EP 8
廃城の死闘と、過去の亡霊
猛吹雪が吹き荒れる北の雪山。
その中腹にへばりつくようにして建つ、数百年間放置されていた巨大な廃城の正門が、凄まじい轟音と共に内側へと吹き飛ばされた。
「制圧しろ。逆らう者は斬り捨てて構わん」
氷のように冷たく、絶対的な死を孕んだクラウスの号令が響き渡る。
先頭に立つクラウスが愛用の大剣を一振りするだけで、迎え撃とうとした『黒の月』の工作員たちは、悲鳴を上げる間もなく闘気の波に呑まれ、壁ごと両断されていく。
後に続く精鋭の竜騎士たちも、リゼットの付与魔法による強力な武具を振るい、城内に潜んでいた敵兵や合成魔獣を次々と血祭りに上げていった。
「右の通路、魔力反応あり! 隠し扉の奥から伏兵です!」
「左の階段には罠が仕掛けられています! 起爆用の魔力線を切断しました!」
リゼットはクラウスの背後にピタリと付き従い、手元の『星脈水晶のレーダー』と自身の魔力視を駆使して、城内に張り巡らされた無数の罠や伏兵の配置を的確に看破していく。
最強の武力と、すべてを見通す眼力。
二人の連携の前に、秘密結社が用意した防衛網は紙切れのように引き裂かれ、討伐部隊は瞬く間に廃城の最上階――かつての玉座の間へと到達した。
バァァァンッ!!
クラウスが玉座の間の重厚な両開き扉を蹴り飛ばす。
埃っぽく、冷え切った巨大な広間。その最奥にあるひび割れた玉座に、一人の男が優雅に足を組んで座っていた。
「……素晴らしい。さすがは帝国最強と謳われる『氷の辺境伯』。我が結社が誇る防衛システムを、たったの数十分で突破するとは」
パチ、パチ、と。
男はゆっくりと立ち上がり、薄暗い空間に拍手の音を響かせた。
黒いローブに身を包み、顔の半分を銀色の仮面で覆ったその男から放たれる魔力は、先日のルキウスとは次元が違う。間違いなく、結社の中でも上位に位置する『幹部』の一人だ。
「貴様が街の結界を操っていたネズミの親玉か」
クラウスが大剣の切っ先を男へ向ける。
だが、仮面の男の視線は、クラウスではなく、その背後に立つリゼットへと向けられていた。
「お初にお目にかかる、天才魔導具師リゼット嬢。私は『黒の月』の幹部、ゲイツ。……そして、君の亡き母親の、かつての『研究仲間』だ」
「お母様の……仲間?」
リゼットが息を呑むと、ゲイツは仮面の奥の瞳を三日月の形に歪めて嗤った。
「そうだ。君の母親は、間違いなく百年に一人の天才だった。【環境循環による生命の再構築理論】……あんな神の領域に踏み込んだ魔法理論を、たった一人で完成一歩手前まで持っていくとはね。……だが、彼女はあまりにも『甘すぎた』」
ゲイツが手を広げ、演説するように語る。
「荒れた大地を豊かにし、人々を救う環境魔法? くだらない! あれほどの強大な力を、そんなお伽話のような慈善事業に使うなど、宝の持ち腐れもいいところだ! あの理論は、魔力を反転させて生物を強制進化させる『究極の兵器』として完成させてこそ、真の価値がある!」
「……っ、あなたたちが、お母様の理論を盗み出し、あの悍ましい魔物寄せの呪具を作ったのね!」
リゼットが怒りに声を震わせると、ゲイツは肩をすくめた。
「盗んだのではない。彼女が死んだ後、理解者のいない屋根裏部屋で腐りかけていた至高の理論を、我々が正しく『兵器』として昇華してやったのだ。……さあ、リゼット嬢。君なら理解できるはずだ。君には、彼女と同じ狂気の才能が眠っている。こちらへ来い。我々と共に、あの理論の最後の数式を完成させ、世界を恐怖で支配する新世界の神となろうではないか!」
「お断りします」
リゼットは、微塵の迷いもなく、冷ややかに言い放った。
「お母様の理論は、世界に春を呼ぶための優しくて温かい魔法です。あなたたちのような、自分の欲望のために他人の命を弄ぶ悪党に、お母様の愛の結晶は絶対に渡さない!」
リゼットの毅然とした拒絶に、ゲイツの口角がピクリと引き攣った。
「……そうか。ならば、力ずくでその脳髄から記憶を引きずり出すまで。お前のその薄っぺらい正義感が、いつまで持つかな?」
ゲイツがローブの中から、禍々しい赤い光を放つ黒水晶の杖を取り出し、床に激しく突き立てた。
「――『深淵の幻夢』」
ドクンッ!!
玉座の間が、突如として毒々しい紫色の光に包み込まれた。
リゼットの視界がぐにゃりと歪み、隣にいたはずのクラウスや騎士たちの姿が、ノイズのように掻き消えていく。
「だ、旦那様!?」
リゼットが手を伸ばすが、そこには誰もいない。
気がつけば、リゼットは息の詰まるような薄暗く狭い部屋の中に立っていた。
オズワルド男爵家の、あの埃っぽい屋根裏部屋だ。
『……ゲホッ、ゴホッ! ダメよ、こんな数式じゃ……!』
部屋の隅で、血を吐きながら羊皮紙に文字を書き殴る、痩せこけた女性の姿があった。
「お、お母様……?」
『リゼット……ああ、リゼット! ごめんなさい、私がいけなかったの!』
幻影の母が、狂気を孕んだ目で見開き、リゼットに這い寄ってくる。
『この魔法は呪いよ! 私たちは悪魔の血を引いているの! あなたが魔導具を作れば作るほど、世界は壊れていく! あなたが愛する騎士様も、あなたのせいで血まみれになって死ぬわ! お願い、もう何も作らないで! あなたも私と一緒に、ここで狂って死ぬのよ!!』
「違う……お母様は、そんなこと言わないっ!」
リゼットは耳を塞ぎ、後退りした。
だが、部屋の壁からは、今までリゼットが救ってきたはずの領民たちや、竜騎士たちの幻影が無数に浮かび上がり、彼女に呪詛の言葉を吐きかけ始めた。
『お前の魔法のせいで魔物が湧いた!』
『化け物め、お前さえ辺境に来なければ!』
『私たちの魔力を返せ!』
虚空から、ゲイツの嘲笑う声が響き渡る。
『さあ、現実を見ろ。お前の才能は破滅を呼ぶ。お前がどんなに善人ぶろうと、お前の頭の中にある数式は、世界を滅ぼす兵器の設計図に他ならない。……狂え。狂って、すべてを壊す兵器としての己の宿命を受け入れろ!』
強烈な精神攻撃。
対象の心の最も深いトラウマをえぐり出し、罪悪感と恐怖を増幅させて精神を完全に崩壊させる、悪魔の幻影魔法。
ほんの数日前のリゼットであったなら。自分の才能に怯え、部屋に引きこもってしまっていた時の彼女であったなら、この幻影の言葉に完全に心を圧し折られ、発狂させられていただろう。
――だが。
今のリゼットには、絶対に揺るがない「楔」があった。
(……うるさい)
リゼットは、震える手をゆっくりと下ろし、塞いでいた耳を離した。
暗闇の中で思い出すのは、あの夜、冷たい部屋の扉を蹴り破り、自分を真っ直ぐに見据えてくれたクラウスの黄金の瞳。
そして、翻訳魔導具を通さずに彼が紡いでくれた、低く温かい生の声。
『お前の光も、闇も、俺がすべて抱きしめてやる』
『お前が魔王になるというのなら、俺は喜んで魔王の騎士となろう』
あの不器用で、狂おしいほどに深い愛。
彼がすべてを受け止めてくれると誓ってくれたからこそ、今の私は、どんな幻影にも惑わされない。
「……私の魔法は、誰かを傷つけるための呪いじゃない」
リゼットは、ゆっくりと顔を上げた。
その翠緑の瞳には、恐怖も絶望も一切ない。あるのは、自らの意志で未来を切り拓く、魔導具師としての圧倒的な誇りと光だ。
「私の魔法は! 愛する人を守るための、私自身の力よ!!」
リゼットは、左手にはめた『魔力共鳴のペアリング』を強く握りしめた。
現実世界で隣に立っているはずのクラウスから、指輪を通じて途方もない量の闘気と魔力が流れ込んでくるのを感じる。
彼もまた、幻影の中で一人戦うリゼットを信じ、自らの力をすべて彼女に預けてくれているのだ。
「旦那様の魔力を触媒とし、この空間を構成する幻影の魔力回路を強制ハッキング!」
リゼットの指先から、爆発的な翠緑の光が放たれた。
「――『概念破壊』!! お母様の姿を借りただけの薄汚い幻影なんて、跡形もなく消え去りなさい!!」
パリンッッ!!!
耳を劈くような甲高い音と共に、空間を覆っていた紫色の幻影が、まるで物理的なガラスのように粉々に砕け散った。
「なっ……馬鹿な!? 私の『深淵の幻夢』を、内側から術式ごと破壊しただと!?」
現実の玉座の間。
杖を構えていたゲイツが、信じられないものを見るように目を見開き、驚愕の声を上げた。
リゼットは、毅然とした態度でゲイツを睨み据えた。
彼女の精神は、微塵も揺らいではいない。自らの足で立ち、自らの意志で、己の過去の亡霊を完全に打ち砕いたのだ。
「残念だったわね。……私には、世界で一番強くて、優しい『盾』がいるから。あんな幻影の言葉なんて、欠片も響かないわ」
リゼットがそう言い放った、次の瞬間。
「――よく言った、俺の妻」
地獄の底から響くような、絶対零度の声。
幻影が晴れたリゼットの目の前には、いつの間にか玉座の間に召喚されていた数十匹の合成魔獣の『肉塊』の山と。
その血の海の中央で、白銀に輝く大剣をだらりと下げたクラウスが、死神のような冷酷な瞳でゲイツを見下ろしていた。
リゼットが幻影の世界で精神的な戦いを繰り広げている間、現実の世界で彼女の肉体を守り抜くため、クラウスは群がる魔獣たちを瞬きする間にすべて屠り去っていたのだ。
「ヒッ……!?」
ゲイツの喉から、初めて恐怖の悲鳴が漏れた。
クラウスの全身から立ち上る殺気は、もはや人間の領域を超えている。
翻訳魔導具を通した騒々しい心の声など、一切聞こえない。
ただ無音のまま、愛する妻の心を汚そうとした外道へ向けて、極限まで研ぎ澄まされた処刑の刃が、今まさに振り下ろされようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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