EP 2
宮廷魔導院の傲慢と、氷の牽制
黄金の帝都ソレイユ。
その中枢、白亜の宮城に隣接する国賓用の迎賓館は、王都の王城すら凌ぐほどの豪奢な造りだった。大理石の床には深紅の絨毯が敷き詰められ、天井のシャンデリアは高純度の光魔石で眩いばかりに輝いている。
特注の装甲馬車から降り立ち、迎賓館の広間へと案内されたクラウスとリゼット。
そこにはすでに、彼らを「出迎える」ための豪奢な一団が待ち構えていた。
「よくぞ参られた、氷の辺境伯閣下。そして……そちらの可愛らしい小鳥が、噂の奥方かな」
一団の中央から進み出てきたのは、金糸の刺繍が施された豪奢なローブを纏う初老の男だった。
胸元には、数え切れないほどの勲章と、帝国魔導界の最高権威を示す『太陽と杖』の紋章章。
白髪交じりの髭を蓄え、鷹のように鋭く、しかし酷く濁った瞳を持つその男こそ、宮廷魔導院の長――ヴァレンティン公爵その人であった。
その後ろには、帝都のエリートであることを鼻にかけたような、高慢な顔つきの宮廷魔導士たちがズラリと並んでいる。
「出迎えご苦労。……で、魔導院のトップが直々に、田舎の辺境伯に何の用だ?」
クラウスは、微塵も敬意を払うことなく、絶対零度の声で応じた。
ヴァレンティン公爵は、その態度にわずかに眉をひそめたが、すぐに口元に嘲笑を浮かべた。
「何、地方の吹雪の中で泥にまみれて戦う辺境軍の皆様に、帝都の洗練された空気を教えて差し上げようと思いましてな。……それにしても、嘆かわしいことです」
ヴァレンティンは、値踏みするようにリゼットを上から下までねっとりと見回した。
「そちらの娘は、王都の没落貴族の出で、あちらの魔導具ギルドを『無能』として追放されたとか。……閣下も男だ。若い娘の美貌に惑わされ、妻の箔付けのために『雪山を花畑に変えた』などと、ありもしない大仰なホラ話を帝国中央へ報告するとは。皇帝陛下を欺く大罪ですぞ」
「……」
「環境魔法などという、百年前に廃れた机上の空論。それを無能と追放された小娘が実現したなど、帝都の宮廷魔導士たちの前で口にすれば、笑い者にされるだけです。辺境の田舎芝居は、辺境だけでやっていただきたいものですな」
周囲に控えていた宮廷魔導士たちが、一斉にクスクスと下品な嘲笑を漏らす。
何十年も血反吐を吐いて宮廷での地位を築き上げてきた彼らにとって、自分たちにできない魔法を「王都を追放された田舎娘」が成し遂げたなどという報告は、自分たちの権威を根底から否定されるようなものだ。
だからこそ、彼らは「あれは辺境伯が捏造したホラ話だ」と決めつけ、必死に自分たちのプライドを守ろうとしているのだ。
その浅ましい嫉妬と侮蔑の言葉に。
クラウスの全身から、迎賓館の空気を物理的に凍りつかせるほどの、凄まじい殺気が膨れ上がった。
「……貴様、今なんと言った」
クラウスの右手が、腰の大剣の柄に掛かる。
彼にとって、自分への侮辱はどうでもいい。だが、命を懸けて奇跡を起こしたリゼットの才能と努力を「ホラ話」と愚弄されたことだけは、天地がひっくり返っても許せるものではなかった。
翻訳魔導具からは、もはや言語にならないほどの激しい殺意と怒声が鳴り響いている。このままでは、謁見の前に宮廷魔導院長を真っ二つに両断し、国家反逆罪に問われかねない。
だが、クラウスが大剣を引き抜こうとした、その瞬間。
「――ご忠告、ありがとうございます。公爵閣下」
リゼットが、クラウスの腕にそっと両手を添え、ふんわりとした、この上なく優雅な笑みを浮かべて前に出たのだ。
「リゼット……」
「大丈夫です、旦那様。公爵閣下は、私のことを心配してくださっているだけですから」
リゼットはクラウスをウインク一つで制止すると、ヴァレンティン公爵に向かって、貴族の令嬢として非の打ち所のない完璧なカーテシー(挨拶)を披露した。
「王都を追放された身でありながら、このような美しい帝都にお招きいただき、光栄の至りです。……ですが公爵閣下、一つだけよろしいでしょうか?」
「……なんだね?」
ヴァレンティンが訝しげに見下ろすと、リゼットは彼の着ている豪奢なローブをジッと見つめ、小首を傾げた。
「閣下のお召しになっているそのローブ。何重にも防御結界が編み込まれた、素晴らしい一品ですね。……ですが、背面の第四術式群、『魔力保持』のルーンの定着が甘くなっていませんか?」
「な……に?」
ヴァレンティンの顔から、嘲笑がスッと消え失せた。
「魔力視で見させていただきましたが、術式の経年劣化により、閣下の体内から常に一二パーセントほどの魔力が外部へ漏洩し続けています。……ご年齢を重ねられた魔力回路にとって、この無意識の魔力漏洩は、慢性的な疲労と魔力欠乏を引き起こす重篤な欠陥です。最近、ひどい頭痛や目まいに悩まされてはいませんか?」
「なっ……!?」
図星だったのか、ヴァレンティンの顔がサッと青ざめた。
周囲の宮廷魔導士たちも、ざわめき始める。
「そんな馬鹿な! 公爵閣下のローブは、我々が毎月総出でメンテナンスを行っている最高傑作だぞ!」
「それを、一目見ただけで……しかも、服の上から術式の綻びを言い当てるだと……!?」
慌てふためくエリートたちをよそに、リゼットはあくまで「親切な魔導具師」としての純粋な善意の笑みを崩さない。
「原因は、金糸の刺繍に用いている魔力伝導率と、ルーンの波長のズレです。もしよろしければ、私が今ここで、概念付与を使って術式を書き換えて差し上げましょうか? 三分もあれば、魔力漏洩を完全に防ぐことができますよ」
「――っ、ふ、ふざけるなッ!!」
ヴァレンティンが、顔を真っ赤、いや、赤紫色に染め上げて激昂した。
「この宮廷魔導院の長である儂が、どこの馬の骨とも知れぬ小娘に、術式の欠陥を指摘された上に修理を施されるだと!? これ以上の侮辱があるか!」
自分たちこそが至高だと信じて疑わない彼にとって、自分たちが見落としていた欠陥を、見下していたはずの小娘に「善意」で指摘されることほど、その矮小なプライドをズタズタに引き裂くものはなかった。
しかも、リゼットには嫌味が一切なく、純粋な学術的視点から「事実」だけを的確に指摘したため、反論の余地すら与えられなかったのだ。
「おのれ……よくもこの儂をコケにしおって……!」
「あら。事実を申し上げただけですが、お気に障ったのなら申し訳ありません」
リゼットがしずしずと頭を下げると、ヴァレンティンはギリィッ! と歯軋りをした。
『(あああああああ!!! リゼット様!!! リゼット様の知的で完璧で優雅なカウンターが炸裂した!!!)』
リゼットの耳に光る翻訳魔導具から、クラウスの激重な限界オタクの歓喜が、爆音で鳴り響いた。
『(俺が剣で斬り捨てるより、何百倍もあの老害の心をえぐり出している!!! 血を一滴も流さずに敵の尊厳を粉砕する、なんという美しき知略!!! 俺の妻はやはり世界一の天才だ!!! 今すぐ抱き上げて帝都の中心で万歳三唱したい!!!)』
心の中では大はしゃぎだが、現実のクラウスは絶対零度の無表情のまま、大剣の柄から手を離し、リゼットの隣で堂々と腕を組んでいた。
妻の圧倒的な実力を見せつけられ、もはや自分が手を下す価値すらないと判断したのだ。
「……よかろう」
屈辱に打ち震えながら、ヴァレンティンは憎悪に満ちた目でリゼットを睨みつけた。
「口先だけなら、何とでも言える。だが、神聖なる宮城へ立ち入り、皇帝陛下に謁見するためには、宮廷魔導士としての資格があるかどうかの『審査』を受けてもらう決まりとなっている」
「審査、ですか?」
「そうだ。明日の朝、宮廷魔導院の実験場へ来い。お前のその減らず口が、本物の実力によるものか、単なるハッタリか。……我が宮廷魔導院の厳正なる審査で、底まで丸裸にしてやろう!」
それは、明確な「宣戦布告」であり、同時に悪意に満ちた「罠」への招待状だった。
「無論、部外者である辺境伯閣下や騎士の立ち入りは禁ずる。密室での、魔導士としての純粋な実技審査だ。……逃げることは許さんぞ」
「……いい度胸だ、老いぼれ。俺から妻を引き離して、生きていられると思っているのか」
クラウスが低い声で脅しをかけるが、リゼットはスッとクラウスの前に立ち、ヴァレンティンに向かって堂々と微笑み返した。
「謹んでお受けいたします、公爵閣下。……帝都の宮廷魔導院がどれほどの水準にあるのか、私も魔導具師として、とても楽しみにしておりますわ」
余裕の笑みで返り討ちにしたリゼットに、ヴァレンティンは忌々しげにマントを翻し、部下たちを引き連れて逃げるように迎賓館を立ち去っていった。
「……リゼット。なぜ受けた。あのような輩の用意する試験など、百パーセント罠だぞ」
誰もいなくなった広間で、クラウスが心配そうに眉をひそめる。
リゼットは振り返り、胸元に輝く小さな銀色のバッジにそっと触れた。
「分かっています。でも、ここで逃げたら、旦那様の報告が嘘だったと認めさせられてしまいます。……それに」
リゼットの翠緑の瞳に、不屈の闘志と、天才としての確かな誇りが燃え上がった。
「私はもう、怯えて引きこもっていただけの小娘じゃありませんから。……旦那様にいただいたこの『〇・五秒の自衛』があれば、どんな密室の罠でも、必ず打ち破ってみせます」
皇帝謁見を前に立ちはだかる、宮廷魔導院の傲慢な壁。
だが彼らはまだ知らない。自分たちが「無能」と見下したその少女が、世界を震撼させる本物の怪物であることを。
帝都における最初にして最大の「ざまぁ」の舞台が、今、静かに整おうとしていた。




