笛吹けども踊らず
細い土道を歩き、涼多は、小さな森の中へと足を踏み入れた。
小さな小川が流れており、簡易的な橋が架かっている。
栞が、橋を渡らずにぴょんと小川を飛び越える。
涼多が「凄いね!」と拍手を送ると、彼は「えへへ」と笑った。
その様子を見て、伊織は悲し気に微笑んだ。
彼女の胸を占めるのは、『後悔』の二文字だった。
(……あのとき、もっと早く行動に移せていれば)
伊織がこの町に住みだしたのは、ミドロとさほど変わらない、百年ほど前だ。
昔と今では、価値観が違う。
引っ叩かれるのも、こう言っては何だが、よくあることだった。
自分の中の『普通』が、今でも『普通』なのか、分からなかった。
躾というならば、……中途半端に介入しない方がいい。
そう思ってしまい、母親の歪な正義に、気づけなかったのだ。
気づいたときには、全てが遅かった。
ヒダル神がいなければ、栞は『餓鬼』となっていたかもしれない。
伊織は、安堵の胸を撫で下ろすと同時に、後悔を背負った。
どうにか事が収まったとはいえ、最悪の道を踏んだことに変わりはない。
栞本人が忘れているとはいえ、なかったことではないのだ。
あの笑顔を消してはいけない。伊織は、心中でそう誓った。
それは、菜種たちも同様――。
「おい、どうしたんだぁ?ぼうっとしてよぅ」
ミドロは、伊織に向かい「説明頼むぜぇ」と口角を上げる。
「ああ、すみません!……ええっと、結界台です!!」
伊織は「ババンッ!」と口から効果音を発し、巨石に手を添えた。
夫婦のように寄り添う二つの巨石。
その間に置かれた銅鏡のような物から、淡い光が放たれている。
「えーっと、私たちの町では、ふたりずつ交代で、結界台を動かしています。今も、左右の岩に一人ずつ入って、力を装置に流し込んでいるの!」
伊織曰く、二人一組……計十組(二十人)の結界守がいるらしい。
半月交代で、回しているのだそうだ。
「ううん、なんて言ったらいいかな。戦隊ものの『合体』みたいな感じです!ふたりの力を一つに、みたいな?」
「はぁ、自分で言っておいて……」
「し、仕方ないじゃない!説明するのなんて、初めてなんだから!!」
ばつの悪そうな伊織に、涼多は慌てて、「大丈夫です」と言った。
彼は、淡く光を放つ銅鏡に視線を移す。
銅鏡の左右からは、赤い紐が伸びており、それぞれが岩に結び付けられている。
顔を上げると、涼多たちが最初に到着した公園。
その先に、ヒダル神がいる、芝居小屋の屋根が見えた。
山を信仰する、聖なる場所のようにも見える、と涼多は感じた。
(……中心部までは、まだ距離があるけど、カロさんの言葉もあるし、この場所が『この町の中心』なんだろうな)
「……どうですか?」
伊織に恐る恐る問われ、涼多は「えっ」と声を上げる。
「あ、えっと、その、この赤い紐を通して、銅鏡に力を送って、……理屈は分からないですけど、結界を張っているって感じですか?」
「はい!それで大丈夫です!!」
伊織は涼多の手を取ると、上機嫌に上下に振った。
甘く爽やかな香りが鼻をかすめ、涼多は頬を赤らめる。
その様子を見ていたミドロは、ハンと鼻を鳴らし、ルテを見た。
「……おおい、丸眼鏡の神さんよぅ、どうしたんだぁ?いつも辛気臭くて大人しいが、今日はもっと大人しいじゃねぇかあ」
「ちょっと、なんて失礼極まりない!」
伊織が慌てた声を出すが、ミドロは、涼しい顔を崩さない。
「…………ああいえ、面影様の町のことがあったので、ここの結界台は大丈夫か、と思いまして」
「そうでしたか!今のところは、大丈夫ですね。結界が弱くなっている、力の流れ方が悪い、と言った不具合は、特にありません!」
明るい笑顔を見せる伊織に、ルテも「良かったです」と微笑んだ。
雨もだいぶ小降りになり、雲間から光がのぞく。
「じゃあ、寄り道も済んだことですし、行きましょう!!」
伊織に促され、一同は丁字路まで戻る。
「こっちだよ!」
栞を先頭に、涼多たちは今度こそ、中心部に向かい歩き出した。
「……ん?どうしたよ」
ミドロは、何事かを考えこんでいるアオに視線を向ける。
『いや、菜種の持っているあれが気になってな』
「あれ?……ああ、あの陶器の水玉のことか?」
神に水を供えるときの神具。
なぜ持っているのか、ミドロも疑問には思っていた。
『恐らく、水玉を使って、火山に映像を送っているのだろうさ。……薄氷が使役している光鈴と比べると数段劣るが』
「ちっ、余計なことをしてくれやがる。……いっそ、アオが引っ掴んで、強引にふたりを『感動の再会』させたらどうだぁ?」
『…………何度も考えた。だけど、それをしたらお陀仏だ、と第六感が囁くんでね。こうして、囁かない範囲で楽しむしかないんだ』
「おうおぅ、そうかい。まっ、アオの勘はヤバいくらいに当たるからなぁ。なら、用心に越したことはねぇか」
とはいえ、せっかく整えた舞台が無駄になりそうだ。
それも一興か、とミドロは大きな欠伸をした。
◇◇◇
「到着!」
栞が足を止めた場所は、『狐の理髪店』と書かれた店の前だった。
店の前には、古びたサインポール。
菜種が店主であるらしく、店舗兼住宅なのだそうだ。
右隣はカーテンなどを売っている店だが、左隣は空き地だ。
空き地の中央には、サッカーボールほどの石が置かれ、隣に幟がたっている。
「副業でやってはいるんですけど、どっちも暇で……」
「そちらの町でいう所の、石火隊ですね!」
伊織は自身を指さすと、「私もなんですよ!」と言った。
彼女の晒された脚を見て、涼多は「なるほど」と納得する。
「話はあとあと!二階に案内するよ!!」
栞に手を引かれ、涼多は店の中へと足を踏み入れた。
灰色のタイルが貼られた床に、漫画本の置かれた棚。
バーバーチェアを二台通り過ぎ、キツネ色の暖簾を潜る。
廊下と、二階へと続く急な階段があった。
栞が、「この先に、僕と菜種さんの部屋、あと台所があるんだ」と言った。
荷物は、先に鸚鵡が届けておいてくれたらしい。
年季の入った階段を上り、これまた年季の入った襖を開ける。
八畳ほどの和室があった。
窓の下には川が流れており、顔を上げると、遠くの山々がよく見えた。
「ふふ、透明粘土を取りに行ったときを、思い出しますね」
ルテの言葉に、涼多も「はい」と頷いた。
(民泊みたいでワクワクする、……と思ったけど、よく考えてみれば、名月さんの家に泊っているのだって民泊か)
だが、気持ちが高揚することに変わりはない。
涼多は、初めて訪れた場所の空気を噛みしめ、空を仰ぐ。
その時、階下から「くっくっくっ、やっぱそうなるかぁ」とミドロの、やけに楽し気な笑い声が聞こえてきた。
次いで、伊織の「ルテさん、ちょっといいですか?」という声。
涼多とルテは顔を見合わせると、急いで階段を下りる。
萎びた朝顔電話を片手に、眉尻を下げた伊織がいた。




