表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

二話・異世界

 眼を開くと、前を馬車が通り過ぎた。


 そんなものを見たのなんてゲームか漫画か歴史の教科書くらいだろう。だが、馬に木製の客車を載せたそれは馬車としか言いようがない。


 ああ、夢を見ているのだなと思った。そもそも俺は駅のホームに落ち、おそらくは電車に轢かれたのだ。これは走馬灯のようなものだろうか。


 そう思いながら、周囲を見やる。さきほどまで夜であった空は青空に満ち、石やレンガで形作られた街の通りを、大勢の人々が賑やかに行き交っている。まるでRPGの世界みたいで、いかにもそれらしい、鎧やローブを纏う冒険者然とした人も多くいる。


 しばらくその光景を見詰めていた。夢にしては、ずいぶんと質感のようなものがあった。というよりも、自分には質感というものがひどく久し振りに感じられた。


 不思議な気分だった。日常的な意識の薄れも、倦怠感も、頭痛も、身体の震えもない。現実から夢に移ったというよりも、消えつつあった現実を取り戻したような感覚に思える。


「若返ったり、はしてなさそうだが……」


 三十路を過ぎた己の掌を見詰めながら、そう呟く。


 そう、現状には既視感があった。


 無論、自分でそれを経験したことなどない。だが創作を通じて何度か見たことのあるシチュエーション。


「異世界、転生……」


 呟いた言葉に思わず自分で笑ったら、通りすがりの人たちがちらりとこちらを見たのが分かった。いや、周囲から浮いているスーツ姿のままだから、そんなことは関係なく人の目に付くだろうか。というより、この場合は異世界転移とかいうのだったか。


 真底馬鹿馬鹿しいことを考えている自分に失笑しながらも、次に思考を進めている自分もいる。


 あらゆる体調不良から解放されたからか、不思議な体験をしている高揚感からか、幾分か明るい気分になっていることにも気付いた。


 この際、これが夢であろうが転生であろうが関係ない。とにかくこの場所で生きてみようではないか、と。


 そうして、生きるならば仕事だ。





 今すぐ出来る仕事はないかと人に聞くと、冒険者になることを勧められた。


 当然のように、この街の外には魔物というやつがいて、そいつらを倒したり、危険を掻い潜って資源や食料を取りにいく仕事もあるようだ。


 そしてこれまた当然、俺に魔物との戦いの自信などない。異世界転生であるならば、チートスキルのようなものがあればとは思ったのだが。


「はい! これが冒険者カードです」


 冒険者ギルドで手続きをし、受付嬢から一枚のカードを貰う。上部に俺の名前と個人認識用の数列、下部に自分の能力を確認できるステータスという欄がある。何かスキルなどがあればそこに表示がされるらしいのだが──本来であれば何かしらの名称が並ぶのだろう箇所は、完全な空欄だった。


 特にがっかりすることはなかった。俺という人間に天性の何かなど、与えられる理由もない。


 転生時に女神のナビゲーションなんてものもなかったしな、などと考えていると、本と革袋、ナイフを受付嬢から渡された。


「これは冒険初心者セットです。特にその本は必要な知識が書かれたマニュアルですから、よく読んでおくようお願いしますね?」


 本はそれなりに厚さを感じられる分量だ。パラリとめくると魔物や土地の植生などの絵と図解、読みやすく、かつ詳細なことが感じられる文章が書き綴られている。


「良い仕事だ」


「え?」


 俺の発した言葉に受付嬢がきょとんとするが、その意味をすぐに察したのだろう、口元を緩めて頷く。


「そうですね。初心者の方は死傷率も高いのですけど、これが作られてからマシになったんですよ」


「ええ、素晴らしいことです」


 その言葉に俺は頷き返した。


 俺の前職には初心者に向けたマニュアルなどなかった。他者に対する思いやりある者がいてこそ、このようなものが生まれるのだ。


 それに優れたマニュアルは仕事を熟知していなければ作れまい。この本にはそういった者の手触りを感じられる。後進に向けて授けられた、先人の偉大な知恵だ。無力な俺は特に大事にしなければならないだろう。


「それで、初心者向きで今すぐ受けられる仕事はありますか?」


「はい! いくつかありますので、ご自身に合いそうなものを選んでください」


 受付嬢から渡された数枚の依頼書と、マニュアルに書かれた情報とをしばらく見比べながら、一枚を選んだ。


「それでは、この依頼をお願いします」 





 天を覆う木々の隙間から、無数の木漏れ日が草や土へと降り注いでいる。

 街の近辺に生い茂る森。俺はその中を進みながら周囲を注意深く見渡していた。


「……あった」


 呟いてもぎ取ったものはキノコだ。ずんぐりと広がった茶色いカサは大きめのしいたけといった風情で、需要があると頷けるほどに食欲を刺激してくる。


 リテードマッシュというらしい、このキノコの採集が俺の今日の仕事だ。


 この依頼を受けた理由は三つ。第一に、達成する上で魔物と戦う必要がないこと。第二に、場所が街からそれほど離れていないこと。そして第三に、比較的危険の少ない場所で採集が出来ることだ。


 魔物が出ない、というわけではない。俺が今探索している場所では、主にスライムとゴブリンが棲息しているらしい。現に今も、木々の間からスライムが見えていた。胸の高さほどはある、ゼリーの塊のような生物がゆっくりと蠢いている。あの身体に覆われれば窒息の危険を招くのは想像に固くない。


 だがスライムはそれほど気性の荒い生き物ではないらしい。こちらから不用意に近づかなければ無害と見て良いというのがマニュアルのお達しだ。


 対してゴブリンは好戦的ではあるらしいが、小亜人と銘打たれた小柄な体躯相応に能力も人の子供並みらしい。単体であれば、一般的な村人でも倒せるほどだそうだ。


 とはいっても、危険を犯してまで倒す必要などない。逃げ切れるのなら逃げるのが一番だろう。


 唯一懸念しなければならないのは、ゴブリンが時として群れを成す生き物であることだ。ただ数を寄せ集めるだけでなく、連携的な動きを得意とするらしい。もし群れに出くわしたとして、立ち向かう力も自信も俺にはない。それこそ荷物を放り出してでも逃げるべきだと決めていた。


 とはいえ、森の入口付近から離れないようにしているお陰もあるのか、今のところ出会った魔物はスライムばかりだ。キノコも必要以上の数が採れた。


この世界に神とかいうものがいるならば、慈悲深き者かそれともただの気まぐれか。なんにせよ、幸先が良いと言っていいだろう。


「…………腹が減ったな」


 この世界に来てから、食事は一度も摂っていない。この世界の通貨──銅貨とか銀貨とかいうもの──を俺は持ってはいなかった。


 異世界と言えど人間社会、どこの誰とも知れぬものにタダ飯をやる道理などないのは当然のことだ。



 正確な時間は分からないが、正午はとっくに過ぎているだろう。街から歩き、森の中で歩き、休息らしい休息はとっていなかった。


 ナイフやマニュアルと共に初心者セットと題された革袋の中には水筒や火打ち石や小さな鍋などが入っている。キノコを探すついでに集めていた、食べられる山菜もそれなりの量があった。


「よし……やってみるか」


 俺は手頃な小枝や乾燥した落ち葉を拾い集め、周囲にスライムがいない場所へ移動した。


 良さげな倒木があったので座り、集めた草木を地面に広げ、火打ち石を何度も打ち付ける。そのうちに火種が生まれた。パチ、パチ、と小気味良い音を鳴らしながら燃え上がり、段々と勢いが安定したのを見て、水を入れた鍋を、ツタの葉を紐代わりに用い鳥居状に組み立てた枝に吊るす。


 我ながら不器用な手付きでスムーズにとはいかなかったが、一応調理の形にはなっただろう。やがて鍋の水が沸騰し、俺は山菜と余分に取ったリテードマッシュを投入した。


 後は煮えるまで待つだけだ。俺は座り込みながらこの世界のことであるとか、元の世界のこと、どのようにしてこの世界と元の世界は繋がりを持つというのか。それともやはり、これは長い夢でしかないのだろうか、とおよそ答えらしい答えは得られないであろうぼんやりとした思考に身を任せていた。そうして幾分かの時が過ぎた頃──。


 ──ガサリ、とした物音が耳に入った。


 休息モードに入っていた脳にアラートじみた警戒心が鳴り響き、俺はすぐさま立ち上がる。魔物か? スライムか? まさか、ゴブリンか? 憶測と不安とが走るままにしながらも、俺はナイフを構えながら物音のした方へ近付いていく。一歩、一歩、慎重に草木を分け入りながら歩みを進める。


 そうして視界に捉えたのは、魔物ではなかった。白いローブを身にまとい金の髪を地面に晒す、倒れ伏している人間の姿だった。


 思考よりも、先に身体が動いていた。俺はすぐさま駆け寄り、


「大丈夫ですか!」


 と声を掛けたら、


「お腹が空きました……」


 などという、気の抜ける返事が返ってきたのだった。

 

 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ