十七話・枷無き人生
「どうして!? なんで……なんで傷が治らないの……!」
腹を穿たれ、苦しげに呼吸しながら横たわるグレインの前で、アリアは悲鳴に近い声を上げていた。
「無駄だよアリア。奴の鎌に貫かれたからだろうね。それは死神の呪いだ。治癒魔法ではどうにもならない」
淡々と、ミルは告げる。その表情には、少し前の彼女ならそうしていたかもしれないもの──仲間の危機に焦燥を抱いたり、悲哀の情を浮かべるようなものは、何もない。
「呪い……だったら教会ね!? 教会なら呪いを解けるはずだわ! ミル…………お願い、転送で彼を連れてって!」
「それも九割方無駄かな。君は、あれほど強大な魔物の呪いを見たことがあるかい? 精力と時間をたっぷりと注ぎ込んで……、そうして呪いが解ける前には出血多量で死ぬだろう」
「そんなのッ! やってみないと分からないじゃない──」
《一筋の光》
アリアの言葉が終わる前に、ミルの放った魔法がグレインの首を裂いた。彼の最期を示すように血液が吹き出して、短く繰り返されていた呼吸は停止する。
「…………な…………」
「苦しませるだけ無駄なことだ」
アリアは言葉を失った。ミルの言葉、行動、仲間の死。それら全てによって彼女の脳は許容範囲を超過し、精神のホワイトアウトに至る。
そんなアリアに構わないかのように、ミルはグレインの傍らに膝を突く。目で見て、触って、思考して、彼の遺体を検める。
アリアは霧がかったような頭の片隅で、子供の時の別れ際、魔物の身体を調べていたミルを思い起こした。
「実に良い」
「…………え」
次に口にした言葉もまた、アリアの理解を超えていた。
「……これほど優秀な戦士の遺体は、中々手に入るものではない……研究のしがいがありそうだ……それに死神自体は消え去ってしまったが……もしかしたら死神の呪いの痕跡は残っているかもしれない……呪いと言えば確か……」
まるで思考を垂れ流すように、呟き続ける言葉がアリアの脳へと入り込み続ける。ミルのその姿に、その言葉に、アリアは真っ白になっていた頭が、少しずつ、少しずつ、対極の黒へと呑まれていくのを感じた。
アリアは立ち上がった。アリアはミルを見据えた。アリアは口を開いた。そこから生まれる言葉は、彼女が彼女の意志を決行するために必要な、最後の確認だった。
「ミル」
「……ん? なんだい?」
「アンタはさっき九割無駄って言った。じゃあ、残りの一割は?」
「いいや。彼は致命傷で」
「話を逸らさないで」
「……。一割は一割だよ。儚いに過ぎる希望だ」
「彼は仲間なのよ?」
「いや、今日限りで解散する予定だったよ。今回はパーティーで冒険をする、ということをやってみたのだけど。それは私の心の餓えを満たすものではなかったようだ」
「そう」
アリアにはもう、それ以上の会話はいらなかった。儚い希望だ、苦しむだけだと、どのような理屈を表に並べ立てようと、アリアはミルの内心を直観する。
ミルは己の研究欲を満たすために、グレインの命を切り捨てたのだ。
それにミルの手付きを見るに、おそらくこれは初めてのことではない。
俺にはミルを止められなかった、そう語った村長の声が脳内に甦る。
果たしてミルという人間には、己を縛る枷のようなものが存在するのだろうか。もし無いのであれば、彼女は人々の預かり知らぬところで、一体どのような所業に身をやつしているというのだろうか。
否、そんなことはどうでもよかった。その多くは、推論でしかない。そうしてアリアもまた、善とか悪とかいうものを重視する性質ではないのだから。
だからこれは極めて個人的な、彼女の怒り。彼女の衝動。彼女の殺意だ。
詠唱無しで放たれた単純な魔力の奔流がアリアの両の手から放たれ、一直線にミルへと向かう。
同じく詠唱無しで突貫仕立ての魔力の壁がミルの片手に形成され、向かい来る魔力が衝撃音を立てて消え去った。
「ふむ。私を殺すのかい? アリア」
「ブチ殺すわ」
《破滅の雷》
次いで、雷鳴轟く稲妻を走らせたアリアに対し、ミルもまた意趣返しと言わんばかりに破滅の雷を繰り出す。
同じ魔法がぶつかり合い、しかし込められた魔力の大きさはミルが上回る。ミルの稲妻がアリアの放った稲妻を消し飛ばし、そのままアリア自身を貫いた。
「があっ……!」
「いいかいアリア。君が私を殺そうとするということは、私は君を殺さなければならないということだ。君は何の意味もなく、死んでいくことになる」
「……黙れ! 殺す! 殺してやるッ!」
「察するに、君は私の想定を超えたいんじゃないかな。それは悪くない気概だ。ここで死ぬ道を選ぶならば、それこそあり得るかもしれない自分の可能性の芽を、君は自分自身で潰すことになるけれどね」
「…………」
ミルの言葉は、アリアに混乱に近い迷いと思考を生じさせた。硬直した彼女を見て取って、もう十分だと言う風にミルは臨戦態勢を解き、グレインの遺体を担ぎ上げる。
「じゃあ、頑張って」
《転送》
そうしてミルは、アリアの前から消え去った。周りにはもう、誰もいなかった。孤独を告げる完全な沈黙だけがやって来た。それが煩わしいから、荒々しく声を上げ、石の欠片を手当たり次第に魔法で粉々にした。その行為はしばらくの間、止まらなかった。哀しみ、怒り、殺意、無力感、屈辱。それら全てがアリアの心を堂々巡りしていった。
やがて、塔の周囲を揺蕩う雲は、茜色を帯びていく。
──こんなの、ガラじゃないわね。
その風景を見下ろしながら、アリアはポツリと呟いた。
酒を飲もう。そう心に誓い、彼女は帰路を辿った。その後に飲む酒量は、彼女の人生の中で最も多いものとなった。




