汽車土瓶
白い霧が立ち込めたかと思ったら、涼多の目の前に、古い客車が現れた。
栞が、茶色い客車のドアハンドルを回し、デッキへと入る。
年季の入った引き戸を開け、栞は「どうぞ」と涼多たちに言った。
油の匂いのする客車は、床、背もたれ、羽目板が木製でできていた。
両側には向かい合わせの座席が並んでおり、シートは深緑のモケット地。
照明は無く、代わりに光鈴が舞っていた。
「どう?テンション上がるんじゃない?」
伊織の言葉に、涼多は「はい!」と目を輝かせる。
「……わぁ、凄い」
窓の外を見ていたルテが、高揚を孕んだ声を出す。
車窓から見える景色が、竹林ではなくなっていたからだ。
大量のススキが揺れる、どこかの高原に変わっていた。
「ふふふ、驚きましたか?」
菜種がきゅうと目を細め、涼多たちに問う。
二人が頷いたのを確認すると、菜種は尻尾をふわりと揺らした。
テレビのチャンネルを切り替えるよに、景色が変わった。
鉄橋に人力車、レンガ造りの建物が車窓を飾る。
話し声や馬の足音は聞こえないが、道行く人は皆、笑みを浮かべていた。
「俺……失礼、私の幻術で作り出した景色でございます」
咳ばらいをし、芝居がかった口調で、菜種はそう言った。
「……ねぇ、当時の電車から、この景色って見えるものなの?」
伊織はしゃがみ込むと、菜種に質問する。
「昔見た景色と、本なんかで知った景色を混ぜてみたんですよ」
なるほど、と頷く伊織を見て、涼多は首を傾げた。
「まっ、こういうのは面白くてなんぼよねっ!!」
立ち上がった伊織にそう言われ、涼多はさらに首を傾げた。
(でも確かに、面白いことに変わりはないか……)
再び変わった景色。涼多は、煌めく水平線に目を細めた。
菜種は、「いや~、成淵の台座の存在を思い出して良かったです。……ちょっと、苦かったですが」と舌で口の周りを舐める。
「そりゃあ、そうよ。何十年前に買ったヤツなの?」
伊織の問いに、菜種は「忘れるくらい前ですね」と答えた。
妖力の流れを良くする、はぐれの成淵の台座。
菜種曰く、昨晩、火山の家から帰る道中で、ふと思い出したのだそうだ。
「伊織さんから、事前に駅へ来ることは聞いていましたからね。サプライズを、と考えたわけです。ただ、私は台座を、そのまま食べれない質でして……」
食べやすいように、調理していたらしい。
涼多は、「僕たちが聞いた音は、それだったのか……」と思った。
「じゃあ、この客車も、菜種さんが妖力で作り出した物なんですか?」
「いえいえ、これは……付喪神のようなものですね」
「ようなもの……」
「はい。色んな電車の思いの集合体、とでも言った方が正しいでしょうか」
「は、はぁ、……そう、ですか」
菜種の言葉に、涼多はぴんとなれなかったが、一応の納得はした。
その時、窓の外を眺めていた栞が、くしゅん、とくしゃみをした。
ぼわんという音と共に、火鉢が二つ現れた。
「火鉢もそうよ!この町って、付喪神や迷い家の住人が多いの!!」
「時刻表さんにも、会えるときがあるんだよ!」
栞は、「今日は出てきてくれないのかな」と周囲を見渡す。
涼多は、この柔軟さを見習わねば、と強く思った。
「せっかく台座を食べたんですから、こういうこともしときましょう」
ふわりふわり、と尻尾が揺れ、床から鉄道草が生えてきた。
「鉄道草も、涼ちゃんにはあんまり馴染みがないんじ……ああでも、今じゃいたるところに生えているか」
伊織は、「明治時代に渡来してきた植物で、『ヒメムカシヨモギ』とも言うんだけど」と涼多に説明をした。
「……あまり、考えたことがなかったですね」
電車に乗ることは数あれど、外の景色に目を向けたことは殆どない。
(…………お父さん)
涼多の脳裏に、疲れた顔で電車のシートに腰かけている父の姿がよぎる。
今頃、どうしているのだろうか、と涼多は鉄道草に手を伸ばす。
面影の花吹雪と原理は同じなのか、触れることはできなかった。
「僕も、見たことあるのかもしれないけど、この草については良く知らないなぁ。……あっ、でも、窓から向日葵がいっぱいあるのは見たことはあるよ!」
手を大きく広げ、栞は涼多に言った。
涼多は、「蛍君とまた違う無邪気さがあるな」と心中で思う。
ときに幼く、ときに大人びている子供。
何年経とうと、精神が引っ張られてしまうのだろう、と涼多は感じていた。
そんな涼多の心中を知る由もなく、栞は、向日葵畑を見たときのあれやこれやを、涼多に語って聞かせる。
楽しげなその様子に、涼多も笑顔で相槌を打つ。
同じように話を聞いた菜種は、尻尾を振り、大量の向日葵を出現させた。
「……打ち捨てられた感が出ちゃってない?」
眉を顰める伊織に、彼は「幻術ですんで」と笑う。
「まっ、何はともあれ、丁度いい時間です。お昼にしましょう」
菜種がそう言うと同時に、外から蕎麦屋の店主の声が聞こえてきた。
「べんとーう、べんとーう」
文楽で使う人形が、人数分の弁当が入った箱を肩から下げている。
「ふぅ、駅売りになったのは初めてでおざりぃす……」
人形は、こんな感じでいいのか、という目を伊織たちに向けた。
「すごく貫禄があります!ナイスです!!」
親指を立てる伊織に、人形は「嬉しゅうおす」と微笑んだ。
「お蕎麦屋さんのお姉さんも、一緒に食べようよ!!」
窓から身を乗り出し、栞は人形に顔を近づける。
だが、人形は上品に首を横に振った。
話を聞くと、この後、幣堂に向かうのだそうだ。
弁当に冷凍ミカン、汽車土瓶を渡すと、人形は去って行った。
わざわざこの為だけに、と涼多は申し訳なく思ってしまう。
「あっちも、この状況を楽しんでいるのよ!」
思いを察した伊織が「だから、そんな顔しないで」と涼多に耳打ちする。
涼多は「……はい」と頷くと、駅弁の掛け紙に視線を落とす。
荒々しいタッチで、魚を咥えた猫の妖怪が描かれていた。
背景には町の中心部が描かれており、神、妖怪、幽霊が行き交っている。
菜種の幻術と同様に、皆、笑顔を浮かべ楽し気だ。
「……みんな、仲良くできたらいいのにね」
池の方角に目をやり、栞はぽそりと呟いた。
「なかなか、この絵のようにはいかないわね」
栞の言葉に頷きながら、伊織はルテに目を向ける。
「…………はい。岩や水草の陰から、殺気を感じました」
「そ、そうだったんですか」
顔を引き攣らせる涼多に、菜種が「安心してください。殺気を放つだけで、何もしてきませんから」と弁当の蓋を開けた。
内容は意外や意外、エビフライ弁当だった。
菜種の言葉に、伊織は小さく「でも――」と呟く。
「線引きできる嫌いなら、無理しなくてもいいと思うわ」
よく聞き取れなかったのか、栞は、きょとん、と眼を瞬かせる。
「伊織お姉ちゃん、どうかしたの?」
「ううん、何でもないわ。……さぁ!冷めないうちに食べましょ!!」
その言葉を合図に、一行は食事を始めた。
涼多は、湯呑みと兼用になっている蓋を外し茶を注ぐ。
『お茶』と書かれた、陶器製の小さな土瓶。
伊織が「それは、記念に持って帰って」と言った。
「使い道が無かったら、インテリアにしてもいいしね!」
「ありがとうございます!」
「この掛け紙もですね。旅の記念に、と集める人もいたとか」
「ふふ、部屋が賑やかになりますね」
ルテは、名月の家にある、涼多と奏の部屋を思い浮かべる。
化生界に来た当初と比べると、かなり物が増えた。
「この町の事、いい感じに話してくださいよ!!」
「はい!…………あっ!!」
伊織の言葉に頷くと同時に、涼多はスケッチブックの存在を思い出した。




