十六話・死神
鉄則として、ダンジョンで最も強い者は最奥にいる主である。だが時として、どんな鉄則をも破る無法者がいるものだ。
なぜ奴は現れるのだろうか。ダンジョンに蔓延する膨大な魔力に惹かれてか、あるいはそれは奴にとって、気まぐれなただの散歩のようなものかもしれない。だがその者との邂逅は、冒険者にとってあまりにも理不尽で無慈悲な、死そのものに等しい。
それは全身を黒衣で覆っている。
目深に被ったフードは、口元すらも見えはしない。そこにあるのは光を通さない、完全な漆黒。
もはや生というものに捕らわれぬかのような、束縛を成さない周囲に浮き纏う鎖。
わずかに覗く細い双腕に握られるは、その身の丈に近しい二つの大鎌。
時と場所と世界を越えてなお類似した形を保つ絶対的な死の象徴が、アリアたちの前に姿を現した。
「死神……!?」
瞠目するアリアに構うことなく、死神は動き出していた。──既に奴は三人の目の前に迫り、その大鎌を振るっている。
居合いのごときその速度に、アリアもグレインも意識の追い付くことは叶わない。
走馬灯すら許されぬ刹那が与えるのは、純粋な死の確信のみ。
──仕方ないな。
だが、ただ一人だけが、その絶望的な予定調和から逃れていたのだ。
《転送》──《全てを忘却させる傘》
「……!!」
ミルの手に現れた、奴の衣と同じく漆黒の傘は、まるで小雨でも止めるかのように死神の一撃を音もなく受け止めた。
だがそれすらも無意味であると言わんばかりに、もう一つの大鎌が振るわれる。
「ふざっけんじゃないわよぉッ!!」
《三神織り成す守り》
次の瞬間には、アリアもまた動いていた。
神々の庇護を成す輝く障壁が、壮大な衝突音を響かせて大鎌を留まらせる。が。
「……マズイ……止めきれないッ!」
耳障りな音を鳴らしながら、障壁にヒビが入り、急速的にその大きさを広げていく。
「アリアッ! もういっぱつ、俺の剣に!!」
「……オーケー!」
アリアはすぐさま意を組み、両手に振り上げられたグレインの剣──彼自身の身の丈をも超える大剣に三神織り成す守りを纏わせた。
ガラス塊を割るようなけたたましい音と共に最初の障壁が破られ、さあ命を刈り取らんとする死神の鎌を、グレインの障壁に光る大剣が弾き返す。
「このッ馬鹿力ヤロウが……!」
反動で、両者は互いに仰け反って後退る。そうして生まれた隙をミルは既に予測していた。
《転送》──《散漫な獄炎》
彼女が両手に構えるは、ペンにも似た長く太い筒状の物体。その先端から繰り出されるは、過剰なまでに膨れ弾け飛ぶ大爆発。それが何度も何度も射出されていく。打つ度に、轟音が空を割り、石畳が抉られ、吹き飛び、死神の黒衣が塵となって霧散していく。
弾数は、計十二発にも及んだ。その暴力的火力を目の当たりにしたグレインは感嘆の息を吐く。
「すげぇ……」
死神を覆い消した爆炎を見詰めながら──アリアはしかしグレインとは全く異なる、心の底から吹き上がる憤怒を感じずにはいられない。
「……ミル。アンタ……手加減してたの? この1ヶ月ずぅっと……」
「手加減と言うと聞こえが悪いね。これは奥の手と言うものだよ」
淡々とミルは応じた。しかしアリアの目にそれは、いけしゃあしゃあとした態度としか映らない。
転送は、自分の知るものを自分の知る場所に自在に移動させることが可能な、時空の理をねじ曲げる超高等魔法である。それを息をするように用いたことは、ミルがアリアには未だ手の届かぬ魔法の高みにあることを示していた。
そしてミルが出現させた二つの魔道具──アリアとグレインが二人掛かりで止めた一撃を容易に受け止めて見せた傘。これまでに見たことがないほどの超火力を放出する筒。そのどれもかれもがアリアの心に黒いものを宿すには、充分すぎるほどに事足りた。
自分はミルと並んだと思った。ミルに自分の力を認めさせることが出来たと思った。
その全てが、一時の夢物語であったと言わんばかりに瓦解していく。
「……ミル……! 私は……アンタに……!」
「よく分からないが、しっかりするんだよアリア。──まだ終わりではないから」
「……え……」
『VUQQDDDDDDDD──!!』
両の大鎌によって獄炎が切り払われ、次いで形容しがたき咆哮が一帯に轟く。変わらぬ黒衣を纏う死神が、無い眼差しをアリアたちに差し向ける。
「ウソだろ!? 無傷なのか!」
「治癒魔法を使ったな。打たれながら、何度も何度も。つまりは相応に魔力を消耗したはずだよ。恐れずいこうか」
「……クソ。やってやるわよ」
戦闘が再開された。人間と死神、魔法と剣と大鎌とが、熾烈苛烈と交じり興じる。しかしそれは段々と、戦いと呼べる様相を離れていった。
一方的な蹂躙、というわけではない。例えば最初のように、瞬殺の危機に陥ることはなかった。アリアもグレインも才気ある実力者であり、死地とも呼べる戦いの最中で、死神の動きに適応しつつあった。
だが適応と言うのであれば、死神も同じことだ。
奴はもう決して大振りの攻撃を放たなかった。牽制するように両の鎌を振るい、堅実に立ち回り、先ほどのように攻撃を受ける隙を与えることは決してなかった。
強大な地力を持つ魔物が守勢に回れば、先に体力が尽きるのは人間の方であると理解しているのだ。死神は自分が求めるもののための最適解を選択した。ゆえに死神にとって、これはもはや戦いではなかった。目の前の生命が終演へと至る為の死の舞踏なのだ。
「このままじゃ、ジリ貧だぞ……!」
「……ミル! アンタ転送使えるんでしょ!? 脱出出来ないの!?」
勝てなければ逃げれば良いという、単純な道理。だがそれは同じく単純な力たる死神の速さによって封殺されている。それでも転送によってなら容易く逃げることが出来るはずだとアリアは考えた。
「無理だね。博打をしたいなら別だけど。転送を知ってるなら分かるだろう?」
「……そう」
自在に移動出来るといっても、思い通りの位置へ移動するには極度の集中力を要するものだ。戦闘の最中という大いに気が散る状況下で、無機物よりも複雑な生物に対し転送を使用すれば、術者本人にもどこへ行くかが分からないのである。それは空の上かもしれないし、海の底かもしれない。超一流の魔法使いが不用意に使用した結果、石の中へ埋まりそのまま死に至ったという笑い話のような逸話すらある。
「……ちくしょうっ、倒せばいいんだろう!」
「!? グレイン、待って!」
アリアの静止を厭わず、グレインは痺れを切らしたように死神へ突撃する。半ば捨て身に近いその動きは精細を欠いていた。
ゆえに放たれた剣撃は容易に弾かれて、そうして体勢を崩したグレインの腹を、慈悲無き死神の大鎌が刺し貫いた。
「が、ぁ、…………」
「グレイン────ッ!!」
まずは、一人。奴は死の充足に己の肚が満たされていくことを想いながら、さあ舞踏を続けようと、グレインの肉体に刺さる鎌を引き抜こうとする。
だが、抜けない。どれだけの力を入れても、死神の鎌は動くことがなかった。
「……戦士、を、舐め、てんじゃ、ねぇ……!」
グレインは薄れゆく意識をギリギリのところで保ち、裂かれた腹筋に力を入れ、両腕で鎌を握り留めていたのだ。
「いいぞグレイン。鎌が一枚減った」
冷徹ですらあるミルの淡々とした一言に、しかし今、アリアは反応している場合ではなかった。彼女は己の成すべきことを成さんと魔力を込めて、解き放つ。
《踊ってブチ死ねッ!!》
放たれた魔力が、死神へ向かって黒い一閃を描く。死神はグレインに気を取られ、崩れた体勢のまま咄嗟に鎌を突き出し防御した。ゆえに硬く重い音を立て黒閃を受け止めた鎌は、死神の手を離れ、回転しながら宙を舞い、その切っ先が石畳に突き刺さる。
その様を見ながら、アリアは口から血が漏れるほどに強く歯を食い縛る。己の思考に、行動に、憤怒と無力感と屈辱感とが内心を酷く覆っていく。だがそれでもなお、彼女は己の私念全てを押し込んで手を打った。ミルが一切の障害無しに魔法を打ち込める状況を作るという、その最適解を選んだのだ。
そうして死神の頭上へ飛び上がるミルの手に現れるは、極めてシンプルな形状でありながら、歪な紋章を孕む長槍。
《転送》──《致命的な過集中》
頭上から投げられた槍は、脳天を深々と穿った。死神はその形を失い始め、全てが塵へと化していく中で、己の死に気付き、想い、歓喜し、味わう。
その最後の晩餐は、死神の命が完全な終演を迎えると共に終えられた。




