EP 10
愛の証明と、春を呼ぶ風
気絶した『黒の月』の幹部ゲイツが竜騎士たちによって拘束され、地下牢へと引きずられていく。
彼が指揮していた廃城の防衛システムは完全に沈黙し、城内は完全な静寂を取り戻していた。
「奥様、玉座の奥に隠し部屋を発見しました。どうやら、奴の研究室のようです」
「案内してちょうだい」
副団長の報告を受け、リゼットはクラウスと共に玉座の裏手にある隠し扉をくぐった。
カビ臭い空気の中、魔力ランプに照らし出されたその部屋には、無数のフラスコや魔石、そして壁一面の本棚が並んでいた。
その部屋の最奥、厳重な魔力錠がかけられた硝子のケースの中に、それはあった。
「……お母様の、本当の研究データ」
リゼットは震える手でケースに触れた。
クラウスが闘気で錠を物理的に破壊し、リゼットは中から分厚い羊皮紙の束を取り出した。
それは、オズワルド男爵家の屋根裏から持ち去られた、母の【環境循環による生命の再構築理論】の『原本』だった。
ページをめくると、先日マーサから受け取った手記の続き……つまり、ゲイツたちがどうしても解読できなかった、理論を完成させるための「最後の数式」が記されていた。
『魔力は奪うものではない。与え、循環させ、世界と調和させるもの。……愛する娘よ。この数式の真の意味を理解できるのは、世界であなただけだと信じています』
母の優しい筆致に、リゼットの目から温かい涙がこぼれ落ちた。
ゲイツたちは、魔力を「奪って暴走させる」ことしか頭になかったから、この数式が解けなかったのだ。
これは、対象を愛し、慈しみ、世界と繋がるための数式。
かつて母が娘の幸せな未来を願って書いた、究極の『愛の魔法』の設計図だった。
「……旦那様」
リゼットは、羊皮紙を胸に抱きしめ、クラウスを振り返った。
その翠緑の瞳は、もう自らの才能に怯えていた昨夜までの彼女のものではない。
母の愛を受け継ぎ、未来を切り拓く『天才魔導具師』としての、圧倒的な誇りに満ちていた。
「私、今からこの場所で……お母様の魔法を、完成させます」
「ここでか?」
「はい。ゲイツが街の魔力を吸い上げるために、この城の地下深くまで魔脈のパイプを繋げていました。それを利用して、逆に魔力を大地の深脈へ『還元』し、循環させるんです」
リゼットは、左手の『魔力共鳴のペアリング』をキュッと握りしめた。
「お母様の魔法が、世界を滅ぼす呪いなんかじゃないこと。……私が、この手で証明してみせます」
「……ああ。お前ならできる」
クラウスは短く頷き、リゼットの隣に立った。
そして、自らの左手にはめた指輪を通じて、惜しみない魔力を彼女へと送り込み始めた。
リゼットは目を閉じ、城の地下を流れる巨大な魔脈へと意識を接続した。
母の遺した最後の数式を、自身の卓越した概念付与の技術で術式として編み上げていく。
奪うのではなく、与える。
壊すのではなく、育む。
クラウスから注ぎ込まれる、温かくて力強い魔力が、リゼットの術式を完璧なものへと昇華させていく。
(お母様……見ていて。あなたの愛した世界は、こんなにも美しいわ)
リゼットの全身から、眩いほどの翠緑の光が溢れ出した。
「――『環境循環プロトコル』、最終段階! 『生命の息吹』、展開!!」
ドォォォォォォンッ!!!
リゼットの両手から放たれた翠緑の光の柱が、廃城の天井を突き破り、猛吹雪の夜空へと高々と立ち昇った。
光の柱は上空で巨大なドーム状に弾け、廃城が建つ雪山の中腹一帯を、すっぽりと包み込んだ。
「な、なんだこれは!?」
「光が……空から光が降ってくるぞ!」
城の外で警戒にあたっていた竜騎士たちが、驚愕の声を上げる。
彼らの視界で、信じられない『奇跡』が起きていた。
肌を刺すような猛吹雪が、光のドームの中だけ、ピタリと止んだのだ。
それだけではない。
凍てついていた大地の雪が、まるで春の陽だまりに照らされたように、スゥッと溶けていく。
雪の下から露出した黒い土。そこに翠緑の光の粒子が降り注いだ瞬間――。
ポンッ、ポポポンッ!
あり得ない速度で、緑の若草が芽吹き始めたのだ。
草は波を打つように広がり、あっという間に雪原を柔らかな緑の絨毯へと変えていく。さらに、その緑の中から、色とりどりの小さな花々が一斉に蕾を開き、甘く芳醇な香りを放ち始めた。
「……雪山が、春になった……?」
副団長が、呆然と呟いた。
死と氷に閉ざされていた廃城の周辺が、たった一晩で、いや、数分で、見渡す限りの美しい花畑へと姿を変えてしまったのだ。
魔物を狂暴化させる呪いなどではない。
これこそが、母が命を懸けて夢見た『荒れた大地を豊かにする究極の環境魔法』の真の姿。
「成功……した……っ」
廃城の最上階のバルコニー。
眼下に広がる花畑を見たリゼットは、感極まって両手で口元を覆った。
自分の中にある母の才能は、世界を滅ぼす兵器なんかじゃない。
こうして、世界を優しく包み込み、生命を育むための力だったのだ。
過去の呪縛が、完全に浄化されて消えていくのを感じた。
「……旦那様、見えますか。お母様の魔法は……こんなにも」
リゼットが振り返ろうとした、その時。
グイッ、と。
強引な力で腕を引かれ、リゼットの体はクラウスの分厚い胸板の中へとスッポリと収まった。
「だ、旦那様……?」
「ああ。……見事だ、リゼット。お前は本当に、すべてを成し遂げてしまった」
クラウスは、リゼットの華奢な体を、骨が軋むほど強く、けれどこれ以上ないほど大切に抱きしめた。
そして。
これまでのシリアスな死闘の連続で完全に封印されていた『あの声』が。
翻訳魔導具を通じて、ついに限界を突破して爆発した。
『(ああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!)』
鼓膜だけでなく、脳髄そのものを揺るがすような、特大の歓喜の絶叫。
『(俺の妻が!!! 世界に春を呼んだ!!! 極寒の雪山を一瞬で花畑に変えるなど、神の御業以外の何物でもない!!! 俺の女神!!! 世界一気高くて、美しくて、最高の天才魔導具師!!! しかも俺の魔力を使ってくれた!! 俺とリゼット様の愛の結晶がこの花畑だ!!! 尊い!! 尊すぎて俺は今、この花畑の中心で一生転げ回りたい!!!)』
「ふふっ……あははははっ!」
張り詰めていたすべての緊張を木っ端微塵に吹き飛ばす、平和で、騒がしくて、最高に愛おしい心の声。
リゼットはクラウスの胸の中で、こらえきれずに声を上げて笑い出した。
『(愛している!!! 愛しているリゼット様!!! お前の光も闇もすべて抱きしめると言ったが、お前の中には光しかなかった!!! お前は世界で一番尊い光だ!!! 一生、俺の傍でその魔法を見せてくれ!!!)』
「はい……っ」
リゼットは笑い涙を拭いながら、クラウスの背中に腕を回し、力強く抱きしめ返した。
「私、ずっと旦那様の傍にいます。……愛しています、旦那様」
言葉と魔力が通じ合う、真のパートナー。
花びらが風に舞い上がるバルコニーで、二人は甘く、そして永遠の愛を誓う口づけを交わした。
氷の辺境伯の心を溶かした天才魔導具師は、ついには辺境の雪山さえも溶かし、世界に本当の春を呼び込んだのである。
***
――それから、数週間後。
辺境領地は、かつてないほどの活気に沸いていた。
特使ルキウスと幹部ゲイツを捕らえたことで、『黒の月』のファルサス支部は完全に壊滅。
そして、北の雪山の一部が「常春の花畑」になったという奇跡は、吟遊詩人たちの手によって、あっという間に大陸全土へと知れ渡った。
辺境伯邸の執務室。
平和な日常を取り戻した二人のもとに、一通の重々しい書状が届けられていた。
「……帝都から、直属の使者が来た」
クラウスが、黄金の皇帝紋章が押された封蝋を切りながら、低く鋭い声で言った。
向かいのソファでお茶を飲んでいたリゼットが、不思議そうに首を傾げる。
「帝都から? 賠償金や、不可侵条約の処理はもう終わったはずですよね?」
「ああ。だが、今回の件はスケールが大きすぎた」
クラウスは書状に目を通し、小さく息を吐いた。
「ファルサス帝国の国家ぐるみのテロを未然に防ぎ、裏社会の闇『黒の月』の幹部を捕縛。さらに、不可能とされていた極寒の地での大規模環境魔法の成功。……この異常なまでの功績に、ついに『帝国中央』が黙っていられなくなったらしい」
クラウスは書状をテーブルに置き、リゼットを真っ直ぐに見据えた。
「皇帝陛下からの勅命だ。『氷の辺境伯クラウス、並びにその妻である天才魔導具師リゼット。両名の功績を讃えるため、直ちに帝都の宮城へ出頭せよ』……だと」
「私たちが、帝都へ……」
王都から「無能」と追放されたリゼットが、今度は大陸の覇権を握る帝国の中心――皇帝陛下から直々に「天才」として召喚されるのだ。
「罠……でしょうか?」
「どうだろうな。俺の力を警戒し、首輪をつけようとする古狸どもの企みかもしれん」
クラウスは不敵に笑い、立ち上がってリゼットへ手を差し伸べた。
「だが、相手が皇帝だろうと魔王だろうと関係ない。俺たちが二人で一つである限り、負ける道理はない」
『(俺の自慢の天才で最高の妻を、帝都の連中に見せつけてやる最高の機会だ!! 存分にドレスアップして、皇帝の度肝を抜いてやろうぞリゼット様!!)』
翻訳魔導具から聞こえてくる、自信に満ち溢れた限界オタクの頼もしい声。
リゼットは満面の笑みを浮かべ、その大きな手を取った。
「ええ。私たちの魔法で、帝都の皆さんも驚かせてやりましょう!」
辺境の地で真の絆を結んだ二人の舞台は、ついに巨大帝国の中心へと移る。
天才魔導具師と氷の辺境伯の、無双と溺愛の物語・第四章が、華やかに幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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