十一話・ミル
俺は気が付くと、草原の真ん中に立っていた。目の前の高台には、巨大なレンガ作りの建物が聳え立ち、周囲一帯が鬱蒼と茂る森や、夕焼けの中で淡い青紫色に染まる山脈に囲われている。
「ここはね、かつては未知成る森と呼ばれていたんだ」
隣に立っていたミルがそう言った。彼女は歩き始め、俺はその後ろを付いていく。風にそよぐ草を踏み締める音と、彼女の淡々とした声とが入り交じっていく。
──誰も手を付けていなかった古代の遺跡なんかがあってね。珍しい武器や宝石が眠ってるんだって、一時期冒険者たちがこぞってやって来てたんだ。今でもたまにそういうやつがやって来ることがあるよ。とっくの昔に獲り尽くされているんだけどね。
それに、珍しい魔物や動植物も豊富だって言われていた。実際に十年くらい前はそうでね。なにせ何の情報もないものだから、危険度は段違い。魔物に殺され、環境に殺され、時には人にも殺されて。この森に入った冒険者の半数は死ぬって言われていたこともある。
「これは全て過去の話だ。なぜだと思う?」
「……調査が進んだから、でしょうか?」
「そう。ほぼ全て私がやった。ここはもうありふれた、ただの森だ。アレはその調査のために建てたものだよ」
そう言って、彼女は高台の建物を指さした。
「するとどうだろうね。未知のものは未知ではなくなってしまった。それは研究対象として完成を果たしてしまい、解けてしまったパズルのように、まるで死んでしまったみたいに、もはや私にどんなものを与えることもなくなってしまった。そういう時に、私は酷い虚無感を覚えるんだよ」
だからね、とミルは歩き続けながらこちらを向いた。
「君は逸材なんだ。君のような存在には何の前例もないのだから。君は私の希望だ。君と会えて、私はとても楽しくなっているよ」
「……どうも」
研究対象として望まれているのはなんとも言い難いものがありはするが、それが俺の今の仕事であり、要するに、俺はミルの力になれるということだ。そう思えば悪くはない。
「さぁ、入って」
高台の建物に辿り着くと、彼女が指先を当てただけで重厚な鉄の扉が開いた。まるで指紋認証だ。そうして彼女が一歩踏み入れば、まるで自動照明のように内部が光った。これも魔法なのだろうか……。俺もミルに続いて入る。
さて、建物の中はと言えば──何がなんだか分からない。
まるで工場の生産機じみた、複雑な構造を持った巨大なものから、レンガ壁に立て掛けられたこれまた巨大な歯車、隕石のようにボコボコとした岩の数々、床に転がる羅針盤や光を放つ丸いフラスコ、広げられたままの傘、携行兵器じみた筒、奇怪な模様を刻む槍、雑に積み上げられた本の砦、大小様々、形状は雑多、色とりどりの道具らしきものが所狭しと無数に散らばっている。
「散らかっててすまないね。普段人は入れないんだ。足元に気を付けてね。私の作り上げた777つの魔道具の中には、触れた生物の臓器を爆破させる物もあるから」
「なぜそんなものを作りました?」
皮膚や肉体に対する透過性を持たせて内部のみをピンポイントに──かつ例えば、人間とネズミの臓器は全く形が異なるけれど、それらを共通のものとして捉える認識性を付与しつつ──そのようにして作られた機構の発展系としては──などという語りを聞き流しながら、恐る恐る歩みを進め、彼女の後を付いていく。
彼女が一つの扉を開き、その中へと続くと、部屋の印象がガラリと変わった。
とっ散らかってはいない。それどころか、何も無い。黒い線が規則的に交差する白い床が広がり、周囲は淡緑色の壁だけがあり、天井はドームのような円形を成している。
「……ここは?」
空間が広がるままにある部屋の中央まで歩くと、彼女はこちらの方を振り向いた。
「ここは私が作り上げた特別な部屋なんだ。まあとりあえず。体験した方が早いよ」
──《四つ筋の光》
彼女がそう唱えた瞬間、何かにつまずいてしまったのか、身体ががくんと揺れるのを感じた。つまずくようなものなど、何もなかったはずだが。
視野が下降して、彼女の顔が、上半身が、全身が見えなくなる。そうかと思えば、顔に強い衝撃を感じた。
「ぐお……!?」
痛みに呻き、思わず目をつぶりながら、一体何が起こっているのだろうかと俺は戸惑った。目を開ける。黒い線と、白だけが視野に入る。白い床に、自分の鼻先が当たっている。
そうか、俺は今倒れたのだとようやく理解した。しかしなぜ? とにかく、立ち上がらなければならない。
足に力を入れる。だが、立ち上がることが出来ない。……なぜ? 確かに俺の足にはしっかりと力が入っているのに。
混乱したままもがいていると、黒と白しかなかった視野の中に、赤色が這い寄ってきた。ドロリとした、赤い液体だ。まるで血のような──。
「…………!?」
ふと、身体に熱い熱を覚えた。次の瞬間、それは激痛へと移り変わる。腕が痛い。脚が、いや、肩が、腰が──?
「ウ……ガァアアアアァァアッ!!?」
「ここまでする必要はないとは思うけど、ネズミもたまには猫を噛むしね」
痛い、痛い、痛い。ミルの声が聞こえる。一体、何を? 意味が分からない。
「一応、四肢は切らせてもらったよ」
目の前に、何かがぼとりと落ちた。腕が、脚が、腕が、脚が。切らせてもらった? これは、俺の手足? 動いている。揺れている。指先が蠢いている。
「がァッア!? アァッウヴッアアッ……!?」
「君の心境はどれかな? ①激痛でパニックになっている。②なぜこんなことを? と思っている。 ③手足が切断された。このままでは死んでしまう。①の答えは『頑張れ』②の答えは『逃走防止』だね。さ、とりあえずこの部屋の説明も兼ねて③に関連することを言うよ」
──結論から言うと、君は死なないんだ。治癒魔法に含まれる生命を保たせる力──そのようなものをこの部屋に固定・蔓延させている。
手足の感覚があるのが分かるだろう? 肉や血や臓器がバラバラに飛び散ったとしても、その力が糸を繋ぐように離れた肉体同士の繋がりを保つんだ。例えば君の胸から肺をえぐり二つに割いても、何の問題もなく呼吸が出来るし、心臓をその辺に打ち捨てても止むことなく鼓動し続ける。
治癒の力も働いているから、その手足も君の身体を求め、数日もすればくっつくんだよ。もちろん、そうなる前に再切断させてもらうけれどね。
今日明日に君を殺したりなんてしないから、そこは安心してもらっていい。さっきも言ったけど、君は非常に稀有な存在だ。君のような生物のために、私はこの部屋を作った。生きた状態を保ったままに、身体の隅々までを調べられるわけだからね。この部屋のお陰で私の研究はずいぶんはかどっているんだ。
例えばそうだね。龍の身体は人類にとって、長年の謎だった。なぜあの巨体が二足で立ち上がり、素早い身のこなしをみせ、なによりも両の翼で飛び上がるのか。ただの筋力や魔力だけのものではなくてね、彼らの翼には──。
──いわゆる邪神と呼ばれる手合いは、死んだ瞬間にその身が朽ち果てることも多くてね。この部屋を用いて初めて、彼らのことを知ることが出来たんだ。彼らの最も大きな身体的特徴としては──。
──。──。────。
おっとすまなかったね、つい長々と話し込んでしまった。恥ずかしながら私はどうにも人間性に欠けるところがあって、友人が少なくてね。話相手にも不足してるくらいなんだ。
じゃあ、これからよろしくね──モルモット。




