EP 3
価値の証明と、不器用な誓い
ファルサス帝国の特使ルキウスを追い返した翌朝。
辺境伯邸の中庭には、冷たい風が吹きすさぶ中、完全武装を施した数十名の精鋭竜騎士たちが集結していた。
「……本当に、奥様も同行されるのか?」
「いくらなんでも危険すぎる。『水晶鳴きの洞窟』は、魔力濃度が異常すぎて息をするのも苦しい場所だぞ。俺たちだって、数時間潜るだけで魔力酔いで倒れそうになるっていうのに」
騎士たちが不安げに囁き合うのも無理はない。
『水晶鳴きの洞窟』は、辺境領地でも最深部に位置する未踏ダンジョンだ。そこに眠るという高純度の魔力鉱石『星脈水晶』を手に入れれば、隣国からの輸入に頼らずとも、領民たちが温かい冬を越すことができる。
しかし、その代償として、洞窟内は常に致死レベルの魔力嵐が吹き荒れ、凶悪な魔獣が巣食う地獄のような環境なのだ。
「皆様、お待たせいたしました!」
そこへ、元気な声と共にリゼットが姿を現した。
いつものドレス姿ではなく、動きやすい細身のパンツスタイルに、防寒用の分厚い魔導コートを羽織り、足元は頑丈な革のブーツ。背中には、工具や素材がぎっしり詰まった革製のリュックを背負っている。
その実用性重視の『探検家スタイル』を見た瞬間、前線に立っていたクラウスが、ピクリと肩を震わせた。
『(あああああああああっ!! パンツスタイルのリゼット様も信じられないほど可愛い!! 活動的なお姿も最高にキュートだ!! だがリュックが重そう! 俺が持ちたい! いや俺がリゼット様ごと担いで運びたい!!)』
相変わらずの限界突破した心の声が翻訳魔導具から流れ込んでくる。
リゼットは内心でクスッと笑いながら、心配そうな顔をしている副団長たちへ向き直った。
「奥様。お気持ちは痛いほど分かりますが、あの洞窟の魔力干渉は尋常ではありません。奥様のような華奢な方が足を踏み入れれば、数分で気を失ってしまいます」
「ご心配なく、副団長様。そのための準備は、一晩かけて完璧に整えてきましたから」
リゼットはリュックを下ろすと、中から銀色に輝く小さなチョーカーを大量に取り出した。
「これは『魔力中和のチョーカー』です。洞窟内の乱れた魔力波長を自動で相殺し、呼吸を安定させる『環境適応』の概念を付与してあります。……さあ、皆様も着けてみてください」
リゼットに促され、騎士たちが半信半疑でチョーカーを首に巻いた。
その瞬間、彼らはハッと目を見開いた。
「こ、これは……! 空気が、軽い!?」
「いつも中庭の冷気と魔力だけで少し息苦しさを感じるのに、王都の平原にいるみたいに呼吸が楽だぞ!」
驚愕する騎士たちに、リゼットは自信に満ちた笑みを向けた。
「私は、辺境伯領の専属魔導具師です。皆様の足を引っ張るような真似は絶対にしません。どうか、私を皆様の『後方支援』として連れて行ってください!」
その気高く、頼もしい宣言に、騎士たちの顔から不安が消え去った。
代わりに浮かんだのは、彼らの「女神」に対する絶対的な信頼と熱狂だ。
「……奥様。いや、我らが至宝、リゼット様!」
「俺たち竜騎士団が、命に代えてもリゼット様をお守りします! 共に行きましょう、水晶の洞窟へ!」
士気が最高潮に達した騎士たちを見渡し、クラウスが静かに剣を掲げた。
「出陣する」
その短く冷徹な号令と共に、辺境の命運を懸けたダンジョン探索部隊が、力強く進軍を開始した。
***
洞窟へと向かう道中。
揺れる装甲馬車の中で、リゼットは向かいの席に座るクラウスと二人きりになっていた。
彼は腕を組み、窓の外の雪景色を厳しい瞳で見つめている。
出陣前はあんなに心の声で騒いでいたのに、馬車に乗ってからは、翻訳魔導具からも一切の声が聞こえてこない。
不思議に思ったリゼットが、そっと身を乗り出した。
「……旦那様? どうか、されましたか?」
リゼットの声に、クラウスはゆっくりと視線を戻した。
その黄金の瞳の奥には、いつもの限界オタクとしての歓喜ではなく、深く、重く、沈み込むような感情が渦巻いていた。
「……リゼット。俺は、怖いのだ」
ぽつりと、絞り出すような声だった。
最強の騎士団長に似合わぬ「怖い」という言葉に、リゼットは息を呑んだ。
「昨日の特使の言葉を聞いた時。俺の心の中に、とてつもなく醜く、おぞましい感情が湧き上がった」
クラウスは、自らを嘲るように自嘲の笑みを浮かべた。
「お前を他国に奪われるかもしれないと思った瞬間……俺は、お前をこの城の最も深い地下室に閉じ込め、誰の目にも触れさせず、俺の手の届く範囲だけで一生飼い殺しにしてしまいたいと、本気で思ってしまった」
それは、彼のような強大すぎる力を持つ男が抱えがちな、純粋すぎるがゆえの狂気。
大切なものを守るためなら、対象の自由すら奪い、鳥籠に閉じ込めることを正当化してしまう「過保護という名の支配欲」だった。
「……けれど、お前は言った。『私を箱入りの妻にしないでください』と。俺と共に領地を守りたいと、真っ直ぐな目で言ってくれた」
クラウスは、組んでいた手を解き、身を乗り出してリゼットの小さな両手を包み込んだ。
「その言葉で、俺は目が覚めた。俺の歪んだ独占欲で、お前の才能と自由な心を殺すところだった。……お前は、広い空を羽ばたくべき美しい鳥だ。鳥籠に閉じ込めるのではなく、俺がお前が羽ばたくための『空』にならなければならないと、そう誓ったのだ」
翻訳魔導具からは、何の音も聞こえない。
それはつまり、今彼が口にしている言葉こそが、一片の偽りもない彼の『本音』そのものだということだ。
不器用で、激重で、一歩間違えれば狂気にすらなり得るほどの深い愛情。
けれど彼は、リゼットの尊厳を守るために、自らのその狂気を必死に理性で押さえ込んでいるのだ。
「……旦那様」
リゼットは、包み込まれた彼の手を、きゅっと握り返した。
「私、鳥籠に入れられても、案外平気で魔導具を作って遊んでいるかもしれませんよ?」
「リゼット……?」
「でも」
リゼットは、真っ直ぐにクラウスの黄金の瞳を見つめ返した。
「私を信じて、隣に立つことを許してくれた旦那様だからこそ……私は、あなたのためにこの力を使いたいと、心から思えるんです。あなたとなら、どんな恐ろしいダンジョンだって、絶対に乗り越えられます」
その嘘偽りのない言葉に、クラウスの瞳が微かに揺れ、やがて熱を帯びた。
『(ああ…………もう、手放せない。俺の魂ごと、この人のものだ)』
静かで、腹の底に響くような、重厚な心の声。
クラウスはリゼットの手を自らの唇に寄せ、その甲に、敬愛と絶対の忠誠を誓うような深く長い口づけを落とした。
「……約束しよう。俺の命に代えても、お前を必ず守り抜く。だが、もし俺が背後を取られるようなことがあれば、その時はお前の魔法で俺を助けてくれ」
「はいっ。もちろんです、旦那様!」
最強の武力と、最高の技術。
互いの弱さを補い合い、背中を預け合う真のパートナーとしての誓いが、静かに馬車の中で結ばれた。
***
やがて、馬車は目的地の前で停車した。
「閣下。到着いたしました。ここが『水晶鳴きの洞窟』の入り口です」
馬車を降りたリゼットは、目の前に広がる異様な光景に息を呑んだ。
切り立った雪山の斜面に、ポッカリと空いた巨大な大穴。
その奥からは、青や紫の不気味な光が漏れ出し、同時に「キィィィィン……」という、ガラスを擦り合わせるような高く澄んだ耳鳴りのような音が、絶え間なく響いてきている。
これが、高純度の魔力鉱石が放つ共鳴音――『水晶鳴き』だ。
「……すごい魔力濃度。チョーカーを着けていなければ、立っているだけで魔力酔いで倒れてしまいそうね」
リゼットが呟くと、クラウスが大剣を抜き放ち、騎士たちの先頭に立った。
「油断するな。この魔力濃度だ、中に巣食う魔獣も通常の生態系とは次元が違う。陣形を崩さず、リゼットを中心にして進むぞ」
「「「はっ!!」」」
仄青い光に照らされた洞窟の内部へ、一行は静かに足を踏み入れた。
冷たい風が洞窟の奥から吹き抜ける。
この美しくも恐ろしい地下迷宮の最深部に、領地を救う『星脈水晶』が眠っている。
だが、彼らはまだ知らなかった。
このダンジョンが、あらゆる魔法と物理攻撃を反射する、最悪の『水晶魔獣』たちの巣窟であることを。
そして、リゼットの付与魔法の前に、初めて「致命的な制約」が立ちはだかることを。
不気味な水晶の歌声に導かれるように、一行は暗闇の奥へと進んでいった。
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