小夜風
大粒の雨が、屋根や地面に叩きつけられる。
この村に来て、幾度となく目にした光景だ。
ルテと薔薇が緑泥の家に帰還したのは、時計の針が十七時を指した時だった。
二週間を三日ほど過ぎていたこともあり、涼多たちは安堵の息を吐いた。
「すみません。遅くなってしまいました」
「い、いえ、ご無事で何よりです」
涼多は首を横に振り、「お疲れ様です」と二人に頭を下げる。
顔色が悪いわけではないが、ルテも薔薇も、全身から疲れを滲ませていた。
「じゃ、私は屈曲さんの家に行くから、これで。……楽しかったわよ」
言うが早いか、薔薇は躰を翻すと、雨の中を泳いでいってしまった。
雨音にまじり、「ありがとう」という声が聞こえた。
ルテは外に出ると、「ありがとうございました」と頭を下げる。
顔を上げ、堀に視線を落とす。
まだ水は溜まっていないが、それも時間の問題だろう。
「水が溜まってしまう前に、帰ってこれて良かったです」
隣にやって来た涼多に、ルテはそう言って微笑んだ。
「なんでもええから、早中に入り」
暖簾を押し上げ、緑泥は微苦笑を浮かべたまま手招きをする。
ルテが台所土間に入ると同時に、緑泥は、湯の張られた桶を地面に置いた。
涼多も、ルテに手拭いを差し出す。
「まぁ、話しは夕飯食べながら、じっくりと聞かせてもらうわ」
「ありがとうございます」
床の間の縁に腰を下ろし、ルテは靴を脱ぐと桶の中に足を入れる。
足元から這い上がってくる温かさに、自然と肩の力を抜く。
手拭いで髪や顔を軽く拭いていると、涼多が湯呑みを盆に乗せてやって来た。
ふわり、と茶の香りが鼻先を掠める。
「すみません、何から何まで……」
恐縮しつつ、ルテは湯気の立つ湯呑みを受け取った。
「ホンマ、ホッとしたわ。帰ってくるんがもう一日遅かったら、屈曲さんに涼多任せて、二人を探しに行く予定やったんやから」
緑泥は床に胡坐をかくと、「俺は黄泉路から化生界に来て、暫くは一人で旅しとった実績があるからのぉ」と三白眼を細め、からからと笑った。
涼多を連れて行くわけにはいかない。
かといって、家で一人過ごすとなると、もしもがあったときに困る。
別に、涼多が何かやらかすと思っていたわけではない。
だが、生身の人間であるが故、何かと不安だったのだ。
それもあり、屈曲に頼もうかと思案していた、と緑泥は話す。
話を聞き終え、ルテも「入れ違いにならなくてよかったです」と安堵した。
涼多も、心中は複雑ではあったものの、緑泥の言葉に相槌を打つ。
どれだけ手が節くれだとうとも、足手まといになってしまうのだ。
(分かっていたことではあるんだけど……)
僅かに目を伏せた涼多をどう捉えたのか、緑泥は「せやっ」と手を叩く。
「朝晩どころか、めっちゃ勾異紫陽花に祈っとったで!」
ルテは眼を瞬かせると、涼多を見上げる。
「い、いや、その方がご利益があるかな……と」
尻すぼみになりながら、涼多は懐から勾異紫陽花を取り出した。
「……ありがとう、ございます」
ルテは涼多に頭を下げると、髪に結わえていた紐を外す。
「暫くの間、お借りしていてもよろしいでしょうか?……また、一週間もしないうちに、旅に出ることになると思いますので」
(また?……ああ、でもそうか。一回で解決する話でもないし)
緑泥と同じ感想を抱きつつ、涼多は「はい」と頷いた。
◇◇◇
「ホンマ、久しぶりやなぁ」
涼多とルテの顔を交互に見た後、緑泥は嬉しそうに焼き魚を頬張った。
家の中に、三人の『音』が響く。
外はすっかり暗くなり、雨に煙る村の中を光鈴が舞っている。
「話を聞く限りやと、結構な数の神さんや妖怪さんと会えたようやな」
沼や木の洞で出会った面々を思い浮かべながら、ルテは「ええ」と頷いた。
「……色々な方がおられました」
「協力的な者とそうでない者がな」
顔を上げたルテに、「そんくらい分かるわ」と緑泥は歯を見せて笑った。
ルテは曖昧に頷き、空になった湯呑みに茶を注ぎ入れる。
『通りかかる者は皆無ですが、会ったときには貴方のことを伝えておこう』
『あまり期待はするな。頭の片隅に入れておいてやるだけだ』
『断る。厄介事はごめんだ』
『貴方が人を好きでいる限り、傾ける耳はありません』
『その目をくれるというのなら、考えてやらんでもない。……ああ、薔薇の肉でも構わんぞ。腐ってはいるが、人魚の肉というのに興味があってな』
『話を聞く限り、ひどく時間に追い立てられる生を送っていらっしゃいますね。それでは、人間と何も変わらない。時間に縛られるなど、愚かなことです』
『これでも、えげつない力を持った坊さんに住処を追われるまでは、人間界でやんちゃしていた身でね。ちょいと手合わせを願いたい』
『神力勝負であたしに勝つことができたら、立ち寄った町や里で、貴方や白蛇様の町のことを話してあげなくもないわ。さぁ、どうする?』
「道を進むよりも、話をつける方が大変だったような気がします」
話を終え、ルテは「はぁ」と疲れにまみれた息を吐き出した。
「……ちょお、まさか目ぇ取ってあげたわけちゃうやろな?」
なぜだか焦りを孕んでいる緑泥の声に、ルテは視線を彷徨わせる。
だが、それだけで答えが分かってしまったようで、「あげてしもたか……」と呆れたように緑泥は呟くと、力なく茶を啜った。
「ああ、ご安心ください。怪しげな儀式などに使用しないという約束はいたしました。……串団子のように焼かれているのを見たときは、少しあれでしたが」
「いや、そういうことちゃうて……」
緑泥は心中で頭を抱えつつ、こめかみに指を当てた。
「アンタらの『約束』は石より硬い言うんは知っとるし、俺も同じ状況ならそうしたかもしれんけど、なんぼ治る言うても、痛いことにかわりあらへんやろ?」
机の上を指さし、「痛み止めの十や二十、持って行っても罰当たらへんで。今度から、遠慮せんと言いや」と肩をすくめる。
「まっ、そんなことにならへんのが、一番ええんやけど」
「……ありがとうございます。次からは、そうさせていただきますね」
一応の言質を取れ、緑泥はほっと溜息を吐く。
次いで、「じゃ、この話は終わりにしよか」と涼多を見た。
涼多は、気の毒なくらいに青い顔をして、二人の会話をただただ聞いていた。
ルテが詫びると、弾かれたように首を横に振った。
(……どう言えばいいんだろう。薄氷さんの『心臓を抉り取る』よりも、痛みを想像しやすいからかな、目が痛くなってきたような気がする)
涼多は「それに――」と心中で呟き、ルテの目を見据える。
ルテは居心地の悪さを感じ、円座に座り直す。
少しの沈黙の後、涼多は「……成淵の――」と言いかけ、口を噤む。
自身でも、その先の言葉を思いつかなかったからだ。
「……っ、すみません。嫌なことを思い出させてしまって」
ルテは、自身の配慮の足りなさを恥じた。
「い、いえ、あの、顔を上げてください」
行き場のない手を彷徨わせ、涼多はどうにか言葉を発する。
「その、白蛇様の町やその周辺に生えていない珍しい生き物や草木があったんですよね?どんな感じだったんですか?聞きたいです」
涼多は話を変えようと、早口でまくし立てた。
ルテも彼の意図を察し、「そうですね――」と顎に手を当てる。
「鶴のような形をした葉を持つ木を見ました。木の根の傍には、砂を操ることができる妖怪の方が住んでおられまして――」
「おっ、なんやおもろいお方がでてきたな!」
努めて明るい声を出すルテに乗っかるように、緑泥は楽しげに笑う。
涼多も、暗い顔ばかりしていられないと笑みを作り、ルテの話に耳を傾ける。
旅の思い出話を肴に、夕食の時間は過ぎていった。




