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三話・フラウ

「……ご、はん、の、匂い……!」


 空腹を訴えた少女に肩を貸して火元へ戻ると、彼女がそのように呟いてばっと顔を上げる。


 十分に煮えきったであろうスープがそこにはあった。スープ、と言っても草やキノコを煮ただけのもので、少なくとも自分には匂いらしい匂いを感じ取れないものだが。嗅覚に優れているのだろうか。それとも、空腹のあまり食料への感覚が鋭くなっているのか。


 ともあれ、少しばかり元気を取り戻した様子の彼女を倒木に座らせて、スープを木製の器に取り分けて差しだした。


「……! ありがとうございます!!」


 彼女の動きは早かった。目にも止まらぬ速度で器を掴み、スープを啜る。


「ま、待て。まだ煮たばかりで……」


「熱っ!?」


 咄嗟の静止も間に合う余地はなく、彼女は反射的に口元から器を離した。


「……焦らなくて大丈夫だ。誰かに取られるわけじゃない」


「は、はい」


 そういって、ふーふーと息を吹き掛けながら、少しずつ、だが待ちきれぬと言わんばかりにスープをこくこくと飲んでいく。本当に飢えていたのだろう。器はすぐに空になった。ふぅ、と満足げな少女の声が漏れた。


「あ、あの! 本当に、ありがとうございました」


「ああ」


 と俺は言った。こういう年頃の少女に対してはぶっきらぼう過ぎるか? とも思い、言葉を探した。


「……どういたしまして」


 しかし当然、気の利いた言葉など出てくるわけもない為、礼に対する定型句を返した。おそらく彼女の倍は生きている大人としては情けない限りだ。


 それでも彼女は感謝し足りないという風に笑みをいっそう深くし、そうして名乗った。


「私はフラウと言います。……一応、冒険者です」


 後半、彼女の声に陰りが入る。それが気に掛かったが、考えてみれば当たり前のことかもしれない。


 冒険者と言えば聞こえが良いが、職業、すなわち業務には変わりがない。彼女は業務中に空腹で倒れたのだ。仕事を真っ当にこなせなかったというような、負い目があるのかもしれない。


「……一体どうしたんだ。遭難でもしていたのか?」


 食料が尽きたのなら、そうだろうと思う。街に近い森であれど、森は森だ。地図を紛失したり、土地勘がなければ迷い彷徨うのは不思議なことではないだろう。


 そのように言い彼女を励まそう、などと考えていた。自分の言葉で人を励ませるなどというのは思い上がりでしかないだろうが、言わないよりはマシだと考えることにした。


「あ、いえ……」


 が、彼女の返答はノーだった。そうして彼女は次の言葉を見出だせぬ様子で俯いた。


 俺も言うべき言葉を見出だせず、スープを取り分け、黙って啜る。


 それが空になった頃に、彼女はまだ退けられない負い目があるかのように眉の下がる、しかし何かしらの言葉を語らんとする意志を眼に宿す表情を上げた。


「……私、魔法使いなんですが」


「……ああ」


「その……なんと言ったらいいか……不器用、なんです」


「……不器用?」


 はい、と返事をして彼女は話を続ける。固い蓋を開けた容器から水が流れ出るように、話し始めた彼女の言葉は流暢になっていく。


「魔法使いは魔力を消耗して魔法を行使します。それが普通です。でも私はそうならないんです。というか、そうならない時がある、というか……必ず失敗するんです。あ、いや、失敗というのは魔法が不発になるとかそういうことではなくって、魔法を使うと、必ず余計なことになってしまうんです。今回は、お腹が空いたのがそうでした」


「……つまり、魔法を使うことで動けなくなるほどのカロリーを消耗したということか」


 彼女の話を聞いて、俺は端的に結論を言う。


「カロリー、とは……?」


 が、カロリーはどうやらこの世界の言語にはないらしい。


「食べ物から得たであろう活力を失った、だから空腹で動けなかったということだな」


 などと言い直して彼女もそれに頷いた。今朝は牛丼の大盛を食べたのですが、と彼女は言った。牛丼の大盛はあるのか、と俺は思った。


「……昔から、そうなんです。魔法を使う力だけがあって、肝心の魔法そのものは失敗ばっかりで……冒険者になればって、そう、思ったんですけど……」


 私って、駄目ですよね、とは彼女は言わなかった。


 だが、そのような結論に行き着く人間を、俺は知っている。それは、よろしくないだろう。それは、幸せとは言えないはずだろう。


「それは」


 と俺は言葉を続けようとして、そうして踏み留まった。自分が言おうとした言葉に対して、ある種の愚かしさを感じたからだ。そんなものがあればとっくにそうしているはずだ、としか言えないものなのだから。


 だが。


 少なくとも……言わない限り、可能性はゼロでしかない、と。


 そういう無責任ですらあるだろう思考が俺の口を走らせる。


「なにか、改善出来たりはしないのか。失敗の確率を減らすとかだ」


「ええ、と」


 色々試してはみたんですけど、というのが彼女の答えだった。


「そうか……」


 やはり馬鹿なことを問うたと思った。そりゃあ、そうだろう。明確なまでの欠点を突き付けられているのだから「何もしてません」などというのはそうそうないことだ。


 今度こそ、俺の言葉は完全に尽き果てた。


 だって、一体何を言えば良い?


 めげるな、君はまだ頑張れる、などと言えば良いというのか。それを俺は既にやった。その結果として、何事も成せぬ自暴自棄のおっさんに成り果てたのだ。


 自分も同じだ、どうしようもない無能なんだ、などと言えば良いのか。それは何の意味もないことだ。傷の舐め合いのような真似をしたところで何の問題解決にもなりはしない。


 やはり慈悲も何もあったものではない。例え異世界であろうと、きっと人の悩みというものは変わらないのだろう。俺が自分の不出来に苦しんできたように、彼女も自分の不出来に苦しんでいる。そのどうしようもなさを俺は知っている。


 それが故に、俺が彼女を助けるなどということは……。


 いいや、これはそれ以前の話だ。


 そもそも、俺と彼女は違う人間だ。


 魔法についても、俺は詳しいことは分からない。それに彼女はまだ若い。彼女が俺と同じような未来に陥るというのはただの妄想でしかない。


 ならば、なおのこと、俺の助言など空虚なものだ。


 人が飢えに瀕していた。だから食べ物を分けた。ただそれだけに限るという話。


 俺は自分のやるべきことをやった。それ以上の助けを与えようなどと、まるっきりおこがましいことなのだ。


「あ……すみません、ご飯を分けて頂いたのにこんな話を。ご迷惑でしたよね」


 黙り込んだ俺を見かねてか、彼女はそのようなことを言った。


「いいや、なにも問題ない。君はただ俺の聞いたことに答えただけだ」


「……はい。あの、本当に、ありがとうございました」


 少女は深々と頭を下げた。


「このお礼は、いつか必ずいたします」


 礼なんて──と、そう俺が言いかけた時。


 視界の奥、少女の背後を、俊敏な影が走った。


 それはあたかも人間の子供に見えた。だがその身体は近しい色彩を持つはずの木々に溶け込まぬ、薄汚く濁った緑色を様している。


 ブツブツとした突起を備えた右腕に、雑に削り出したような原始的なこんぼうを備えていた。


 その顔は、人のものとは似ても似つかない。獣のようにギラギラと光る眼。不恰好に湾曲した鉤鼻。尖った牙の隙間という隙間から、滴る唾液を溢したままにする嫌悪感を催す笑み。


「──!──ゴブリンッ!!」


「え……!?……!」


 少女も振り向き、その怪物を視認する。


 逃げに徹すると決めていた、最も警戒していた存在との遭遇。だが、奴との距離は幾分もなかった。このままでは、彼女が。


 戦う自信などない、剣術の類いなどロクに知らない。それでもなお、それら全ての不安と思考とを振り切るように俺はナイフを抜いた。






 


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