EP 5
命の重さと、魔導具師の意地
『水晶鳴きの洞窟』の安全地帯である、古い祭壇の広間。
毛布の上に座り込んだリゼットは、まだ少し青白い顔をしていたが、呼吸はすっかり落ち着きを取り戻していた。
「……体調はどうだ。まだ痛むところはないか?」
「はい、もう大丈夫です。魔力中和のチョーカーを二重に着け直しましたし、傷ついた魔力回路も少しずつ回復してきています」
心配そうに覗き込むクラウスに、リゼットは安心させるように微笑みかけた。
しかし、クラウスの表情は険しいままだ。彼は腕を組み、背後で休息を取っている騎士たちと、洞窟の奥へと続く真っ暗な通路を交互に睨みつけた。
「……これ以上の進軍は無謀だ」
クラウスは重々しい声で決断を下した。
「水晶蜘蛛の群れ程度なら俺一人でも退けられるが、この先にさらに凶悪な魔獣がいないとは限らん。通常の付与魔法が封じられた状態では、部下たちを危険に晒すことになる。何より、お前の体が心配だ。今回は一度撤退し、態勢を立て直す」
その言葉に、騎士たちは無念そうに俯いた。
彼らとて、領民の冬を越すための『星脈水晶』を手ぶらで諦めたくはない。だが、敬愛する奥様を危険な目に遭わせ、自分たちも足手まといになっている現状では、団長の判断に従うしかなかった。
「お待ちください、旦那様」
だが、リゼットは凛とした声でその撤退命令に待ったをかけた。
「撤退する必要はありません。私たちなら、必ず最深部に辿り着けます」
「リゼット。さっき俺が言った言葉を忘れたか。俺は、お前に二度と命を削るような真似はさせない」
クラウスの声が微かに怒気を帯びる。だが、リゼットはひるまなかった。
「無茶はしません。先ほどは、私一人の生命力で広域付与を行おうとしたから体が持たなかったんです。この洞窟の強烈な『魔力の拒絶』を突破するには、私の細い魔力では足りない。……だったら、足りない分を補えばいいんです」
リゼットは立ち上がり、クラウスを真っ直ぐに見上げた。
「旦那様。あなたの莫大な魔力を、私に貸してください」
「……俺の、魔力を?」
クラウスは目を瞬かせた。
彼自身の魔力は、質・量ともに帝国でもトップクラスだが、それはあくまで「闘気」として物理的な破壊力に変換するためのものだ。繊細な魔法構築や『概念付与』に使えるようなものではない。
「はい。旦那様は、ご自身の魔力(闘気)を私に注ぎ込むことで、無理やり私の術式を破壊しましたよね? あれを、少しだけ応用するんです」
リゼットはリュックから、いくつかの中級魔石と、先ほどの戦闘で砕け散った「水晶蜘蛛の装甲の破片」を取り出した。
そして、工具を取り出し、その場で手早く加工を始めた。
「この洞窟の水晶魔獣たちは、外部からの魔力を反射・吸収する性質を持っています。なら、その性質を逆利用するんです。この破片を触媒にして、旦那様の魔力を私の術式に『同調』させるためのバイパス(中継器)を作ります」
カチャカチャと、リゼットの手元で魔法陣が彫り込まれ、魔石が組み合わされていく。
ものの数分で完成したのは、二つの指輪が細いミスリルの鎖で繋がれた、不思議な形状の魔導具だった。
「完成です。『魔力共鳴のペアリング』……即席なので不格好ですが」
リゼットは片方の指輪を自分の右手の人差し指にはめ、もう片方をクラウスに差し出した。
「これを旦那様が着けてくだされば、旦那様の無尽蔵の魔力を、私の術式の『動力源』として使うことができます。私自身の生命力は一切削られません。私が術式を握り、旦那様が魔力を提供する……。私たち二人で一つの魔法を完成させるんです」
その言葉を聞いた瞬間。
クラウスの時間が、完全に停止した。
「……」
彼は差し出された指輪を見つめたまま、微動だにしない。
しかし、リゼットの耳に光る翻訳魔導具からは、もはや言語の体をなしていない、凄まじいまでの轟音が鳴り響き始めた。
『(――――――――ッッッ!!!!!!!)』
『(夫婦の共同作業!!! 命を預け合う究極の愛!!! 魔力の交わり!!! 俺の力でリゼット様を守り、リゼット様の技術で俺が敵を討つ!!! あああああなんという尊さだ!! これぞ真の夫婦!! 愛の結晶!! 断る理由など万に一つも存在しない!!!)』
脳内が完全にピンク色のお花畑と化している限界オタクの叫びに、リゼットは必死に笑いを噛み殺した。
相変わらず重すぎる心の声だが、彼がこの提案を喜んで受け入れてくれることだけは痛いほど伝わってくる。
「……わかった。俺の魔力、好きに使え」
表向きはあくまでクールに。
クラウスは真顔で指輪を受け取り、手袋を外して、自分の左手の人差し指にきっちりとはめ込んだ。
「よしっ。それじゃあ、テストしてみましょうか。旦那様、指輪に少しだけ魔力を流し込んでみてください」
「ああ」
クラウスが意識を集中させると、彼の指輪から鎖を伝って、リゼットの指輪へ莫大な魔力が流れ込んできた。
(すごい……! なんて力強くて、温かい魔力なの……)
リゼットは息を呑んだ。
暴力的とも言えるほどの圧倒的な魔力だが、リゼットの魔力回路を通る時には、まるで彼女を包み込むように優しく、心地よく変質している。これが、彼がリゼットへ向ける「無意識の庇護欲」の表れなのだろう。
「この魔力なら……あの水晶の装甲でも、絶対に貫けるわ」
リゼットはクラウスの愛剣『黒銀の大剣』に手を触れた。
「――術式展開。旦那様の魔力を触媒とし、『絶対貫通』の概念を付与!」
カァァァッ!!
クラウスの大剣が、かつてないほど眩い白銀の光を放った。
それは、周囲の魔力干渉をものともせず、空間の拒絶をクラウスの圧倒的な魔力でねじ伏せ、リゼットの完璧な術式で定着させた『愛と奇跡の刃』だった。
「す、すげえっ! あんな強烈な付与、王都の宮廷魔導士長でも不可能だぞ!」
「団長の魔力と、奥様の魔法が合体したんだ! これなら勝てる!」
騎士たちが歓声を上げ、士気が一気に最高潮に達する。
「行こう、リゼット。俺とお前の力で、この洞窟を制圧する」
クラウスは光り輝く大剣を肩に担ぎ、リゼットへ向けて不敵に笑いかけた。
その頼もしい姿に、リゼットも力強く頷き返す。
***
そこからの快進撃は、まさに圧倒的だった。
洞窟の奥へ進むにつれ、水晶蜘蛛だけでなく、巨大な『水晶ムカデ』や『水晶ゴーレム』など、強力な魔獣が次々と襲いかかってきた。
しかし。
「リゼット、来るぞ!」
「はいっ! 魔力供給、最大! 『粉砕』の概念を付与!」
クラウスが剣を振るう瞬間、リゼットが後方から指輪を通じて完璧なタイミングで術式を切り替える。
クラウスの闘気とリゼットの魔法が完全に同期し、あらゆる魔獣の装甲を紙切れのように叩き割り、粉砕していった。
騎士たちはもはや戦闘に参加する隙もなく、「おおおっ!」「すげえ!」と、最強夫婦の無双劇を後ろから応援する観客と化していた。
(本当に、すごい……。私の魔法のタイミングに合わせて、旦那様が完璧に剣を振ってくれる。言葉を交わさなくても、お互いの次にしたいことが分かるみたい)
魔力を通じ合わせたことで、二人の間のコンビネーションは神がかり的な領域に達していた。
まるで、長年連れ添った老夫婦のように、あるいは一つの命を共有する半身のように。
『(あああああ最高だ!! リゼット様の魔法が俺の剣に宿るこの感覚!! 俺たちは今、間違いなく世界で一番強い夫婦だ!! このまま魔王の城まで殴り込みに行けそうな気がする!!)』
限界オタクの歓喜も絶好調だ。
そして、ついに。
「……あそこだ。最深部に着いたぞ」
クラウスが足を止めた。
仄青い通路を抜けた先には、ドーム状に広がる巨大な空間があった。
その空間の壁面や天井、そして床に至るまで、すべてが純白に輝く極上の魔力鉱石――『星脈水晶』の巨大なクラスターで埋め尽くされていたのだ。
「すごい……! これ全部、星脈水晶……!」
リゼットが目を輝かせた、その瞬間。
ズズンッ……! と、空間全体が揺れ、星脈水晶の山の奥から、一際巨大な影が立ち上がった。
「キルルルォォォォォォォッッ!!」
鼓膜を突き破るような甲高い咆哮。
姿を現したのは、全身を最も硬い星脈水晶で覆われた、見上げるほど巨大な六頭の竜――『水晶多頭竜』だった。
この洞窟の主であり、星脈水晶を守護する最悪の門番。
「デカい……! それに、あの装甲、さっきまでの魔獣とは次元が違うぞ!」
騎士たちが青ざめる中、クラウスは微塵も怯むことなく、愛剣を正眼に構えた。
「リゼット。出し惜しみはなしだ。俺の全魔力をくれてやる。……あの化け物を、一撃で消し飛ばせるか」
クラウスの問いに、リゼットは深く息を吸い込み、指輪をはめた右手を真っ直ぐに突き出した。
「もちろんです。私たち二人の力なら、切れないものなんてありません!」
最強の騎士と、天才魔導具師。
二人の愛と絆の結晶が、今、洞窟の主を打ち砕くための究極の刃となって解き放たれようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




