いざ、尋常に勝負
「ごめんね?涼ちゃん。火山さん、まだこの世界に慣れていなくて、その、人間界を思い出して、落ち込むところがあるっていうかなの……」
頭を下げる伊織に、涼多は「大丈夫です」と首を振る。
結論から言うと、涼多が火山に会うことは叶わなかった。
最初は会うつもりでいたのだが、やはり無理だ、と連絡が来たのだそうだ。
ただ、それは涼多だけの話。
ルテは、火山に会いに、彼の自宅まで行っている。
保護者だから、という理由で、アオとミドロも一緒だ。
残された涼多は、『狐の理髪店』で、伊織たちと談笑をしていた。
光鈴が舞い始める頃合いに、ルテと待ち合わせた場所に向かう予定だ。
(……そういえば、ミドロさん「水玉が悪いなぁ水玉が」って笑っていたけど、どういう意味だったんだろう)
ニヤリとした目と口が、頭から離れない。
難しい顔をしている涼多に向かい、伊織は真っすぐな視線を向けた。
「心配しないで、涼ちゃん!ルテさんがいなくて不安なのは分かるけど、私も菜種さんも強いんだから!何かトラブルが起こっても、守って見せるわっ!」
伊織は、快活な笑みと声に加え、力こぶを作って見せる。
どうやら彼女は、涼多は一人残されて心細いのだ、と思ったようだ。
「あ、ありがとうございます」
礼を言いつつも、涼多の心中は複雑だった。
「……えっと、伊織さんは、幽霊、ですよね?」
「ええ、そうよ!」
いきなりの質問に、伊織は不思議そうに眼を瞬かせたが、すぐに涼多の思いを察したのか、「試してみる?」と隣の空き地を指さした。
「涼ちゃんも、棒術か何かやっているんでしょう?」
驚く涼多に、「足腰の感じで、なんとなくね」と伊織は肩目を閉じる。
「竹馬を作るためのやつだけど……」
何処か楽し気に、伊織は、壁に立てかけてあった竹二本を手に取った。
彼女は、そのうちの一本を、涼多に投げ渡す。
長さは、約百五十センチ。細い見た目ながら、程よい重量感を感じた。
「来て!」
戸惑う涼多の手を引き、伊織は空き地に出る。
雨はすっかり上がっており、雲は赤や紫に染まっていた。
ふたりは、空き地の中央にある幟から少し離れた場所に立つ。
周囲に人影はなく、観客は栞と菜種のみ。
足場は平らで、周囲も適度に明るい。
「本気できてくれて構わないわ!!」
くるくると竹棒を回す伊織に、涼多は「でも……」と躊躇った。
(時々、音律君たちと簡単な勝負はしているけど、それだけだ。……木箱の中でのほうが、本気だったかも)
木箱の中は、痛みも調整されていたし、血だって、現実のようにおどろおどろしくはなかった。傷も、あっという間に治ってしまう。
だが、現実に戻ればそうはいかない。
擦り傷であれ、直ぐには治らないし、痛みだって一瞬では消えない。
加えて、細心の注意を払うように、と厳しく言われている。
なので、早い話、本気になって打ち合ったことがないのだ。
(……なんか、こうしてまとめると、凄く言い分け臭いなぁ)
羞恥に肩を落とす涼多に、伊織は「安心して!」と笑いかける。
「ルテさんを困らせることはしないから!!」
彼女は、わざとらしく挑発めいた言葉を口にした。
ルテを困らせない、……つまりは、怪我をしないよう加減をする。
無性に、とまではいかないまでも、涼多は腹が立った。
伊織の言葉が、いつも腹の底で燻っている何かを射抜いたからだろう。
仕方がないのは百も承知。それでも、悔しいことに変わりはないのだ。
(…………考えてみれば、「悔しい」と思うなんて、化生界に来る前……いや、ほんの少し前までは、思ったことなかったな)
『悔しい』で満たされた壺に、『仕方がない』と蓋をしていた。
そしていつしか、壺の存在さえ、忘れてしまっていた。
(最近は、「悔しい」ばっかりだ。力であれ、なんであれ……)
気持ちを切り替えるように、涼多は深呼吸をする。
「準備はいい?」
「はい。お願いします!」
彼は竹棒を構え、飛花に教わったことを頭に思い浮かべた。
常とは違う、一段低くなった声が蘇る。
とはいえ、飛花は、化生界の基準にすっかり馴染んでしまっているため、涼多たちが死なない程度のことを、軽く教えたに過ぎないが。
ええっと、丹田に力を入れ、体の軸はぶれないように――。
栞が、「始めっ!!」と声を張り上げた。
ひゅっ
涼多の胸骨に吸い寄せられるように、竹棒の先端が飛んできた。
咄嗟に体が動き、涼多は自身の竹棒ですいと逸らす。
ハッと我に返ったのは、その後だった。
「おおっ!意識しなくても体が動くね!!こういうときは、ちょっとのタイムラグが命取りになっちゃうから、……良いことだっ!!」
伊織は、嬉しそうな顔のまま、涼多に竹棒を打ち込む。
動くたび、たわわな胸が揺れているが、彼女が気にしている様子はない。
滑らかな動きに翻弄されながら、涼多も竹棒を打ち下ろす。
だが、一合交えただけでも、手の平にかなりの衝撃が走る。
六合あたりで、それは痛みを帯びてきた。
痛みに顔を顰めた涼多を見て、伊織は手を止めた。
「ま、参りました……」
悔しさに唇を噛みしめつつも、涼多はどうにか笑みを浮かべる。
手の痛みもそうだが、息が上がってしまっていた。
対して伊織は、息を荒げることない余裕の表情だ。
「ふふっ、私の勝ちね!…………と言っても、どこまで『私の力』と言っていいのか分からないから、ばつが悪いな」
首を傾げる涼多に、伊織は悲し気に微笑んだ。
瓦斯燈を模した簪が、夕日を受けてキラリと輝いた。
「いや、そりゃあね、化生界に来てから、筋トレしたり棒術の訓練をしたりしたけど、そもそも、この筋力がついていなかったら、それらに手を付けもしなかったなって……」
「……ええっと、つまり、化生界に来たときに、何故か筋力がついていた、ということですか?それまでは、筋トレとかとは無縁だったのに」
「そう!それが言いたかったの!!」
伊織は「伝わって良かった!」と安堵の息を吐く。
「幽霊って不思議でね、殆どの人たちは、人間界にいたときと同じく力も視力も変わらないんだけど、たまに例外があるらしくって。私は後者なのよ」
(確かに、末枯さんは結界を張れていたし、落葉さんは石火隊の中でもかなり強い。それこそ、出水さんたちよりも……)
「同じ『人間同士』の勝負だったら、涼ちゃんとどこまで渡り合えていたか分からないわ。……だから、この勝負は、涼ちゃんの勝ちだよ」
複雑な勝利に、涼多は曖昧な笑みを浮かべた。
ハッキリ言って、まったく嬉しくない。
何とも言えない気持ちのまま、涼多は伊織と握手を交わした。
ふたりの横を、光鈴がふわりと舞う。
「じゃっ、丁度いい時間になったことだし、行きますか!!」
栞が、「お疲れ様」と拍手をしながら近寄ってきた。
「……涼多さんは納得しかねる顔をされていますが、いい試合でしたよ」
菜種は、涼多の耳に口を近づけそう言った。
「もう少し、棒を持つ手の幅を広くとってみてはいかがでしょう」
「……ありがとうございます」
助言を受け、涼多はすっと頭を下げる。
歩き出そうとしたとき、栞が「ちょっとだけ待って!」と言った。
彼の手には、黄色い花が握られている。
花を小さなガラス瓶に入れ、栞は幟の前に置いた。




