?』
『ば、馬鹿な……! あの大暴走を、たった一人で……しかも無傷で止めたというのか!?』
監視室の防護ガラスの向こう側で、試験官たちが信じられないものを見るように目を見開き、腰を抜かしていた。
彼らが何ヶ月もかけて仕込んだ必殺の罠が、たった数十秒で、しかも「〇・五秒の自衛」という離れ業によって完全に粉砕されたのだ。
「あの、試験官の皆様」
リゼットは、防護ガラスに向かって優雅に微笑みかけた。
「魔力炉の暴走を停止し、安全な出力での再起動に成功しました。冷却回路の欠陥と、不自然な増幅術式もついでに修理しておきましたので、これでいつでも軍事用として実戦配備できますよ。……審査は、これで合格でよろしいですか?」
『ひっ……! ば、化け物……!』
底知れぬ天才の眼差しに、試験官たちが恐怖で顔を引き攣らせた、その時だった。
ズドォォォォォォンッッ!!!
実験場の厚さ数十センチはある鉛とミスリルの扉が、まるで紙屑のようにひしゃげ、内側へと派手に吹き飛んできたのだ。
「ひぃぃぃっ!?」
「な、なんだ!?」
もうもうと舞い上がる土煙の中。
大剣を引き抜き、全身から地獄の底から這い出たような、文字通りの『絶対零度の殺気』を立ち昇らせたクラウスが、ゆっくりと姿を現した。
「リゼット……!!」
彼は実験場の外で、魔力炉の暴走による僅かな魔力の乱れと爆発音を察知したのだ。
「もし一分経っても出てこなければ」と言っていたが、実際には異変を感じた瞬間、待つことなど一切せずに扉を闘気で完全粉砕して飛び込んできたのである。
「だ、旦那様! どうしたんですか、そんなに慌てて」
煤ひとつ、傷ひとつついていないリゼットが小首を傾げると、クラウスは目を見開いた。
彼の目に飛び込んできたのは、無残にひび割れた魔力炉と、その前で涼しい顔をして工具箱を片付けている妻の姿。
そして、監視室の中で腰を抜かして震え上がっている、哀れな試験官たちの姿だった。
「……リゼット。お前、無事なのか」
「はいっ。旦那様にいただいたこのバッジのおかげで、完璧に防げました。それに、試験課題の魔力炉もちゃんと修理しましたよ」
リゼットが自慢げに胸を張ると、クラウスの纏っていた死神のような殺気が、スゥッと嘘のように霧散した。
そして。
リゼットの耳に光る翻訳魔導具から、本日も絶好調の爆音が鳴り響いた。
『(ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!)』
鼓膜を突き破らんばかりの、限界突破の歓喜の絶叫。
『(俺の妻が!!! あの致死量の大爆発を、たった〇・五秒のシールドで完全に凌ぎ切り、その隙に数トンクラスの魔力炉を手懐けてしまった!!! なんという神業!! なんという最強のヒロイン!!! 俺が助けに入る間もなく、自力で敵の罠を木っ端微塵に粉砕するそのお姿、気高すぎて後光が差して見える!!!)』
「ふふっ……」
「……」
表向きは無言のまま大剣を鞘に納めるクラウスだが、心の中ではもう、リゼットの単独での大活躍に感動して咽び泣いているレベルだった。
『(俺が扉を破る必要など全くなかった!! だが俺は妻のピンチに居ても立っても居られず、国家の重要文化財レベルの扉を破壊してしまった!! あとで賠償金を請求されるだろうがそんなことはどうでもいい!! 今すぐ俺の天才で最高にカッコいい妻を抱きしめて褒めちぎりたい!!!)』
「……旦那様」
リゼットは、呆然としている試験官たちを一瞥すると、クラウスの元へと歩み寄った。
「お迎え、ありがとうございます。審査は無事に終わりましたので、行きましょうか」
「……ああ。よくやった、俺の自慢の妻だ」
クラウスは、試験官たちを一瞥もせずに、リゼットの肩を抱いて悠然と実験場を後にした。
監視室に残された試験官たちは、完全に機能を取り戻した魔力炉と、粉々に吹き飛んだ扉の残骸を前に、ただ絶望に打ちひしがれるしかなかった。
宮廷魔導院のプライドを懸けた密室の罠は、天才魔導具師の「〇・五秒の自衛」と、規格外の知略の前に、完全な敗北を喫した。
実力を疑う者は、もはや誰もいない。
いよいよ、大帝国を統べる覇王への謁見の時が迫っていた。




