EP 10
王都からの使者と、私の決断
「よし、これで完成……!」
専用アトリエの作業台の上で、リゼットは小さく歓声を上げた。
『紫電の角』と『永久氷晶』を惜しみなく使って組み上げた、クラウス専用の防護魔導具。漆黒の金属に紫と氷色の輝きが封じ込められたループタイは、息を呑むほど美しい仕上がりになっていた。
どんな魔物の不意打ちも自動で弾き返し、同時に癒やしの冷気を送り込む最高傑作だ。
これを着けてもらえれば、もう彼が血塗れになって帰ってくることもなくなるだろう。
「ふふっ。旦那様、喜んでくれるかな」
リゼットがループタイを丁寧に木箱へ収めようとした、その時だった。
「お、奥様……! 大変でございます!」
アトリエの扉が開き、血相を変えたメイドが駆け込んできた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「お、王都から……王太子殿下と、オズワルド男爵様、それにミリアナ様が、大勢の近衛騎士を引き連れてお見えになりました! 今、応接間の方へ強引に……!」
その報告を聞いた瞬間、リゼットの手がピタリと止まった。
(お父様たちと、アルバート殿下が……辺境まで、わざわざ?)
普通に考えればあり得ないことだ。王都から辺境までは馬車で数日はかかるし、何より彼らはこの極寒の地を「生きた墓場」と忌み嫌っていたはずだ。
だが、理由は容易に推測できた。
(……王城の空調魔導具が、完全に停止したのね)
リゼットは小さく息を吐き出した。
かつての自分なら、彼らが来たと聞いただけで恐怖で震え上がり、屋根裏部屋の隅で縮こまっていただろう。
けれど不思議なことに、今のリゼットの心は凪いだ湖面のように静まり返っていた。
「……わかったわ。今、行きます」
エプロンを外し、身だしなみを整えると、リゼットはメイドに微笑みかけ、毅然とした足取りで応接間へと向かった。
***
辺境伯邸の広大な応接間は、異様な空気に包まれていた。
長旅の疲労と、何より王城の異常気象(サウナ状態)で苛立っていたのだろう。ソファにふんぞり返るアルバート王太子も、オズワルド男爵も、そしてミリアナも、一様に汗ばみ、余裕のない顔をしていた。
そこへ、静かに扉が開かれ、リゼットが姿を現す。
彼女を見た瞬間、三人は言葉を失った。
王都にいた頃の、煤にまみれ、栄養失調で痩せこけていた「薄汚い令嬢」の面影はどこにもない。
辺境での温かい食事と規則正しい生活、そして何より「自分の才能を肯定される」という幸福感が、リゼット本来の美しさを極限まで引き出していた。
艶やかな髪、血色の良い肌、そして背筋をピンと伸ばした気高い佇まいは、まるでどこかの国の王女のようだった。
「……リゼット? お前、なのか……?」
アルバートが呆然と呟くが、すぐに我に返り、持ち前の傲慢な態度を取り繕った。
「ふん、少しは見られる格好になったようだが……やはり辺境の田舎暮らしは辛かろう。安心しろ、今日はお前を迎えに来てやったのだ」
「……お迎え、ですか?」
リゼットが小首を傾げると、横から父親である男爵が偉そうに口を挟んだ。
「そうだ。本来なら無能なお前を辺境伯に押し付けたままにしておくつもりだったが、我々も鬼ではない。どうせ冷酷な辺境伯から虐げられ、泣いて暮らしているのだろう? お前がどうしても帰りたいと土下座して謝るなら、実家の屋根裏部屋に戻してやってもいいぞ」
その言葉に、ミリアナも扇で口元を隠しながらクスクスと笑った。
「そうよ、お姉様。お姉様がいないと、王宮の古い魔導具の『お掃除』をする人がいなくて困っていたの。私がいくら聖女の祈りを捧げても、お姉様が嫌がらせでかけた呪いのせいで、空調が動かないんですもの。早く呪いを解いて、また私のためにお掃除係として働かせてあげるわ」
恩着せがましく、上から目線で並べ立てられる言葉の数々。
リゼットは、彼らの顔を順番に、静かに見つめた。
(ああ……なんて、滑稽なんだろう)
彼らは何も分かっていない。
王宮の空調が止まったのは呪いなどではなく、定期的な『概念付与』の更新が必要だっただけだということも。
そして、自分がこの辺境で、彼らが想像も絶するほどの厚遇と、途方もない愛情を受けて暮らしているということも。
「……お断りいたします」
リゼットの口から紡がれた冷ややかな一言に、応接間の空気が凍りついた。
「なっ……なんだと?」
「何度言われても同じです。私は帰りません。この辺境こそが、私の大切な居場所ですから」
はっきりと、迷いのない瞳で言い切るリゼット。
その凛とした態度に、アルバートの顔が屈辱で真っ赤に染まった。
「き、貴様! 王太子である私からの温情を無にする気か! お前がかけた呪いのせいで、王城がどれほどパニックに陥っているか分かっているのか! 今すぐ私と共に王都へ戻り、魔導具を直せ!」
「呪いではありません。ただのメンテナンス不足です。……それに、私はもうオズワルド家の人間でも、王宮の無給の裏方でもありません」
リゼットは毅然と胸を張り、言葉を突きつけた。
「どうしても私に魔導具の修理を依頼したいというのであれば、辺境伯領の専属魔導具師として、正式な手順を踏んでご依頼ください。もちろん、相応の報酬と技術提供料はいただきます」
「ふ、ふざけるなっ!」
男爵が顔に青筋を立てて立ち上がった。
「親に向かってなんという口の利き方だ! それに、あの莫大な請求書はなんだ! 我々が育ててやった恩を仇で返す気か!」
「育ててやった? 私は物心ついた時から、屋根裏でパンの耳をかじりながら、あなたたちの贅沢のために魔力と命を削って魔導具を作らされてきました。それが恩だと言うのなら、もう十分に返したはずです」
一歩も引かないリゼットの気迫に、男爵は言葉に詰まり、ミリアナは「ひっ」と怯えてアルバートの背後に隠れた。
「それに、お父様が踏み倒そうとしている未払い賃金と特許料の金貨五千枚。あれが支払われない限り、私から王都の皆様にお話しすることは何もありませんわ」
「き、貴様ぁぁぁっ!!」
完全に論破され、見下していたはずの女から痛烈な拒絶を突きつけられたアルバートは、怒りで理性を吹き飛ばした。
彼のプライドは、こんな田舎の屋敷で、かつて自分が捨てた女にコケにされることなど絶対に許せなかったのだ。
「ええいっ! 言葉で言って分からないなら、力ずくで連行しろ! その女を捕縛しろ!」
アルバートが叫ぶと、背後に控えていた十数名の王都の近衛騎士たちが、一斉に剣の柄に手をかけ、リゼットに向かってジリジリと距離を詰めてきた。
「抵抗するなら多少痛めつけても構わん! 引きずってでも馬車に乗せろ!」
狂ったように命じるアルバート。
刃の冷たい輝きがリゼットに向けられる。
普通の令嬢なら、悲鳴を上げて逃げ惑う場面だろう。
しかし、リゼットは逃げなかった。
自分の背後には、大切なアトリエがある。領民たちがいる。そして何より、自分を愛し、肯定してくれたあの人が守ってきた領地を、こんな愚か者たちの暴力で穢させるわけにはいかない。
(大丈夫。私には、自分で付与した防護結界がある。それに……)
リゼットが、懐に忍ばせていた防御用の魔導具に魔力を込めようとした、その瞬間だった。
――ピキィッ……!
応接間の空気が、物理的に凍りつくような音がした。
窓ガラスに霜が張り、近衛騎士たちの吐く息が、一瞬にして真っ白に染まる。
「な、なんだ……!? 急に、寒く……」
アルバートが震えながら周囲を見回した時。
応接間の重厚な扉が、蹴り破られるような勢いでバンッ! と開け放たれた。
「――俺の領地で、俺の妻に刃を向けて、生きて帰れると思っているのか」
地獄の底から這い上がってきたような、絶対零度の声。
そこに立っていたのは、漆黒の軍服を纏い、黄金の瞳に圧倒的な殺意を宿した「氷の辺境伯」――クラウス・フォン・レグナルドだった。
彼の全身から放たれる凄まじい闘気と冷気が、床を凍らせながら部屋中を満たしていく。
その威圧感の前に、王太子も、男爵も、近衛騎士たちも、文字通りカエルを睨む蛇の前に立たされたように、一歩も動けなくなっていた。
クラウスは、剣を抜くことすらしない。
ただ静かに、絶望的なまでの死の気配を漂わせながら、リゼットと王都の愚か者たちの間へと、ゆっくりと歩みを進めたのだった。
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