八話・アリア
私の人生哲学を説明するのには、ただ一文字で事足りる。
それはすなわち『酒』である。
酒は、旨い。それは、人の世における希望であり、喜びであり、救いである。楽しい日も辛い日も、病める時も健やかなる時も、安酒であろうが希少酒であろうが、等しく、絶対的に、旨いのだ。
殊に、この場においては特にそうだ。
冒険者ギルドは今日も大勢の冒険者たちで賑わっている。しかし時刻は昼間で、大抵のものは冒険の準備をしたり依頼を吟味することに精力を費やしている。いかに酒場が併設されていようとも、この時間にグビグビ酒をやっているのは私一人だ。
それが実に良い。皆が四苦八苦しているこの時間に、私だけが至福の時を望むままにしているのだ。そんな私を羨ましそうに見る者こそあれど、軽蔑の意を視線に含ませるものは一人としていない。
私が一線級の魔法使いアリアであると、皆が知っているからだ。咎めるものなどいはしない。
もちろん、毎日のようにこんな所業に身を浸していたら、話は変わるけれど……たまの休みなのだ。労働者と至福者との落差から生まれ溢れる、この愉悦。存分に楽しませてもらうとしよう。
「すみません。今、よろしいでしょうか」
「よろしくないッ!!」
私の至福の時に横槍を入れてきた、その事実の認識と同時に酒樽をテーブルに叩き付ける。
けれども、話しかけてきたその男は動じていなかった。そちらではなく、男の横にいる少女の方が小さな悲鳴を上げてしまう。
まだあどけなさの残る美少女だった。性格が悪いことは自覚しているけど、こんな子を怯えさせる趣味はさすがにない。
「ああ、ごめんねぇ? 何かご用事?」
取り繕うように語尾を伸ばして用件を問うた。どこの誰かは知らないけれど、話があるならさっさと済ませて酒に戻るという判断だ。
「単刀直入に言いますが、この子の魔法使いとしての師を探しています。対価はお支払いしますので、引き受けて頂けませんでしょうか?」
「ふぅん……?」
ああ、聞いたことがある。この一ヶ月、一流の魔法使いたちに声を掛け続けている二人組がいるって噂。
おじさんと金髪の女の子。なるほど見た目も話と一致している。声を掛けている人間が変わったりもせず同一人物、それはつまり、断られ続けているということだろう。
当たり前のことだ。
少女の白いローブは初心者の魔法使いに向けられた量産品で、なにやら焦げ跡のようなものも見える。
男の鎧も初心者の戦士が最初に装備しがちな革鎧、その割には修繕の繰り返された跡がよく分かるほどにボロボロで、おそらく何人にも使い回された中古品といったところだろう。
どう見ても駆け出しで、どう見ても金がない。彼らは明らかに、相手を間違えているのだ。
「…………まぁ、気持ちは分からなくもないわ。冒険のイロハを教えてもらうなら凄い人から。そんなところでしょう?」
でもね、と私は続ける。説教染みたことは言いたくないけど、さすがに不憫に思えてならなかった。
「人には人の仕事があるの。駆け出しの面倒見る暇なんてないって話よ。魔法や剣術を学びたいなら訓練所があるから、大人しくそこに行きなさい」
「それでは駄目なんです」
「……はぁ?」
なんだコイツムカつくな。駄目ってなんだ、親切心で人が真っ当なこと教えてやっているのに。
「あのねぇアンタ……」
「あ、あの!」
ブチ切れてやろうかと思った瞬間、少女が声を上げた。
「その、私、訓練所にはもう通いました」
「…………はぁ、どういうこと?」
「でも、訓練所の一棟を破壊してしまいまして」
「どういうこと!?」
破壊って何!? そんなことをする、というか出来る子には見えないのだけど!?
「彼女の魔力量は膨大なんです」
そう男が言った。
「その扱いを教えられるものはいなかったそうです。彼女自身も、自分の力を制御出来てはいません。ですので、貴方のような方に師事を頼みたいのです」
「………………」
頭の中を色んな言葉が巡って、胸中を色んな感情が巡り回って、面倒くさくなってきて、盛大に溜め息を吐いてやりながら、私は瞳に魔力を込める。
面倒なのは嫌いだ。必要なことだけがあれば良い。事実という必要なことだけが。
彼女の魔力量を確認する。彼らの言葉が虚偽であるならブチ殺す。真実であれば考えてやる。以上。
さて……。
「……!?」
なんだ、これは。
まるで、暴れ狂う龍のような……そんな魔力のうねりが、少女を取り巻いている。
私では、この子に、勝てない。そう確信した。彼女の力は比べるまでもなく、私の遥か高みにある。こんな魔力量は、今までの人生で、一度も見たことがなかった。
この子は一体、どんな魔法使いになるというのだろう。その力を人の世に使えば、どれほどの人を救うのだろう。逆に悪に堕ちることがあれば、どんな悲劇をもたらすというのか。ていうかそういう諸々どうでもよくて、この子の師匠ですってドヤれるのだいぶ気持ち良いな。
私の弟子になったこの子が、その大きな力を振るい偉業を成せば、このアリアの名にもっとおっきな箔が付くに違いない。
「……本当、ね」
ふぅーっと、私は長く息を吐いた。そうしなければ、驚き強張った身体をほぐすことも出来やしなかった。心身を落ち着かせ、言うべきことを言う。
「お金はいくら出せるの?」
「……え、それって……!」
「ええ……貴方たちの依頼を受けるわ」
「……シンイチさんっ!」
「ああ……」
男は安堵の息を洩らし、少女は花のような笑みを咲かせた。とてもあの魔力の持ち主とは思えなくて、なんだか頭がクラクラとする。
「魔力制御は私の一番得意な分野よ。それでもぬか喜びさせたくないから言っておくけど、完璧に制御出来るとは思わないでね? アンタはそれほどまでに凄まじい力を持ってるから」
「いえ、ありがたいです……!ありがとうございます!」
少女は、何度も何度も頭を下げる。可愛らしくて、丁寧で、素直な子だ。然るべき訓練をすればよく吸収してくれそうだ。
「それで、金額の方ですが……私には相場がよく分かりませんし、突然のお話ですので、そちらの方で決めて頂いて構いません」
「なるほど、ね」
私は特に、お金に困っているわけではない。一流の冒険者ともなれば貴族になることを目指す者もいるが、そういった野望もないし、自分の欲しいものは全て自分の力で手に入れてしまえるからだ。
なので、自分軸で金額を決めるのではない。彼ら軸で金額を決めるのだ。
どういうことか? 彼女はまだ幼いとすらいえる。別に、少女の人間性に疑念を持っているわけではない。しかし自分に見合わない力を得た人間は多くの場合、正気を保つことが出来ないのだ。
傲慢になり、欲深くなり、怠惰になり、享楽に耽り、そして何よりも、孤独になる。人によってどうなるか違いはあれど、そういう人間を私は何度か見てきた。
私の旧友にだって、そういう奴はいたものだ。力だけを持って、それ以外には何もない、あのクソ女め……。
おっと、そんな私念は今どうでもいい。
まあ……大体これくらいが妥当であろう、と思った額を提示する。
「大金貨20枚。こちらの額を用意してもらうわ」
彼らの今の力量から考えるならば、頑張ればおおよそ10年で稼げる額である。その頃には少女は立派な女性。大人になり、人の世を理解し、大なり小なり変な力の使い方を考えにくいようになる、という想定である。
当然、やり方次第ではより早い達成を見込めるだろう。しかし、より多くを得るにはより多くの危険を伴う。それは試練と言い換えても良いかもしれない。もしその道を選んだならば、試練を乗り越えることで得た対価が金銭だけでなく、精神面にも得るものがあれば良い。
さてはて、十年後か、はたまた五年後か、と考えると盤上遊戯じみていて面白い。それに自分が弟子を取ることなど思いもよらなかった。やはり人生はこうでなくてはならない、と私は思う。
友人、家族、恋愛、仕事、冒険、研鑽、趣味。様々なものがあってこその人生だ。例えるならば生きることとは、単品料理ではなくフルコースだと言って良い。
酒も確かに、良い。けれどもここは前言撤回、酒だけの人生というのはごめんだ。酒に限った話ではない。それ一つで人の生を決定づけるような究極のものなど、結局ありはしないのだから。そんなことを考えるのは若者と現実逃避者だけなのだ。
なんにせよ、彼らのこともまた、良い酒のつまみになりそうである。




