EP 4
水晶鳴きの洞窟と、付与魔法の代償
仄青い光に満ちた『水晶鳴きの洞窟』の内部は、まるで神が造り出した巨大な万華鏡の中を歩いているかのような、幻想的で美しい空間だった。
壁面や天井を埋め尽くすように群生する水晶のクラスターが、互いに共鳴し合って「キィィィン……」という高い音を立てている。
「綺麗……でも、少し息苦しいわね」
リゼットは首元の『魔力中和のチョーカー』に触れながら呟いた。
チョーカーの恩恵で呼吸はできているものの、肌を刺すような高濃度の魔力干渉は完全に防げるものではない。水の中に潜っているような、独特の圧迫感が常につきまとっていた。
「周囲を警戒しろ。この魔力濃度だ、いつ何が襲ってきてもおかしくないぞ」
先頭を進むクラウスが、大剣を構えたまま低く鋭い声を飛ばす。
その言葉の直後だった。
――カサカサ、カカカカッ!
洞窟の奥から、無数の硬質な足音が響き渡った。
天井の水晶群に擬態するようにして張り付いていたそれは、馬ほどの大きさを持つ巨大な蜘蛛の群れ――『水晶蜘蛛』だった。
全身を透明度の高い水晶の装甲で覆い、八つの赤い単眼を不気味に光らせている。
「敵襲ッ! 上だ!」
副団長の号令と共に、竜騎士たちがいっせいに槍と剣を構えた。
天井から飛び降りてきた数匹の水晶蜘蛛に対し、騎士の一人が鋭い突きを放つ。
ガキィィィンッ!!
しかし、騎士の放った一撃は、蜘蛛の装甲に当たった瞬間、甲高い金属音と共に火花を散らして弾き返された。
「なっ……硬い!? 俺たちの剣が通らねぇ!」
「魔導士、後方から火炎魔法を撃ち込め!」
後衛の騎士が杖を掲げ、灼熱の火球を放つ。
だが、火炎魔法が蜘蛛の水晶装甲に直撃した瞬間。
ボフッ! という音と共に魔法の威力が完全に霧散し、わずかな熱気すら残さずに掻き消されてしまったのだ。
「馬鹿な!? 魔法が吸収……いや、反射されたのか!?」
「物理攻撃も魔法も通じないだと!? どうやって倒せばいいんだ!」
騎士たちが焦燥の声を上げる中、水晶蜘蛛たちは無機質な動きでジリジリと距離を詰め、鋭利な水晶の脚を鎌のように振り下ろしてきた。
防戦一方に追い込まれる騎士たち。
先頭のクラウスだけは、力任せの大剣の一撃で蜘蛛の装甲ごと叩き割っているが、群れの数が多すぎて彼一人では手が回りきらない。
(このままじゃ、みんながやられちゃう!)
陣形の中央にいたリゼットは、咄嗟に両手を胸の前に掲げた。
(いつものように、皆さんの武器に『威力百倍』と『装甲貫通』の概念を付与すれば……!)
リゼットは深く息を吸い込み、体内の魔力を練り上げた。
指先から翠緑の光が溢れ出し、前衛で戦う騎士たちの武器へと飛んでいく。
「――『概念付与』!!」
バチバチッ!!
「きゃあっ!?」
術式を展開しようとした瞬間。
リゼットの放った魔力は、洞窟内に充満する高濃度の魔力干渉と激しく反発し合い、ショートしたように弾け飛んでしまった。
(嘘……魔法が、空中で霧散していく……!?)
王都や辺境の平原で使っていた時とは勝手が違った。
この『水晶鳴きの洞窟』は、環境そのものが強烈な魔力の結界として機能している。外部からの異物であるリゼットの魔法が、周囲の空間から猛烈な「拒絶」を受けているのだ。
(なら、空間の拒絶を上回るだけの魔力を、強制的に注ぎ込むしかないわ!)
王都での過酷な労働で培われた、リゼットの「無理を押し通す」悪い癖が出てしまった。
彼女は奥歯を噛み締め、術式の回路を自身の『生命力』に直結させた。
通常の魔力ではなく、自らの寿命や命の炎そのものを削って、術式を無理やり定着させようとしたのだ。
「いっ、けええええええっ!!」
リゼットの全身から、先ほどとは比べ物にならないほど強烈な光が放たれる。
その光が騎士たちの武器を包み込み、術式が強制的に書き換えられていく。
「うおおおっ!? 剣が光り出したぞ!」
「力が……力が湧いてくる!」
「押し返せ!!」
付与の恩恵を受けた騎士たちが、次々と水晶蜘蛛の装甲を叩き割り始めた。
戦況が逆転したかに見えた、その時。
「かはっ……!」
リゼットの口から、どす黒い鮮血がゴボリと吐き出された。
「……え?」
膝から力が抜け、視界が真っ赤に染まる。
全身の血管を炎で焼かれているような激痛。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさ。
魔力だけでなく、命そのものを強引に引き剥がされるような、耐え難い苦痛だった。
(あ、れ……? どうして……体が、動か……)
強力すぎる『概念付与』。
これまでは『紫電の角』などの国宝級の触媒を介して行っていたか、あるいは環境の魔力抵抗が少ない平原での使用だったため、彼女自身の負担はそこまで大きくはなかった。
しかし、この狂った魔力環境の中で、何の触媒もなしに広域への強制付与を行うことは、人間一人の生命力など数秒で枯渇させるほどの『絶対的な代償』を伴う行為だったのだ。
リゼットの体が傾き、冷たい洞窟の床へと倒れ込みそうになる。
「リゼットォォォォォォォォッ!!!」
戦場に、獣の咆哮のようなクラウスの絶叫が響き渡った。
ドンッ!! という爆発音と共に、クラウスは目の前の水晶蜘蛛を蹴り飛ばし、人間の限界を超えた速度でリゼットのもとへ跳躍した。
床に崩れ落ちる寸前で、強靭な腕がリゼットの体を抱きとめる。
「旦那、様……。魔法、うまく、いきました……よ……」
血まみれの口元で、無理に笑みを作ろうとするリゼット。
それを見たクラウスの黄金の瞳が、かつてないほど激しい怒りと、心臓が引き裂かれるような悲痛な色に染まった。
「馬鹿野郎!! 術式を解け!! 今すぐだ!!」
「で、でも……私が付与をやめたら、皆さんが……」
「いいから解けェェェッ!!!」
クラウスは、リゼットの肩を掴み、怒髪天を衝く勢いで怒鳴りつけた。
その直後。彼自身の莫大な闘気をリゼットの体内に流し込み、彼女が展開していた術式を力技で強制的に『破壊』した。
パリンッ……!
ガラスが割れるような音と共に、騎士たちの武器から翠緑の光が消え失せる。
「えっ!? 付与が消えた!?」
「団長! 奥様が……奥様が血を!」
振り返った騎士たちが、血を流して倒れるリゼットの姿に青ざめた。
「全員、防衛陣形を取れ! ここは俺が食い止める。お前たちはリゼットを守り、後方の安全地帯まで後退しろ!!」
クラウスはリゼットを副団長に預けると、愛用の大剣を抜き放ち、たった一人で水晶蜘蛛の群れの前に立ち塞がった。
その背中から立ち上る闘気は、先ほどまでの比ではない。
愛する妻を傷つけられた(自業自得とはいえ)怒りと、妻の命を削らなければ戦えなかった己の不甲斐なさに対する、凄まじいまでの殺意が渦巻いていた。
『(あああああああああ俺の馬鹿野郎ッ!! 俺がもっと強ければ、リゼット様にこんな無理をさせることはなかった!! お前の血の一滴は、この世界のどんな財宝よりも重いというのに!! 許さん、リゼット様を追いつめたこの虫ケラどもも、俺自身の無能さも、すべて纏めて斬り伏せてやる!!)』
もはや翻訳魔導具を通さずとも伝わってくる、鬼気迫る怒り。
クラウスは、防御など一切考えない特攻の構えを取った。
「――失せろ、雑魚どもが」
轟ッ!!
クラウスの剣閃が、洞窟内の仄青い光を切り裂いた。
付与魔法などなくても、圧倒的な膂力と研ぎ澄まされた剣技だけで、水晶の装甲ごと蜘蛛たちを真っ二つに両断していく。
返り血ならぬ水晶の破片を浴びながら、修羅の如く剣を振るうクラウスの姿に、残った魔獣たちは本能的な恐怖を覚え、ジリジリと後退し始めた。
「今だ! 奥様をお連れして後退しろ!」
「団長を援護しろ!」
騎士たちの連携により、蜘蛛の群れを一時的に退け、一行は洞窟内の入り組んだ通路の奥――魔力干渉が比較的薄い、古い祭壇のような広間へと逃げ込むことに成功した。
***
「……っ」
安全地帯に辿り着き、壁際に張られた毛布の上に横たえられたリゼットは、荒い息を吐きながらゆっくりと目を開けた。
吐き気と頭痛は幾分かマシになっていたが、それでも体中の魔力回路が焼け焦げたような鈍い痛みが残っている。
「……気がついたか」
傍らに片膝をつき、リゼットの手を握りしめていたクラウスが、低く震える声で言った。
彼の顔には、魔獣の血と水晶の粉がこびりつき、呼吸も荒い。
だが、その黄金の瞳は、怒りと安堵が入り混じった、泣き出しそうなほど切実な光を宿していた。
「旦那様……ごめんなさい。私、皆さんの足を引っ張って……」
「謝るな。……お前をこんな場所に連れてきた、俺の責任だ」
クラウスはギリッと奥歯を噛み締め、リゼットの手を自身の額に押し当てた。
「なぜ、あそこまで無理をした。俺が無理やりにでも術式を破壊しなければ、お前は命を落としていたかもしれないんだぞ」
「だって……私が付与しなければ、騎士の皆さんが怪我をしてしまうと……」
「俺たちは騎士だ。傷を負い、命を懸けて戦うのが仕事だ。だが、お前は違う」
クラウスは顔を上げ、かつてないほど真剣で、厳しい瞳でリゼットを叱りつけた。
「俺は、お前が自分の命を削ってまで得る勝利など、欠片もいらん。……お前の命は、もうお前一人のものではない。俺の命そのものだ」
その重く、真っ直ぐな言葉に、リゼットの目からポロリと涙が零れ落ちた。
王都にいた頃は、倒れるまで魔法を使っても、誰も「やめろ」とは言ってくれなかった。
「お前の代わりなどいくらでもいる」と鞭打たれ、命を削るのが当たり前だと思っていた。
でも、彼は違う。
彼は、魔法の成果よりも、リゼットの命と存在そのものを何より大切にしてくれている。
『(あああああ怒鳴ってしまった!! 怖がらせてしまった!! だがこれだけは絶対に分かってもらわねば困る!! リゼット様に死なれたら、俺は今すぐこの剣で腹をかっ捌いて後を追うしかないのだから!!)』
翻訳魔導具から聞こえてくる、激重すぎる本音の叫び。
リゼットは涙を拭いながら、小さく、けれどしっかりと頷いた。
「はい……。もう、無茶はしません。ごめんなさい、旦那様」
リゼットの謝罪に、クラウスは深く息を吐き出し、彼女の額にそっと唇を落とした。
とりあえずの危機は脱した。
だが、目標である『星脈水晶』はまだこの洞窟の最深部に眠っている。通常の付与魔法が通じないこの理不尽な環境で、彼らはどうやって進めばいいのか。
リゼットの頭の中で、魔導具師としての新たな、そして『二人で一つ』の解決策が、静かに形を作り始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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