第四章 『黄金の帝都と宮廷魔導士の嫉妬――偽りの権威を暴く真の奇跡』
帝都への旅立ちと、奇跡の代償
猛吹雪の雪山の中腹に、そこだけ春を切り取ったかのように咲き乱れる極彩色の花畑。
数日前にリゼットが『環境循環プロトコル』を展開し、奇跡を起こした廃城の跡地で、彼女はひとり地面に膝をつき、砕け散った白い粉を手のひらで掬い上げていた。
「……やはり、完全に魔力が抜け落ちて、ただの砂になってしまっているわね」
サラサラと指の隙間からこぼれ落ちていくのは、かつて純白の輝きを放っていた極上の『星脈水晶』の残骸だった。
母の遺した究極の環境魔法。それは確かに、死の大地を一瞬にして春に変えるほどの神の御業だったが、決して無制限に使えるような代物ではなかった。
「大地の魔脈を調べた結果、この雪山周辺の魔力は、向こう十年分が完全にすっからかんの枯渇状態になっていました。……つまり、あの魔法は『未来の魔力』を前借りして一気に放出しただけなんです」
報告を受けたクラウスが、花畑の傍らで腕を組み、静かに頷いた。
「十年分の魔脈の蓄積、国宝級の星脈水晶の完全な生贄、そして俺の全魔力。……それらがすべて揃って、ようやく一度だけ起こせる奇跡、というわけか」
「はい。もし星脈水晶という『触媒』なしで同じことをやれば、術者である私自身の体が爆発してしまいます。……環境を劇的に書き換える魔法なんて、本来なら人間が使っていい規模の力じゃないんです」
リゼットは、手のひらに残った水晶の砂を風に飛ばし、スッと立ち上がった。
困った時にいつでも大地を春に変えられるような、都合の良い万能の力など存在しない。魔法には必ず、等価交換の厳烈な代償が伴う。
その事実を改めて心に刻み込み、リゼットはクラウスへと振り返った。
「でも、これで証明できました。お母様の理論は、条件さえ揃えば大地を癒すことができると。……それだけで、十分です」
「ああ。あの奇跡は、お前と俺の力で成し遂げた、たった一度の芸術だ。安売りする必要はない」
クラウスは優しくリゼットの頭を撫でると、その視線を南の空――遥か彼方にある、帝国の中心へと向けた。
「さあ、戻って出発の準備をするぞ。皇帝陛下はお待ちかねだ」
***
数日後。辺境伯邸の正面玄関。
帝都への旅立ちの日を迎えたリゼットは、目の前に用意された「乗り物」を見て、目を白黒させていた。
「だ、旦那様……これは、一体……?」
「お前のために用意した、特注の馬車だ」
クラウスが胸を張って指し示したのは、通常の三倍はあろうかという巨大な装甲馬車だった。
外装はすべて、魔法攻撃を弾き返す純度百パーセントのミスリル・コーティング。車輪には物理衝撃を完全に吸収する最新鋭のサスペンション魔導具が組み込まれ、内部は極上のシルクと羽毛で覆われた、もはや「走るスイートルーム」兼「移動要塞」である。
国家予算が一つ吹き飛ぶほどの、常軌を逸したオーバースペック。
「いくらなんでも、やりすぎでは……?」
「やりすぎなものか。帝都までの数週間の旅路、道のわずかな段差の揺れですら、お前の体に負担をかけるかもしれない。それに、道中でどんな野盗や魔物が襲ってくるとも限らんからな」
クラウスは真顔で、さも当然のように言い切る。
しかし、リゼットの耳に装着された翻訳魔導具からは、もはや辺境伯の威厳など微塵もない、限界オタクの歓喜の絶叫が轟いていた。
『(ふはははは!! 完璧だ!! 俺の全財産と辺境の技術力を結集した最高傑作!! 俺の愛する妻の白魚のような肌に、砂埃一粒たりとも触れさせるものか!! 帝都の馬鹿どもめ、首を洗って待っていろ! 世界で一番美しく、賢く、気高い俺の天使を、その濁った目玉に焼き付けてやる!!)』
過保護の極み。そして妻自慢をしたくてたまらない、強火すぎる愛情。
リゼットは思わず吹き出しそうになるのを必死に堪え、「ありがとうございます、旦那様」と優雅に裾をつまんで一礼した。
***
かくして、厳重な護衛の竜騎士団に囲まれ、移動要塞のような馬車は帝都へと向かって出発した。
揺れを一切感じさせない快適な馬車の車内で、クラウスが書類仕事を進める向かいの席で、リゼットは密かに膝の上に広げた工具箱と向き合っていた。
彼女の指先にあるのは、親指ほどの大きさの、美しい銀色のバッジ。
そこに専用の極細ルーペを使い、息を詰めるような繊細さでルーン文字を刻み込んでいく。
「……何を作っているんだ? 車内では手元が暗かろう。目に悪いぞ」
クラウスが書類から顔を上げ、心配そうに声をかけてきた。
「もう完成しますよ。……はい、できました」
リゼットは工具を置き、出来上がったばかりの銀色のバッジを手のひらに乗せた。
「これは『瞬間反発フィールド』の魔導具です。私の胸元にこれを着けておけば、外部からの物理的な殺気を感知した瞬間、自動で『反発力場』を展開してくれます」
「反発力場? 防衛結界のようなものか?」
「いえ、常時展開する結界は魔力の消費が激しすぎます。このバッジが展開する時間は、たったの『〇・五秒』だけです。敵の剣や矢が私に触れる瞬間の、ほんの〇・五秒だけ、物理的な衝撃を弾き返します」
リゼットの言葉に、クラウスの黄金の瞳がわずかに見開かれた。
「旦那様は、いつも私を命懸けで守ってくれます。でも……もし帝都で、不意打ちや暗殺者の奇襲を受けた時、私がただ怯えているだけのお荷物なら、旦那様の足を引っ張ってしまいます」
リゼットは、真っ直ぐにクラウスを見つめ返した。
「私がこのバッジで、最初の〇・五秒だけ敵の攻撃を弾き返すことができれば。……その〇・五秒の隙に、旦那様なら、絶対に敵を斬り伏せることができますよね?」
守られるだけの、か弱いお姫様でいるつもりはない。
彼の負担を少しでも減らし、彼の剣がより鋭く振るえるように。共に背中を預け合い、共に戦う「戦友」でありたい。
その〇・五秒の猶予こそが、天才魔導具師である彼女が導き出した、二人で生き残るための明確な「共闘」の答えだった。
「……」
クラウスは無言のまま、リゼットの手からそのバッジをそっとつまみ上げた。
そして、リゼットのドレスの胸元に、傷一つつかないように優しく、自らの手でそれを取り付けた。
「……ああ。〇・五秒もあれば、俺には十分すぎる。どんな外道が束になってかかってこようと、瞬きする間にすべて肉塊に変えてやる」
表向きは、頼もしい最強の騎士の顔。
だが、翻訳魔導具の奥底では。
『(あああああああああ!!! 俺の負担を減らすためだと!? 俺の剣を信じ切っているからこその、〇・五秒という極限の設計!! なんて気高く、美しく、賢い妻なんだ!! 守られるだけではなく共に戦おうとしてくれるその心意気!! 尊い!! 尊すぎて今すぐ馬車の屋根をぶち破って空を飛びたい気分だ!!!)』
相変わらずの絶叫に、リゼットはホッと安堵の笑みをこぼした。
二人の絆は、辺境での死闘を経て、もはやちょっとやそっとの陰謀では微塵も揺るがない、鋼のような強度に仕上がっていた。
***
旅路は滞りなく進み、数週間後。
リゼットたちの視界に、ついに帝国の中心である『ソレイユ』の街並みが姿を現した。
「大きい……」
馬車の窓から外を見つめ、リゼットは思わず感嘆の声を漏らした。
雲を突くほどに高くそびえ立つ、黄金に輝く巨大な城壁。王都の何倍もの規模を誇る広大な市街地と、その中心に君臨する白亜の宮城。
大陸全土の富と権力、そして魔導技術のすべてが集まる、まさに世界のへそ。
だが、その輝かしい外観とは裏腹に、彼らを迎える空気は酷く冷たいものだった。
帝都の正門前。
皇帝の勅命を受けた氷の辺境伯一行を出迎えるために集まっていた中央貴族や、宮廷魔導院の魔導士たちの視線は、決して歓迎のものではない。
辺境の田舎貴族が、不当に力をつけ、あろうことか『奇跡』を起こしたなどと吹聴して帝都へ乗り込んできた。
彼らの濁った瞳に宿っているのは、特権階級としての傲慢な見下しと、自分たちの地位を脅かされるかもしれないという、醜い嫉妬と警戒心だ。
「……歓迎されていないようですね」
窓の外の冷ややかな視線を浴びながら、リゼットは静かに呟いた。
「当然だ。奴らにとって俺たちは、自分たちの腐った権威を脅かす劇薬に他ならない」
クラウスは冷たく鼻を鳴らし、隣に座るリゼットの手を、大きく温かい手でしっかりと握りしめた。
「だが、怯む必要はない。俺がすべて斬り伏せる」
「はい。私も、もう俯きません」
かつて王都から「無能」と蔑まれ、すべてを奪われて追放された少女。
彼女は今、大陸最強の騎士の寵愛と、自らの圧倒的な才能を武器に、誰よりも気高く、堂々と帝都の門をくぐる。
黄金の城壁の内側に渦巻く、陰謀と嫉妬の宮廷闘争。
偽りの権威を暴き、真の天才が世界をひれ伏させる、痛快極まりない下剋上の舞台の幕が、今、静かに切って落とされた。
読んでいただきありがとうございます。
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