駅長驚く勿れ
「おはよう、涼ちゃん!菜種さんから聞いたけど、大変だったみたいだね!!」
理髪店の戸を開けた伊織は、開口一番そう言った。
「は、はい。すっかり頭から抜け落ちてしまっていて……」
涼多は、居心地悪そうに頭を掻く。
「巾着袋に、米が二粒残っていて良かったですね」
ルテの言葉に、涼多はただただ頷いた。
「本当に、ありがとうございました」
「いえ、気になさらないでください」
飢えで蹲る涼多の口に、それを放り込んでくれたのはルテだ。
やんわりと首を振るルテを横目に、伊織は口を開く。
「まぁ、なんて言うのかな。ヒダル神様も、悪気はなかったのよ?その、特性というか、自分でも制御できない能力というか……」
庇いの言葉を並べる伊織に、涼多は慌てて手を振った。
彼は、自身に非があることを伝え、努めて笑みを浮かべる。
その様子を見て、伊織はホッと胸を撫で下ろす。
栞が寝ぼけ眼を擦りながら、「夜に出歩くなんて珍しいね」と言った。
「きっと、心配だったのよ。……ここのところ、暗いニュースが多いから。寿命とはいえ神様が立て続けに消滅したり、旅人さんが来なかったり」
「旅人さん?」
首を傾げる涼多に、伊織は不安げな表情で「はい」と頷く。
「毎年、この時期にやって来る方なんですけど、今年はまだ来なくて。かなり強い妖怪さんなので、滅多なことにはなっていないと思うんですけど……」
「それは確かに心配ですね」
傷だらけの熊の冒険家を思い出し、涼多の顔は曇る。
「まぁ、旅人や冒険家さんですからね。そういう年もありますよ」
菜種が、重苦しい空気を吹き消すように、手をパンと叩いた。
次いで、テーブルに椀を並べてゆく。
彼は伊織に向かい、「伊織さんも食べるでしょう?」と問う。
「朝食を食べたら、今日も案内をお願いしますね」
「勿論です!!」
伊織は、自身の胸をドンッと叩く。
その衝撃で、彼女の豊満な胸が微かに揺れる。
「今日はどこに行く予定なの?」
栞の質問に、伊織は「行ってからのお楽しみ」と笑った。
◇◇◇
「わぁっ!」
朝食を食べ終えた涼多たちの前に、ヒダル神が姿を現した。
「ああ、満腹中枢が満たされたのを確認してから来られたようですね」
菜種の言葉に、ヒダル神は静かに頷く。
芝居小屋のときとは違い、瞬きをしたら目の前に立っていた。
驚きに身を仰け反らせた涼多だったが、すぐに心を落ち着かせる。
「……おはようございます」
深呼吸をし、笑みを浮かべて涼多はヒダル神に会釈をした。
ヒダル神も、ゆっくりゆっくりと会釈を返す。
そして、靄を纏った腕を伸ばし、涼多と栞の頬に触れた。
頬に触れ手に触れ、……涼多は、診察をされているような気持になる。
暫くすると、ヒダル神は、空気に溶けるようにすうと消えていった。
「満足されたようです」
口元を綻ばせたルテが、涼多たちを見て目を細める。
「満足、ですか?」
「はい。……私も、気持ちは凄く分かります」
疑問符を浮かべたままの涼多に、栞が「えっと、ヒダル神様は、お腹減ってない人を見るのが好きなんだって」と説明をする。
「……難儀な神様よね。別に、飢えている者が見たい訳じゃないのに」
伊織は「『食』を履き違える人には、そればかりじゃないけど」と続けた。
(いっそ、「自分が感じた飢えをお前らも味わえ!ざまぁ!!」みたいになれたら、……幸せかどうかは別として、しんどくはならなかっただろうに)
そこまで考えて、彼女は小さく首を横に振る。
もしそうであったなら、この町の長にはなっていないだろう、と。
(『神』を冠していても、ままならないことってあるのね)
涼多たちと話をしているルテを見て、伊織は複雑な気持ちになった。
◇◇◇
「……考えてみたら、もう随分と車を見ていないなぁ」
町の中心部から離れたところにある大きな池の臥龍橋(池の中に曲線を描くように配された飛び石)を渡りながら、涼多はポツリと呟いた。
「えー、昨日見たし乗ったでしょ?」
「い、いや、ああいうのじゃなくて、……その、本物をね」
栞が乗っていたのは、あくまで乗用玩具だ。あまり、車に意識を向けたことはなかった涼多だが、久しく見ていないと、少し恋しくなる。
「まぁ、仕方ないわねぇ。町の中はいざ知らず、町の外は、道路どころか道すらない、なんていうのもザラだから」
伊織は「それに――」と雲が目立つ空を指さした。
ルテ曰く、今は止んでいるが、夕方からはまた雨なのだそうだ。
「鸚鵡さんみたいな存在とか、依頼人を背中に乗せたり、タツノオトシゴ(仮)さんみたいに、体内に入れて運ぶパターンもあるし」
「第一、遠出をする者も少ないですからね。町を行ったり来たりなんて、今は旅人さんや冒険者さんくらいなもんですよ」
菜種はそう言うと、水面に浮かぶ枯葉に飛び乗った。
そのまま、枯葉から枯葉に飛び移ってゆく。
「あとは、風の吹きまわし次第ね。私も、むかーしに一回だけ、隣町に行ったことはあるわ。違った景色が見れて楽しかったけど、一回見れたらいいかなって」
気持ちは分からなくもない、と涼多は思った。
ほんの少し前までの自分がそうだったからだ。
「……と、話をしていたら到着したわ!」
最後の飛び石を軽々と飛び越え、伊織は弾んだ声を上げる。
着いた岸の先には、狭い土道が伸びていた。
道の両脇には、よく手入れされた竹林が広がっている。
「ねえ、この先には何があるの?」
「内緒!」
涼多の問いに、栞は歯を見せて笑った。
妹の美月と重なるものがあり、涼多も「そっかぁ」と笑みを浮かべる。
三百メートルほど歩いたところで、大きな日本家屋が見えてきた。
涼多の脳裏に、子供の頃に絵本で見た『雀のお宿』がよぎる。
だが、近づいてゆくうちに、それは誤りであったと気づく。
木の桟がはまった窓口、木製の長椅子、乗車券箱……昔の駅がそこにあった。
「涼ちゃんからしてみれば、返って新鮮なんじゃない?」
伊織の言葉に、涼多は「はい」と高揚感を滲ませた声で答えた。
(……颪さんに案内してもらった美術館も、こんな感じではあったけど、こっちは『本当に駅』って感じがするな)
「昔は、ヒダル神様も人間界に行けていたの。……でも、いつの頃からか行けなくなっちゃってね。かつてを懐かしんで建てた、と聞いているわ」
その答えに涼多は納得し、駅舎を出たり入ったりする。
ちなみに、駅名札には『ヒダル・HIDARU』と書かれていた。
木製の改札を潜り、涼多はホームへと出る。
ホームは、涼多が想像していたよりも広く、何故か洗面台があった。
水道の蛇口が三つ並んでおり、鏡が嵌め込まれている。
不思議に思った涼多は、「どうして洗面台があるんですか?」と問う。
「ああ、主役が蒸気機関車だった時代はね、長旅で顔が煤で汚れちゃったから、駅によってはこういうのがあったみたい」
伊織は「ただ、涼ちゃんの目の前にあるそれからは、蛇口をひねっても何も出ないんだけどね」と苦笑いを浮かべた。
涼多は何度も相槌を打ち、線路に視線を落とす。短いものではあるがレールが敷かれており、太い針金が打ち付けられた焼き枕木の柵があった。
「はい、もっと後ろに下がって!来るよ!!」
「来るって、……何が?」
「電車が」
首を傾げる涼多に、栞は、聞き分けのない子供を正すような声を出した。




