一話・無能
俺はただ、自分の力で人生を生きたかった。
俺の名前は阿佐谷新一で、阿佐谷家と言えば代々地主を営んできた、俺の生まれ故郷でも有数の富豪一族だ。
そこで三男として生まれた俺の、家族からの評価はたった一言で事足りる。
それはすなわち『落ちこぼれ』である。
上の二人の兄貴、長男は家族の期待通りに地主として父親の跡を継ぎ、次男は人々の支持を受け若き市長へと就任した。四男は医師となり、妹たちも各々、高偏差値の高校やら大学やらに進学していった。
では、俺はどうか。どうもなにもありはしない。否、なにもないだけならば良かった。
何の才能もなかった、というだけならまだ幸運なことだ。いわゆる凡人であれば、一家の中では落ちこぼれに変わりはなくとも、ありふれた人生を送ることは出来ただろう。
俺の場合は、何につけても人から遅れていた。
例えば、幼少期からたくさんの習い事をさせられてきた。だがスポーツも、音楽も、その他様々な技能において、常にクラブや教室の最下位クラスに留まった。
コミュニケーション能力もなく、学校では一人で本を読んでいるような子供だった。勉強に必死になろうとも、せいぜい中の下が関の山。国語は比較的マシではあって、一番嫌いな教科は家庭や図工、美術や技術の時間。あまりにも不器用過ぎてロクな作品の作れた試しがなかった。
いじめらしいいじめに遭わなかったのが不幸中の幸いとも言えるが、それも地域の名家の生まれという理由で、ターゲットから外れていたところが大きいのだろう。そうでなければ真っ先にいじめっ子に狙われていたような、陰気な子供だった。
誰かと友情を築くことも、誰かに虐げられることすらない。学校にいる時、俺は透明人間でもあるかのような気分だった。それは家でも似たようなものだ。
「お前はもっと精進せにゃならん」
口癖のような父からの、その言葉を最後に聞いたのは九歳の頃だろう。それ以降、父との会話は無いに等しい。母とも最低限の事務的な会話しかした覚えがない。
兄妹たちともまともな会話はなく、ただ間接的な、聞こえるようにいっているようにも感じる、彼らの一方的な陰口だけが耳に入ってきた。……落ちこぼれ、という言葉はその陰口たちのひとつでもある。
行ける大学も限られ、俺は高卒で、父の指定した故郷の隅にある工場に就職することにした。そこは父の息がかかった工場であったのだと思う。おざなりな面接を経て不自然なほどすんなりと就職が決まった。
それは最初の地獄の始まりだった。
これまでの無能さの総集編とでも囁かれるがごとく、俺は毎日のように簡単な作業でミスを犯し、毎日のように罵倒された。そうして次第に仕事すら任されなくなっていった。
仕事をしようとしても拒否され、掃除や雑用に手を出せばなぜか怒鳴られ、どうすることも出来ず突っ立っていれば、やはり怒鳴られた。
そうした日々の中、精神病的な症状であったのか、常に名状しがたい不安や苦しみ、頭痛や身体の震えや不眠に苛まれていた。
おそらく家族のことを知っているのは社長だけか、一部の重役に限られていたのだろう。子供の頃にあった名家の保護は完全に剥がされていた。まるでこの工場が、一族のはみ出しものであるこの俺を、収容する刑務所のように感じられた。
しかし怒鳴られることよりも、心身の異常よりも、周りが己の力を発揮して仕事をこなしているのに、自分だけが何も出来ていない無力感が、なぜかもっとも自分の心に重くのし掛かっていたように思う。
だから、家族の愛というものは知らなかった。友情なんていうものも分からない。誰かに認められることも知らない。
違うのではないか、と俺は思った。
何も知らないのだから根拠を問われても分からない、それでも、もしかしたらもっと良いことが、生きていればあるのではないか、そんな漠然とした思いがふと俺の中に生まれていた。
元々そういう人間だったのか、これまでの人生がそうさせたのだろうか、他人を当てにすることは出来ない、という強迫的な考えも根付いてもいた。
だから俺は、自分の力で人生を生きたいと思った。
二十歳になった俺はまず、半ば無理矢理に工場を退職した。そして貯めていた金で、実家から遠く遠く離れた場所に部屋を借りた。
そのことを両親に伝えたのは、借りた部屋へと引っ越しをする当日のことだった。父が大きな声でなにか言っていた記憶があるが、具体的にどんなことを言っていたかは忘れてしまった。
ただ、言葉を覚えていなくとも、大方の父の意向は分かっていた。すなわち『一族の恥部であるお前が小便のように外へと漏れだすなど、到底許されることではない』などと言ったところだ。
平成も二十年半ばを越した世にあるまじき言い分であると同時に、確かに存在する貴族じみた矜持。名誉ある我が家には一欠片の傷もあってはならない。そんな傷そのものであるお前が大っぴらな外の世界へ出るべきではないのだと。
確かに、家族のあらゆる期待に応えることが出来なかった落ちこぼれの俺にも非はあるだろう。あるいは、名家の生まれでなければ学校でいじめの限りを尽くされて、とっくのとうに身投げして死んでいた可能性すらあっただろう。
知ったことか。
知ったことかよ。
少なくとも俺は、自分の人生の一切に納得出来ていない。だからなにがしかの恩──曲がりなりにもこれまでに生存や学校のための金を掛けられたことのような──があろうとも、それを理由に父の言葉を受け入れることなど出来はしない。
自由に生きたい。
自分の脚で歩いていきたい。
もっと……もっと幸せになりたい。
なにが出来るかも分からない。何を望んでいるかも具体的には分からない。自分の選択が正しいのかも分からない。無謀な試みかもしれない。
だがその漠然とした何か、自分を納得させる何かが、この家に縛られたまま手に入ることがないことだけは、確信していた。
そうして安いアパートの一室で一人暮らしを始めた俺は、食い扶持と自分の力を発揮できる場所を求めて就職活動に勤しんだ。
最初に受けた会社は、落選した。
二つ目の会社も、落選した。
それで多少なりとも面接慣れでもしたのか、三つ目の会社で内定を貰うことが出来た。
そうして俺は俺の出来る限りの仕事をした。成果はよろしくなかった。相も変わらずミスばかり犯し、よく怒鳴られもした。だが前職のように仕事を任せられなくなることは、幸いなかった。
今だけだ、と俺は自分に言い聞かせた。失敗をするならば、失敗をしなくなるまで仕事をやり続ければ良いと思った。やり方をしっかり覚え、慣れていき、仕事を身に付ければ良いだけだと思った。
結果から言えば、ミスは減らなかった。より重要な仕事を振られるようなこともなかった。新人と変わらないような仕事をずっとやり続けていった。
自分の後に入社してきた新人が、彼は要領が良いと陰で褒められていた。
「僕、上手くやれてますかね?」
まだ俺のことを、俺の仕事の出来をよく知らない新人がそう聞いてきたことがある。
「……ああ、大丈夫だ。手際、良い方だと思う。先輩も陰で君のことを褒めていた」
俺は彼にそう言ってやった。ほとんど無感情に。棒読みの俳優みたいに。新人の方は照れ臭そうにはにかんでいた。手際の良さと愛嬌、となにがなんやらな言葉が心の中にぽつりと生まれる。どちらも自分にはよく分からないものだった。どちらも自分にはないものだった。どちらも自分にはない力だった。
その会社に入ってから、三年が経過していた。
おそらくここではない。そう思ったのが退職の切っ掛けとなった。
そうして俺はまた別の会社に就職し、上手く行かず、退職し、それらを繰り返し、いくつもの会社を転々としていった。どこかでなにかの力が自分にはあるはずなのだと、そう信じて。
平成25年4月◆◆工場入社
平成27年1月◆◆工場退社
平成27年3月■■会社入社
平成30年8月■■会社退社
平成30年9月○○会社入社
平成31年1月○○会社退社
平成31年2月□□工場入社
令和2年1月□□工場退社
令和2年3月◇◇会社入社
令和2年12月◇◇会社退社
令和3年5月△△会社入社
令和3年10月△△会社退社
令和3年12月●●会社入社
令和3年2月●●会社退社
令和3年5月▲▲会社入社
令和3年8月▲▲会社退社
深夜、自宅であるアパートで、書き上げた履歴書を前に、俺は一人笑った。
その笑い声が自分の声であると認識するのが遅れるほどに、乾いた奇妙な笑いであった記憶がある。
自分の力を活かせる仕事などなかった。結局のところ、自分にはなんの力も、平凡たる資格すらないのだということを示しているかのような凄惨たる有り様だった。
家から逃げて、諸々の仕事から逃げて、何かがあるはずだと信じて歩いていった先に辿り着いた先には、お馴染みとすら言える無力感が両手を広げて待っているだけだったということだ。
この辺りから、記憶と言えるほどの記憶がない。
人間の脳は嫌な記憶を忘れる機能があるという。だとすれば俺には忘れないような良い出来事など一切起こらなかった、ということなのだろう。
ひとつだけ分かるのは、自分の諦めが悪いということだけだ。いや、それも違うのかもしれない。なにか希望のようなものを感じたような記憶は、やはりない。ただ生き汚いとしか言えないのかもしれない。そして、生きるだけでも人は働かなければならない。
いくつかの会社に応募したと思う。そうしてそれらの会社に内定することはなかった。面接官はよく俺の職歴について聞いた。それは妙な履歴書を目の当たりにした面接官として当然の質問で、その質問に対するまともな答えの持ち合わせなど、俺にはあるはずがなかった。
そうして最後に受けた面接は、ひどくおざなりなものだった。
形だけという風に、質問らしい質問すらなく、気付けば俺は入社手続きの書類を記入していた。
そのおざなりさの答え合わせはすぐに出来た。
劣悪な労働環境、当たり前のような長時間のサービス残業、人を人とも思わぬ、社員に対する粗雑極まった扱い。その会社はあまりにも典型的なブラック企業そのものだった。
だが、俺は転職をしなかった。そもそも会社がどうであれ、自分が役立てる職場など存在しないし、むしろ奇妙に自分と場所とが合致するような感覚が、このような扱われ方こそが、自分には妥当なのではないかという想いすらあった。
もはや人生に対する期待や希望などどこにもなかった。あるのはどこまでも止まらない絶望と自虐と諦観だけだ。
だから俺は今もそこで働き続けている。
・
さて、無理矢理に「今日良かった」ことを絞り出すとすれば、終電に間に合ったことだ。
深夜に差し掛かろうとする中、俺は改札を通り階段を降りていく。駅のホームに辿り着いた時、スマホの着信音が鳴った。メッセージを見ると書類不備の指摘だった。
ああ、帰ったら家のパソコンで修正しよう、と思い、歩きながら返信を打っていく。
残業の疲れによる意識の薄れと、仕事のミスに対する気落ちと、睡眠不足による倦怠感と、当然の付き合いになった頭痛や身体の震えが重なってか何度も文字を打ち間違え、打ち直していく。
スマホに掛かりっきりになって、足元がふらりとぐらついた。文字もまともに打てないのかと、そんな余計な胸の締め付けを振り払おうと、
「いつも通りだ、いつも通りだ」
と念じるように呟く。
不意に、浮遊感を覚える。
なにが起きたのか、よく分からなかった。
少なくとも、いつも通りではない。
まず、頬に冷たい感覚を感じ。
捻挫のような痛みが足に走る。
ぼんやりとした意識は、自分の現状を把握するのに時間がかかった。
それでも俺が今倒れているらしい、ということを理解し始め──急速に、明確な危機感が起き上がった。
冷たさは線路の感触だ。
俺はホームから落ちている。
起き上がらねば、と思ったその時。
聞き慣れた轟音が、聴覚を強く打ち。
視界が、圧倒的な光に塗り潰され。
形容しがたい衝撃が、俺の全身を呑み込んだ。




