慣れ親しんだ娯楽
『兎火たちが戻った世界の俺よ!お前は、しっかりと生きてくれよなっ!!』
(……そう言えたら、どれだけ良かっただろう)
雲間から一瞬だけ姿を見せた月を惜しみながら、火山(水川)は思った。
そんな格好いいことは言えない、と。
自己嫌悪に浸りつつ、火山は両親のことを考える。
(きっと、家にいろんな人が押しかけて来ているんだろうな。身勝手な物言いだが、心労で倒れたりしていないといいけど……)
「心配したってぇ、どうしようもないぜえ?」
にいと笑うミドロに、菜種が「ミドロさんっ!」と慌てた声を出す。
「んだよぉ、事実だろうがぁ」
「そ、れは……そう、ですけど」
言い方というものがあるだろう、と菜種の目は語っていた。
火山は苦笑いを零し、曖昧に微笑んだ。
「あっ、すみません。お茶の一つもお出しせずに……」
勢いよく立ち上がり、火山は台所へと向かう。
「お気になさらず」
「一番高いやつなぁ」
ミドロの引き攣った声と、菜種の呆れた声をBGMに湯を沸かす。
加減が分からず折れてしまったマッチ棒を見て、火山は溜息を吐いた。
「……子供の頃は、なんだかんだ使いこなせていたんだけどな」
身の内で嗤っていると、視界の端に蠢く何かが見えた。
真夏のアスファルトの上で干乾びたミミズが寄せ集まったような何か。
火山が「ひっ」と声を上げると、何かは棚の裏に逃げ込んだ。
(いや、出て行ってほしいんだけどな。……菜種さんたちが何も言わないという事は、悪いモノではないのか?にしても――)
気味が悪い、と口にしそうになり、火山は思い切り唾を呑みこむ。
次いで、「まだ、慣れないな」と両手で顔を覆う。
(……こういった不思議な世界にあこがれたことがない訳じゃない。むしろ、子供の頃は良く夢想していたくらいだ)
だが、いざ現実になってみると、生理的嫌悪が勝ってしまうのだ。
加えて、慣れ親しんだ娯楽がないことも、火山を苛んだ。
(ロべチューブで、アイドルの曲やヒーリング音楽を聴いたりするのが、清涼飲料水みたいなもんだったんだけどな……)
「住人は変わっているけど、町自体は俺が住んでいた世界と、そう変わらないじゃないか。これなら、上手くやっていけそうだ」
化生界に来た当初、火山はそう高を括っていた。
しかし、それは一週間ともたないものであった。
(スマホもネットも、なくても大丈夫だと思っていた。でもそれは、手元に当たり前のものとしてあったから、言えたことだったんだ……)
気がつけば、スマホやパソコンを探してしまう。
新たな娯楽を見つけるにしても、まったく思いつかない。
小説も漫画も、人間界と比べると、どうにもパンチがない。
どれもこれも大人しく、盛り上がりに欠けるのだ。
(……まぁ、この世界では、受けるのかもしれないが)
火山は、またも大きな溜息を吐いた。
『両親の心配をしていたかと思えば、すぐそれだ』
『あんなに不満たらたらの世界だったくせに、今は帰りたいんだ?』
『でも、もう遅いよ。死んじゃったんだから』
『苦楽を共有できる相手のいない世界で、取り敢えず頑張りなよ』
幻聴に体を震わせ、火山は耳を塞ぐ。
今現在、彼の周りに『同類』はいない。
悩みがあれば聞いてもらえるが、共感はされにくい。
皆、生まれも存在も違うからだ。
(でも、仕方がないよな。俺だって、神様や妖怪の身の上話を聞かされても、良くは分からないだろうし。……伊織さんたちは、ジェネレーションギャップがな)
その時、菜種たちのいる部屋から、大きな物音が聞こえてきた。
続いて、「おぅ、悪ぃなあ」というミドロの声。
ああまたか、と火山は思う。
彼は「…………逃げられないよなぁ」と呟いた。
(川に飛び込む前、「楽になれるよ」と聞こえたが、どこに行っても、楽になんてなれやしない。…………自分が、自分である限り)
ミドロや栞を見て、火山は余計にそう感じていた。
自由に振舞っているよに見えて、見えない何かに苦しんでいる。
(悪夢だって見るしストレスだって溜まる。争いだってあるし、分かり合えない者だっている。…………きっと、俺は勘違いをしていたんだろうな)
別の世界には、悩みも苦しみもない。
根拠という根拠もなしに、火山はそう思っていた。
「なんで、そう思っていたんだろうな。……いや、信じたかったんだろうな」
「なにがだよぅ」
耳元で聞こえた声に、火山は「わぁっ!?」と大声を出す。
呆れた顔をしたミドロが、ぼりぼりと頭を掻いていた。
「んなビビることねぇだろ?あんまり遅いから、来てみたんだよぉ」
「あ、ああ、すみません」
釣灯籠の下半身に恐れを抱きつつも、火山は詫びた。
急いで棚から湯呑みを取り出す彼の背に、ミドロは声をかける。
「親が来るまでもちそうか?」
「……が、頑張ります」
火山は、子供じみた回答になってしまった、と顔を赤らめた。
だが、ミドロは気にする様子もなく、笑みを浮かべるばかりであった。
「そういえば、丸眼鏡の神さんと会った感想はねぇのかぁ?」
「…………分かっていて、言っていますよね」
居心地悪そうに言った火山に、ミドロは「さぁな」と笑う。
昔話を知っている火山の感想は「意外だ」の一言に尽きた。
(もっと明るい感じだと思っていた。……ああでも、あの昔話が全て本当のことなら、明るい気持ちになんてなれないか)
古傷を抉るような真似をしてしまった、と火山は後悔した。
しかし、後悔先に立たず、である。
(……昔話に出てきた方に会える、という思いが先行して、そこまで考えが及ばなかった。少し考えれば、分かったはずなのに)
「てか、本当に、昔話に出てきたから会いたい、だけだったのかよぉ?」
「いえ、もう一つあります。門火高の校門付近に、祠があったって……」
だが、そこまで話してしまうと、涼多たちとの繋がりが分かってしまいそうだったので、火山は伏せることにしたのだ。
「ふ~ん、『縁』だねぇ。良いか悪いかは別として」
「……あの、一つ気になることがあったんですけど」
話を逸らすように、火山はミドロに言った。
いつの間にかミドロの隣に来ていたアオが、勾玉を点滅させ始めたからだ。
「兎火と……ルテさんがさしていた傘の絵は、誰が書いたものなんですか?」
火山の脳裏に、熊耳少女の可愛らしい笑みがよぎる。
少女の絵柄こそ『今風』であったが、服や背景に描かれている草花は、どこかで見たような気がした。
「あぁ、末枯晩稲っていう、色々とネジが外れているヤツの絵だぜぇ。正直、あんなに捻くれた性格の奴も、化生界広しといえど、珍しいなぁ」
自身のことは棚に上げ、ミドロはそう言った。
話を聞いた火山は、「末枯晩稲……」と心の中で反芻する。
「んん、どうしたよぉ」
「…………いえ、本当に不思議な縁だな、と」
会話はそこで終了し、火山たちは台所を後にした。
◇◇◇
ざあああ……ざあああ……
降っては止み降っては止みを繰り返していた雨が、また降り出した。
(……なんでだろう、どうにも寝付けない)
涼多は、布団の中で何度目かの寝返りを打ち、頭を抱える。
体は休息を訴えているのに、眠りに落ちてくれない。
時間が進む度、涼多の心に焦りが募る。
「…………眠れないのですか?」
「ルテさん。……すみません、起こしてしまって」
「いいえ。私も、寝付けなかったもので……」
涼多とルテは、互いに「困りましたね」と微苦笑を浮かべた。
その時――。
ガタッ、トントン、ジャージャー、と階下から物音が聞こえてきた。
ふたりは布団から半身を起こし、何の音だろう、と顔を見合わせる。
ルテが「少し、様子を見てきます」と部屋を出ようと立ち上がった。
こくりと頷いた涼多は、ふと何かの気配を感じ、カーテンに近づく。
ルテの制止する声が届くより先に、涼多はカーテンを開けてしまった。
雨に濡れた土道を、ヒダル神が歩いていた。
その姿を認めた瞬間、涼多は激しい飢えに襲われた。




