EP 7
特使の罠と、王都の残党
数台の大型馬車に、山のような『星脈水晶』を積み込み、ダンジョンからの帰路についた探索部隊。
これで領民たちは何の不安もなく、暖かく豊かな冬を越すことができる。馬車に揺られる騎士たちの顔には、疲労よりも大きな達成感と安堵の笑みが浮かんでいた。
「ふぁ……」
馬車の中で、リゼットは小さく欠伸を漏らし、隣に座るクラウスの肩にこてんと頭を預けた。
魔力は自身の命を削らずに済んだとはいえ、極度の緊張と高度な術式制御の反動で、深い眠気が襲ってきているのだ。
「……無理もない。屋敷に着くまで寝ておけ」
クラウスは、自分の肩に寄りかかるリゼットの頭をそっと撫で、自分の分厚いマントで彼女の体をすっぽりと包み込んだ。
『(あああああ天使の寝顔!! まつ毛が長い! 呼吸のたびに上下する小さな肩が愛おしすぎる!! このまま時間が止まればいいのに!! いや、ずっと俺の腕の中で眠らせていたい!!)』
翻訳魔導具からは、いつもの元気な限界オタクの声が響いてくる。
しかし、その声すらも心地よい子守唄のように感じられ、リゼットは安心しきって意識を手放していった。
***
だが、その平和な微睡みは、街へ帰り着く直前に無惨に引き裂かれた。
「――団長!! 街の様子がおかしいです!!」
先行していた斥候の切羽詰まった声に、クラウスはハッと顔を上げ、リゼットも目を覚ました。
馬車の窓から外を見ると、いつもなら活気に溢れているはずの辺境の街並みが、異様な静寂に包まれている。いや、静寂ではない。
遠くの居住区の一部から、黒々とした煙が上がり、人々の悲鳴と怒号が微かに聞こえてきていた。
「どういうことだ。防衛結界に異常はないはずだぞ!」
「結界は健在です! ですが、結界の『内側』である街の居住区や路地裏に、突如として魔物が現れたとの報告が……!」
「なんだと!?」
クラウスはすぐさま馬車を降り、リゼットも後に続いた。
結界が破られていないのに魔物が侵入するなど、あり得ない。リゼットの構築した『絶対防衛結界』は、物理的な侵入はもちろん、空間転移や地中からの襲撃すら完璧に遮断しているはずなのだ。
そこへ、街の警備にあたっていた騎士の一人が、顔を腫らした初老の男を乱暴に引きずってやってきた。
「閣下! 居住区に魔物を引き入れた『実行犯』を捕らえました!」
「実行犯だと?」
騎士が男を地面に放り投げる。
その顔を見て、リゼットは息を呑んだ。
「お、お父様……!?」
ボロボロの衣服に身を包み、泥と煤にまみれて床に這いつくばっていたのは、ゴルドスマイル銀行に全財産を差し押さえられ、路頭に迷ったはずのオズワルド男爵――リゼットの実の父親だった。
「ひぃっ、ひぃぃ……! 許してくれ、殺さないでくれぇ……!」
男爵は恐怖でガタガタと震えながら、クラウスのブーツにすがりつこうとした。
クラウスは虫けらを見るような氷の瞳で見下ろし、男爵をブーツの先で冷酷に蹴り退けた。
「……なぜ貴様がここにいる。どうやって魔物を街に入れた」
「わ、わしは悪くないんだ! 借金取りに追われて王都を逃げ出し、野垂れ死にそうになっていたところを……あの銀髪の男に、声をかけられただけで……!」
男爵の口から語られた事実は、卑劣極まりないものだった。
男爵に声をかけた「銀髪の男」――ファルサス帝国の特使ルキウスは、莫大な報酬と偽造の身分証を餌に、男爵を辺境の街へ潜り込ませた。
そして彼に、「黒い木箱」を街の居住区や市場の物陰に設置するよう命じたのだという。
「その木箱が……魔物を?」
「あの箱から、嫌な臭いのする黒い霧が出て……そうしたら、下水管の奥や、街の地下深くのわずかな隙間から、ドブネズミのような小さな魔物が異常発生して、合体して巨大化したんだ! わしは何も知らなかった、ただ箱を置けば金をもらえると……!」
「……『魔物寄せの呪具』か」
リゼットは怒りで唇を噛んだ。
街の地下や下水道には、結界を張る前から生息していた微小な蟲やネズミの魔物がわずかに残っている。普段は無害だが、強力な呪具で強制的に狂暴化させ、合体させれば、結界の内側で魔物災害を引き起こすことが可能なのだ。
自分の保身のために、罪のない領民を危険に晒すなど、言語道断だ。
「おい、どうした騒々しい」
その時。
まるで芝居の主役のように、わざとらしい足音を響かせて、銀髪の特使ルキウスが護衛を連れて現れた。
彼の顔には、自らの策が完璧にハマったという、狡猾で嫌悪感を催すような笑みが浮かんでいる。
「これはこれは、辺境伯閣下。それにリゼット嬢。無事にダンジョンからお戻りのようで何よりですが……どうやら、街の様子が騒がしいようですね」
「……貴様の仕業だな、白キツネ」
クラウスが剣の柄に手をかけ、絶対零度の殺気を放つ。
しかし、ルキウスは全く怯むことなく、むしろ大仰に肩をすくめてみせた。
「人聞きの悪い。私はただ、滞在先の別館から火の手が見えたので、心配して駆けつけただけですよ。……それにしても、嘆かわしい。閣下が領民の安全を蔑ろにし、あのような危険な未踏ダンジョンで『違法な魔力鉱石の採掘』を強行したせいで、大地の魔脈が乱れ、結界の内部に魔物を発生させてしまったとは」
「……なんだと?」
クラウスの瞳が剣呑に細められる。
ルキウスは、懐から帝国中央の紋章が入った書状を取り出し、ヒラヒラと振ってみせた。
「すでに帝国中央……皇帝陛下の直轄機関へは、私から急使を送って報告済みです。『氷の辺境伯は領地運営に失敗し、自らの利益のためにダンジョンを荒らし、魔物を暴走させた』とね」
「貴様ッ!」
「おっと、私を斬れば、閣下は特使殺しに加え、帝国の反逆者として完全に政治的命脈を絶たれますよ。辺境軍は強大ですが、中央軍と周辺諸国すべてを敵に回して、この領地が守りきれますかな?」
それが、ルキウスの真の狙いだった。
男爵を使って街に魔物を放ち、それを「辺境伯の違法採掘のせいだ」と中央へ虚偽の報告を行う。
事実確認が行われる前に、辺境を政治的・軍事的に完全に孤立させるための、完璧な自作自演のテロル(恐怖政治)である。
「……だが、私は慈悲深い。閣下のような有能な武将が、こんな形で失脚するのは忍びない」
ルキウスは、獲物を追い詰めた毒蛇のように目を細め、リゼットを舐め回すように見つめた。
「今ならまだ、間に合います。リゼット嬢を、我がファルサス帝国に譲渡してください。そうすれば、私が中央へ手を回し、『魔物の暴走はファルサス帝国の技術援助によって収束した』と報告を書き換えてあげましょう。領民の命も、閣下の地位も守られる。……素晴らしい取引だとは思いませんか?」
静まり返る街の大通り。
遠くから聞こえる魔物の咆哮と、炎の爆ぜる音。
ルキウスは、今度こそ完全にクラウスの退路を塞いだつもりでいた。
愛する妻か、領民の命と自らの地位か。どちらを選んでも、クラウスにとっては地獄となる究極の二択。
「……さあ、どうされますか? 時間はあまり残されていませんよ」
ルキウスが勝ち誇ったように笑う。
男爵が「そうだ、その女を売ってわしを助けろ!」と足元で喚いている。
リゼットは、悔しさに震えながらクラウスを見上げた。
彼の政治的立場が、私のせいで追い詰められている。
(どうしよう……これでは、本当に旦那様が……)
しかし。
リゼットの耳に装着された翻訳魔導具から聞こえてきたのは――絶望でも、苦悩でも、焦燥でもなかった。
『(…………底が知れたな。小物め)』
冷たく、静かな。
絶対的な強者のみが持つ、傲慢なまでの見下した声。
クラウスは、ルキウスの脅迫を前にして、ふっと口角を上げ……氷のように冷酷で、底知れぬ凄みを持った笑みを浮かべた。
「……取引、だと?」
地獄の底から響くような声が、大通りに木霊する。
「貴様は、致命的な勘違いをしているようだな、特使殿」
クラウスは、一歩だけルキウスへ歩み寄った。
ただそれだけで、特使の護衛たちが「ヒッ」と悲鳴を上げて後退るほどの、圧倒的な圧力が空間を支配する。
「一つ。俺の妻は、誰が相手であろうと絶対に渡さない。
二つ。帝国中央がどう動こうが、俺の軍事力と財力があれば、正面からねじ伏せることなど造作もない。
そして三つ……貴様のような三流の謀略で、俺の領民と、俺の妻を脅かしたこと。その罪の重さを、貴様は全く理解していない」
クラウスの瞳が、黄金の炎を宿して妖しく輝いた。
「俺の領地でテロを仕掛けたこと。それは明白な宣戦布告だ。……貴様らファルサス帝国は、相手にしてはいけない男の逆鱗に、自ら触れたのだ」
ルキウスの顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちた。
追い詰めたはずの相手から放たれる、規格外の恐怖。
「リゼット」
「……はいっ」
クラウスがリゼットを振り返る。
その顔は、ルキウスに向けていた死神のような顔から一変し、絶対的な信頼を寄せる夫の顔になっていた。
「あいつらが街に仕掛けた『魔物寄せの呪具』。……お前の魔法で、すべての呪具の配置箇所と、起動のための『親機』の場所を特定できるか?」
「親機……」
リゼットはハッとして、自身の背負ったリュックを見た。
そこには、先ほど洞窟から持ち帰ったばかりの、極上の魔力伝導率を誇る『星脈水晶』が大量に入っている。
「……はい! 星脈水晶を使って探知魔導具を組めば、呪具の波長を逆探知して、親機の場所を完璧に割り出すことができます!」
「上出来だ。街の魔物は副団長たちに任せる。俺たちはアトリエに戻り、一刻も早く『証拠』を掴むぞ」
クラウスはルキウスを一瞥すらせず、リゼットの手を取って辺境伯邸へと歩き出した。
すれ違いざま、クラウスが冷酷な声でルキウスに言い放つ。
「首を洗って待っていろ、白キツネ。……貴様を合法的に社会から抹殺し、二度と太陽の光を拝めないようにしてやる」
残されたルキウスは、足の震えを隠すことができず、顔面を蒼白にして立ち尽くしていた。
知略を気取った三流の悪党が、本物の怪物たちを怒らせてしまった。
最強の武力と、最高の技術。二人が揃った今、反撃の狼煙は、これ以上ないほど高く、鮮やかに上がろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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