EP 13
魔物の大侵攻と、夫婦の初陣
お互いの心を確かめ合い、甘く熱い抱擁を交わしたクラウスとリゼット。
長かったすれ違いが終わり、ようやく本物の夫婦になれた幸福感に浸っていたその時――。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
辺境伯邸、ひいては領地全体に、けたたましい警鐘の音が鳴り響いた。
それは、最上級の非常事態を告げる合図だ。
「な、何事だ!?」
クラウスがハッとリゼットから身を離し、窓の外を睨みつける。
バンッ! と応接間の扉が開き、血相を変えた副団長が飛び込んできた。
「閣下! 魔物の大群です! 南の国境地帯から、数万を優に超える魔物が、我が辺境領地へ向けて雪崩れ込んできています!」
「南だと? 北の雪山からではなく、王都の方角からか!?」
「はい! 斥候の報告によれば……どうやら、王都の防衛結界が完全に消失した模様! 結界の光を失った王都から溢れ出した魔物たちが、新たな魔力の源――我が辺境の『新結界』の光に引き寄せられ、一斉に進路を変えて押し寄せているようです!」
その報告を聞き、リゼットは息を呑んだ。
(王都の結界が、消失……!?)
王城の空調魔導具だけでなく、都市全体を守る結界魔導具までもが、メンテナンス切れで完全にショートしてしまったのだ。
有能なリゼットを追放し、無能な義妹と魔導士たちに管理を丸投げした結果がこれだ。まさに、王都の自業自得による大崩壊である。
「チッ……あの愚か者どもめ。自分の首を絞めるだけならともかく、俺の領地にまで尻拭いをさせようとはな」
クラウスは舌打ちをすると、瞬時に『氷の辺境伯』の冷徹な顔へと切り替わった。
「全軍に出撃準備を命じろ。結界の内部に一匹たりとも魔物を入れるな。国境線で完膚なきまでに叩き潰す!」
「はっ!」
副団長が駆け出していく。
クラウスはリゼットを振り返り、その両肩を力強く掴んだ。
「リゼット。お前は邸の奥の、最も安全なシェルターに避難して――」
「私も行きます!」
リゼットは、クラウスの言葉を遮って真っ直ぐに彼の黄金の瞳を見つめ返した。
「なっ……馬鹿を言うな! 戦場は遊びではない! 万が一お前に何かあれば……!」
「私は辺境伯の妻であり、この領地の専属魔導具師です!」
リゼットは一歩も引かなかった。
「私が張り直した結界の様子も見たいですし、何より……」
彼女は、クラウスの胸元を指差した。
そこには、王都の使者が来る直前、彼に渡すつもりでエプロンのポケットに入れていたあの『ループタイ』――紫電の角と永久氷晶で作った専用魔導具があった。
「旦那様のために作ったその防護魔導具が、ちゃんと旦那様をお守りできるか、私の目で見届けさせてください。……それに、私が行けば、絶対に皆様の力になれます」
凛とした彼女の宣言に、クラウスは息を呑んだ。
『(あああああああああ!!!! なんて気高くて、強くて、美しい人なんだ!! 俺の妻は最高だ!! 俺のために戦場にまで来てくれるというのか!? だが危険だ! 危ない! しかしこの真っ直ぐな瞳を拒絶することなど俺にはできない!!)』
翻訳魔導具からは、相変わらずの限界突破した心の声がダダ漏れになっている。
激しい葛藤の末、クラウスは深く息を吐き出し、負けましたとばかりに小さく笑みをこぼした。
「……わかった。だが、絶対に俺の傍から離れるな。お前のことは、俺の命に代えても守り抜く」
「はいっ!」
二人は頷き合うと、共に決戦の地となる国境の防衛線へと向かった。
***
辺境領地の南部に広がる平原。
そこは今、地獄絵図と化していた。
「押し返せ!! 一歩も引くな!!」
怒号が飛び交う中、帝国最強を誇る竜騎士団が、黒い津波のように押し寄せる魔物の大群と激突していた。
オーク、大毒蜘蛛、岩トカゲ、さらには空を覆い尽くすほどの凶鳥の群れ。王都周辺の森に生息していたあらゆる魔物が、狂乱状態となって辺境の結界へと群がっているのだ。
「ギャオォォォォッ!!」
魔物の咆哮を切り裂くように、一際巨大な闘気の刃が閃いた。
「――遅い。失せろ」
最前線で大剣を振るうのは、漆黒の甲冑を纏ったクラウスだ。
彼の剣が閃くたび、十匹、二十匹という魔物がまとめて吹き飛び、消し炭に変わっていく。
さらに、魔物が背後からクラウスに不意打ちを仕掛けようとした瞬間、彼の胸元の『紫電のループタイ』から強烈な雷撃が自動的に放たれ、魔物を黒焦げにして弾き飛ばした。
「すごい……! 完璧に稼働してる!」
後方の安全な高台――結界の内側から身を乗り出して戦況を見守っていたリゼットは、自作の魔導具の働きにガッツポーズを決めた。
しかし、戦況は決して楽観視できるものではなかった。
クラウス一人は無双しているものの、敵の数が異常すぎるのだ。数万という魔物の波状攻撃を受け、他の竜騎士たちは徐々に疲労の色を濃くしていた。
「くそっ、キリがねぇぞ!」
「剣の刃がこぼれてきた! リゼット様に直していただいたばかりだっていうのに、いくらなんでも数が多すぎる!」
強力な付与を施した武具であっても、休む間もなく何千回と硬い魔物の甲殻を叩き斬り続ければ、いずれ限界が来る。
陣形の端から少しずつ押し込まれ、騎士たちの間に焦りが広がり始めていた。
(このままじゃ、押し切られちゃう……!)
リゼットは高台の縁に立ち、眼下の戦場を見下ろした。
血を流し、息を切らしながらも、この美しくて温かい領地を守るために必死に戦う騎士たち。
そして、先頭に立って剣を振るう、愛する旦那様。
(私も、戦う。私のやり方で!)
リゼットはボストンバッグから、急遽アトリエから持ち出してきた「巨大な魔力増幅器(メガホン型の魔導具)」を取り出した。
「騎士の皆様! 武器を、防具を、私に向けて掲げてください!!」
リゼットが魔力増幅器を通じて叫ぶと、その澄んだ声は激しい戦場の騒音を切り裂き、全騎士の耳に届いた。
「奥様の声だ!」
「指示に従え! 武器を掲げろ!!」
クラウスの部下たちは、彼女への絶対的な信頼から、魔物の攻撃を躱しながら一斉に剣や槍を天へと掲げた。
その瞬間、リゼットは胸の前で両手を組み、自身の全魔力を解放した。
「私のアトリエから生まれた愛しき武具たちよ! 今こそその真価を解放しなさい!!」
リゼットの足元から、莫大な翠緑の魔力光が竜巻のように立ち昇る。
それは、ただの魔力供給ではない。世界を書き換える神業――広域への『概念付与』だ。
「――『絶対非破壊』!!」
「――『威力百倍』!!」
「――『超速疲労回復』!!」
バァァァァンッッ!!
リゼットの宣言と共に、高台から放たれた無数の光の粒子が、戦場にいるすべての竜騎士たちの武器と鎧へ、まるで流星雨のように降り注いだ。
光を吸い込んだ武具たちは、一斉に太陽のような眩い輝きを放ち始めた。
「な、なんだこれ!? 体が……羽みたいに軽いぞ!?」
「さっきまで刃こぼれしてた剣が、元通りに……いや、光り輝いてる!」
一人の騎士が、試しに目の前に迫ってきた巨大オークに向けて、軽く剣を振り下ろした。
――ドゴォォォォンッ!!
剣から放たれた斬撃が、巨大な光の刃となって地を走り、オークどころかその後方にいた数十匹の魔物を一直線に消し飛ばし、大地に深いクレバスを刻み込んだ。
「は……? ええええええっ!?」
剣を振った本人が一番驚愕し、目をひん剥いている。
「す、すげえええっ!! なんだこの力は!!」
「疲れも完全に吹き飛んだ! 力が無限に湧いてくるぞ!!」
「これが奥様の魔法か!! うおおおおおっ! 俺たちは無敵だ!!」
リゼットの広域付与によって、ただでさえ精強な竜騎士団の数百名が、一人残らず「一騎当千の超人」へと物理的にクラスチェンジを果たしてしまったのだ。
「反撃開始だ!! リゼット様に、我らの勝利を捧げよ!!」
副団長の号令と共に、光輝く武装を纏った騎士たちが、圧倒的なスピードと破壊力で魔物の大群を蹂躙し始めた。
剣を振れば大地が割れ、盾で殴れば魔物が空の彼方へ吹き飛ぶ。もはや戦闘というよりも、一方的な大掃除であった。
そんな中、最前線にいたクラウスは、後方の高台で息を弾ませているリゼットを見上げ、その黄金の瞳を熱く揺らしていた。
『(あああああああああああああああああああああああ!!!!!!)』
リゼットの耳の翻訳魔導具から、今日一番の、宇宙の果てまで届きそうな特大の歓喜の絶叫が響き渡った。
『(俺の妻が!! 凄すぎる!! 全軍に特級魔法の概念付与を同時に展開するだと!? 伝説の大魔導師でも不可能だぞ!? なんて美しくて、凛々しくて、頼もしいお姿だ!! 愛している!! 愛している!! 今すぐ駆け寄って抱きしめたいが、まずはこのゴミ共を片付けるのが先だ!!)』
「ふふっ……」
大音量の愛の告白に、リゼットは顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに微笑んだ。
戦況は完全に逆転した。
無敵のバフを得た辺境軍の前に、数万の魔物たちはもはや恐れるに足らない。
だが、その圧倒的な勝利の空気を切り裂くように――。
ズズンッ……!
突如、戦場の奥深くから、大地を揺るがす巨大な足音が響き渡った。
王都の方角から立ち上る土煙を割って姿を現したのは、小山ほどもある漆黒の巨体。全身を分厚い岩の装甲で覆い、六つの赤い目を持つ、超巨大なボス魔獣――『災厄の岩石竜』だった。
「ギャルルォォォォォォッッ!!」
その咆哮だけで、周囲の空気がビリビリと震え、並の騎士なら鼓膜が破れそうになる。
王都の結界を破り、魔物の群れを率いてきた真の元凶が、ついにその姿を現したのだ。
「……大物が残っていたか」
クラウスが愛剣を構え直し、静かに闘気を練り上げる。
夫婦の初陣のクライマックスは、いよいよ最大の山場を迎えようとしていた。
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