新しい住人・火山さん
(……あんなことを宣っていた俺も、結局は気にしているんじゃないか。数字やコメントに、こんなにも翻弄されている)
肩書だってそうだ、と水川は思った。
有名心理学者、大物ロべチューバー、元○○……とにかく、有名な人たち。
だが、「仕方がない」と水川は思ってしまう。
数が多いことは、決して悪いことばかりではないからだ。
仲間がいれば、誰だって嬉しい。
それだけでも、自身を動かす原動力にできるときもある。
だが、今自身に降りかかっているこれは、数でこられたら堪ったものではない。
真相がどうであれ、多くの人に知られれば『負け』だ。
(ああ、行方不明もそうだが、もし、そんな人たちに、出錆のやっていたことが知られてしまったら。……いや、それももう知られているのか?)
廃屋で、仲間たちと一緒に、猫をいたぶっていた出錆。
あれが初めての事だったのか、それとも――。
……知られていないのなら、黙っていたい。だが、あれが日常的に行われていたのなら、被害を増やさないようにしなければ。
(だけど、知らせるにしてもどうすれば。……出錆を説得して警察に行けばいいのか?ああでも、きっと言われる「気づかなかったんですか?」と)
『自分なら絶対分かる』
『頑張ってますアピ』
いまだ胸の内に巣食う言葉が、幻聴となって聞こえてきた。
耳を塞ぎ、「全然、気がつかなかったんだ!」と水川は声を絞り出す。
自分のクラスは『普通』だと思っていた。
自分の学生時代とは、また違う『普通』があるクラス。
みんな、色々な側面を持ちながらも、仲良くやっているクラス。
別の側面も、かわいいモノだと思っていた。
それなのに、とてつもない裏の顔を持っている者がいた。
爽やかな笑顔の裏に隠れた、恐ろしい残虐性。
(……気づけなかった、気づけなかった、気づけなかった)
口から呻き声を発し、水川は頭を掻きむしる。
『自分なら絶対分かる』
『頑張ってますアピ』
(なんで、あんな動画を上げたりなんか……いや、それは他責が過ぎるな。俺が気にし過ぎなだけだ。こんなことを言い出すと、何も言えなくなってしまう)
『自分なら絶対分かる』
『頑張ってますアピ』
『メンタル弱いのが悪いんだよ』
『お前みたいなのがいるから、何でもかんでも規制、規制、規制……』
『なんか言われるのが嫌なら、なんで教師になったの?』
『覚悟が足りない』
新たに湧いて出てきた言葉に、水川は激しく首を横に振る。
暫くして、彼は橋の欄干に、勢いよく拳を叩きつけた。
「…………なんで、なんで俺なんだよっ!!」
昨晩降った雨の所為で、川の流れは激しく、音も大きい。
水川の叫びは、それらに呑みこまれていった。
「そりゃあ、俺だって、テレビなんかで生徒の起こした問題行動を謝罪する先生を見て、気の毒だな、で済ませてきた!……で、その罰がこれかよっ!?」
癇癪を起した子供のように、水川は「なんで俺なんだ。なんで、なんで、なんで、なんでだよぉ……」と呟き続けた。
「…………俺も、結婚して、親に孫の顔を見せないといけないんだ。でも、今は、十年以上前の事件でも蒸し返されて、世界に発信されるじゃないか」
切り貼りされた情報が、出回る可能性もある。
嘘が真実のように語られてしまうことも。
自分の顔が出回るだけならまだいい。
だが、家族や友人の顔が晒されでもしたら――。
(それにもし、将来、妻や子ができて、そのときに『正義』が牙をむいてきたら?……考えすぎか?いや、充分あり得ることだ。……って、まだ恋人だっていないのに、何を考えているんだ俺は)
「ああ、家に帰らないと。それで、記憶が戻ったって伝えないと」
そう思いはするが、足がピクリとも動かない。
水川は、何とか動かそうと試みた。……だが、動かない。
彼が、「はあぁぁ……」と重苦しい溜息を吐き出したとき――。
《……もう、疲れたでしょ?》
どこからか、そんな声が聞こえてきた。
水川は驚いて辺りを見回すが、……誰もいない。
「気のせ――」
《あなたは何も、悪くないよ》
ハッキリと聞こえた声の主を探し、水川は川を覗き込む。
すると、男とも女ともつかない、柔らかな声が聞こえてきた。
《……可哀想に。貧乏くじを引いてしまっただけなのに。出錆君も、いなくなった三人も、あなたのクラスにいなければ、あなたが、そんな苦しい思いをすることはなかった。そうでしょう?可哀想すぎて、見ていられないよ》
(貧乏くじ。……そうだ、俺はたまたまそれを引いてしまっただけなんだ)
そこまで考え、水川は慌てて首を横に振る。
一瞬とはいえ、なんてことを考えたんだ、と。
生徒のことを『貧乏くじ』と思うだなんて、と。
「……間違ったことをしたなら、それを正すのも教師の務めだ。兎火たちのことも、情報を集めて、できることなら捜査に協力を――」
《そんな崇高なお考えが、何の役に立つというの?踏みにじられ、嘲笑われ、それが過ぎればゴミのように捨てられる。……傷ついたあなたを置き去りに》
《頑張ってますアピ》
いつもの水川なら、落ち込みつつも跳ねのけていただろう。
だが、今の水川の心は千々に乱れていた。
そこに、決定打が落とされる。
《楽になれるよ》
声を聞き終えた瞬間、水川は橋の欄干を飛び越えていた。
ふわり、と体が宙に浮き落下してゆく。
水川はふと、川に落ちて死んだ『おじさんの娘』を思い出した。
(……あの子は、どんな気持ちだったんだろう)
それが、水川が最後に思ったことだった。
◇◇◇
「……い、おーい、火山さんよぅ、聞いてんのかぁ?」
ミドロの声に、火山(水川)はハッと我に返る。
「あっ、すすすすみません。聞いていなかったです」
「はぁ、大丈夫かよ」
ミドロは、菜種に向かって顎をしゃくる。
菜種は、「聞きたいことがあって」と火山の耳に口を寄せた。
「ミドロさんとアオさんは乗り気じゃないですが、涼多さんたちに、自分のことを話した方がいいんじゃないですか?」
伊織にも、それとなく言われたことであった。
火山は目を細めると、ゆっくりと首を横に振る。
「どうしてです?豊穣の……ルテさんはもうなにもできませんが、涼多さんたちは違います。彼らが帰る場所は――」
「分かっています」
菜種の言葉を遮り、火山は薄っすらと微笑んだ。
人間界に行く手立てを持たないルテとは違い、涼多たちが帰る場所は、化生界で何年過ごそうと変わらない。
白蛇火祭りの夜、出錆たちに会うのは避けられなくとも、その後の運命は変えられる。つまりは、死ななくてもいいのだ。
「生身の人間が来るなんて、前代未聞。水川さんの死を回避できる、またとないチャンスなんですよ?それを捨てて、本当にいいんですか?」
「ええ、構いません」
きっぱりと言ってのける火山に、菜種は口を閉じた。
「きっと、何を言われようと、俺は親不孝なことをしてしまう。だから、化生界で、父と母が来る日を待ちます。……ちゃんと、謝らないと」
水川の両親は、彼が目を覚ましたことを、誰よりも喜んでいた。
そのふたりを無視し、水川は『他人の声』に耳を傾けてしまった。
「…………それに」
ポツリと呟かれた一言に、菜種は「え?」と首を傾げる。
「いえ、何でもありません」
菜種から視線を逸らし、火山は、格子窓から空を見上げた。
(……それに、助かるのは、ここにいる俺じゃない)
ep.134




