EP 10
私だけの居場所と、温かい冬の始まり
ファルサス帝国の特使ルキウスによるテロ未遂事件から、数週間が経過した。
事後処理は、クラウスの徹底的かつ冷酷な手腕によって迅速に進められていた。
帝国中央へ提出された『密約書』と『魔物寄せの呪具』、そしてリゼットが開発したレーダーによる魔力残滓の記録。これら完璧な証拠の前に、ファルサス帝国は一切の言い逃れができず、白旗を揚げた。
ルキウスの単独犯であるというトカゲの尻尾切りを図ろうとしたファルサス側に対し、クラウスは辺境軍の武力を背景に強烈な圧力をかけ、国家としての責任を認めさせたのだ。
結果として、ファルサス帝国は莫大な賠償金の支払いと、辺境領地への永世不可侵条約の締結を余儀なくされた。
特権を剥奪されたルキウスと、またしても借金取りに追われることになったオズワルド男爵は、帝国北部の極寒の強制労働施設へと送られた。二度と日の光を浴びることも、リゼットの視界に入ることもないだろう。
こうして、外部からの脅威を完全に排除した辺境領地には、真の平和が訪れていた。
「奥様! この『ぽかぽか魔石ヒーター』、本当にすごいです! 我が家の赤ん坊が、夜も泣かずにぐっすり眠れるようになりました!」
「こっちの『自動お湯沸かし器』も神様からの贈り物だ! 真冬に冷たい水で洗濯しなくて済むなんて、長生きはするもんじゃのう!」
街の広場を歩くリゼットの周りには、今日も笑顔の領民たちが集まり、口々に感謝の言葉を述べていた。
「ふふっ、お役に立てて嬉しいです。でも、これは私一人の力じゃありませんから。洞窟で星脈水晶を掘り出してくれた騎士の皆様と、旦那様のおかげですよ」
リゼットが謙遜して微笑むと、領民たちは「またまたご謙遜を!」「我らが女神様、万歳!」とますます熱狂してしまう。
『水晶鳴きの洞窟』から持ち帰った大量の星脈水晶は、リゼットの魔法で一般家庭用の小型魔導具に加工され、領内の各家庭に無償で配布されていた。
ファルサス帝国の『赤焔石』など比べ物にならないほど高純度で安定した熱を放つその魔導具のおかげで、今年の辺境の冬は、王都の貴族街よりも遥かに暖かく、快適なものになっていたのだ。
「……そろそろ、お屋敷に戻らないと。旦那様が心配しちゃうわ」
領民たちに手を振りながら、リゼットは足早に辺境伯邸への帰路についた。
***
辺境伯邸、クラウスの私室。
赤々と燃える暖炉の前に置かれた大きなソファで、クラウスはリゼットを膝の上に乗せ、背後から彼女の華奢な体をすっぽりと抱きしめていた。
「……遅かったな」
クラウスがリゼットの首筋に顔を埋め、甘えるような、少し拗ねたような低い声で囁く。
冷徹な『氷の辺境伯』の姿からは想像もつかない、妻にだけ見せる無防備な顔だ。
「ごめんなさい、旦那様。街の皆さんがヒーターの感想をたくさん教えてくださって、つい話し込んでしまって」
「そうか。お前が作ったものだからな、皆喜ぶだろう。だが、あまり無理をして体を冷やすな。お前の手はこんなに冷たくなっている」
クラウスは、リゼットの小さな両手を自分の大きな手で包み込み、ゆっくりと温めるようにさすった。
彼の手はいつでも大きくて、力強くて、安心するほど温かい。
左手の人差し指には、洞窟で作った『魔力共鳴のペアリング』が、二人の絆の証として今も静かに光を放っていた。
『(ああああ幸せだ!! 俺の腕の中に、こんなにも愛おしい人がいる!! 外は吹雪だというのに、俺の心は春の陽だまりのように温かい!!)』
リゼットの耳に光る翻訳魔導具から、今日一番の幸せに満ちた心の声が流れ込んでくる。
『(王都のゴミ共からも、他国の略奪者からも、彼女を完全に守り抜くことができた。この温もりを、この笑顔を守るためなら……俺は世界中を敵に回しても構わない。俺の命のすべてを懸けて、永遠にお前を愛し抜く)』
いつもの限界オタクのようなテンションの中に、深く、重く、揺るぎない覚悟が混じり合っている。
彼はもう、「リゼットに怯えられているかも」と不安がるだけの不器用な男ではない。真の意味で彼女の隣に立つ夫としての強さと、包容力を身につけていた。
「……ふふっ。ありがとうございます、旦那様。すごく温かいです」
リゼットは背中の彼に体重を預け、包み込まれた手の中で、そっと彼の指を握り返した。
「私、今、本当に幸せです。誰かに才能を搾取されることもなく、大好きな魔導具作りで皆さんを笑顔にできて……何より、旦那様が私を一番に愛してくれているから」
「……当たり前だ。お前以外の女など、俺の視界には入らん」
クラウスがリゼットの髪にそっと口づけを落とす。
その甘やかな感触に身をすくめながら、リゼットはクラウスの顔を見上げた。
「これからは……どんな脅威が来ても、二人で一緒に強くなりましょうね」
「ああ。俺の剣と、お前の魔法。二人で一つなら、決して負けはしない」
暖炉の火が、二人の影を優しく揺らしている。
氷の辺境伯と、不遇だった天才魔導具師。二人が見つけた「私だけの居場所」は、吹雪に閉ざされた辺境の地で、世界中のどこよりも温かく、輝いていた。
***
翌日。
専用アトリエで、リゼットは一人、作業台に向かっていた。
テーブルの上に置かれているのは、ルキウスが街に仕掛け、回収された『魔物寄せの呪具』の親機だった。
「法的な証拠としての役割は終わったけれど……魔導具師としては、この術式の構造がどうなっているのか、やっぱり気になるわね」
他国が開発した兵器の解析は、今後の防衛にも役立つはずだ。
リゼットは工具を手に取り、黒い箱の封印を慎重に解き、外装のカバーを取り外した。
「……え?」
呪具の内部に組み込まれた、複雑な魔力回路と魔法陣。
それを見た瞬間、リゼットは息を呑み、手から工具を取り落とした。
カランッ、と冷たい音がアトリエに響く。
「嘘……どうして……?」
リゼットの瞳が、驚愕に見開かれていた。
魔力回路の配置。概念を定着させるための独特のルーン文字の組み合わせ。
それは、ファルサス帝国の技術などではなかった。
(この術式の癖……間違いなく、お母様の理論だわ……!)
リゼットの記憶の底に眠る、亡き母の姿。
オズワルド男爵家の屋根裏で、母が密かに研究していた『禁忌の術式』。
その設計図は、母が亡くなった後、誰かに持ち去られ、行方不明になっていたはずだった。
「どうして、ファルサス帝国の特使が、お母様の術式を使った呪具を持っているの……?」
単なる嫌がらせのテロだと思っていた事件の裏に、底知れぬ巨大な闇が口を開けているのを感じた。
母の死の真相。持ち去られた研究。そして、大陸全土に散らばる「禁忌の魔導具」の影。
リゼットは、カタカタと震える手で自身の胸元を強く握りしめた。
真の平和を手に入れたと思っていた。
だが、運命の歯車は、天才魔導具師とその最強の夫を、さらなる巨大な陰謀の渦中へと巻き込もうとしていた。
――新たな波乱の予兆を孕みながら。
辺境の空に、冷たい冬の風が吹き抜けていった。
(第三章へ続く)
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




